「ほっ」と。キャンペーン

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私は今日、東京から金沢まで日帰りででかけ、この演奏を楽しんできた。大変に素晴らしい演奏だったので、前後の状況を含めてレポートしたいのだが、実は今から出張に出かけてしまうので、残念ながら時間がないのです。この演奏に興味をお持ちの方は、恐縮ながらまた一週間ほどしたら当ブログを覗いてみて下さい。なんらかの記事にはなっていると思います。それでは皆様、ごきげんよう!!


# by yokohama7474 | 2017-02-19 21:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) が、首席指揮者であり世界的にも有望なイタリアの若手指揮者、1987年生まれのアンドレア・バッティストーニの指揮で演奏したのは、ジュゼッペ・ヴェルディの「レクイエム (死者のためのミサ曲)」である。これを聴かずしてなんとしよう。ただ会場が若干珍しくて、新宿文化センターなのである。このホールにはかなり以前、小澤征爾指揮新日本フィルによるマーラーの 7番のコンサートを聴きに来たことは覚えているが、実際に足を運ぶのはそれ以来なのではないだろうか。因みにそのコンサートは、手元にプログラムを引っ張り出してきて確認したところ、1988年のこと。今回の指揮者バッティストーニが未だ 1歳の赤ん坊であった頃だ (笑)。堀口大井という人 (定期会員と書いてあるが、一般の人だったのだろうか) によるメチャクチャ詳細な曲目解説が、実に 11ページに亘って掲載されていたのも懐かしい。これが新宿文化センター。ホールとしては決して悪い音響ではないし、オルガンもある立派なホールだ。
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私はこの会場に辿り着くまで、このホールの選択はひとえに、サントリーホールが改修中であることが原因とばかり思っていた。ところがそうではなくて、このコンサートは、新宿区成立 70周年を記念するものなのである。そのひとつの象徴が合唱団で、新宿文化センター合唱団という名称を持つが、それはほかでもない、今回の公演のために一般公募によって結成された 270名の合唱団。昨年 7月から練習を重ねてきたという (合唱指導は山神健志)。なるほど道理で、合唱団メンバーの家族友人知人の皆さんが客席に多くいたわけで、メンバーが入って来たときに舞台に向かって手を振る人もいたし、私の周りでも、「あ、いたいた、右から○人目」などと言っている人もいた。おかげでチケットは完売御礼。そして、舞台に居並ぶオケと合唱団、そして独唱者はすべて日本人で、指揮者のバッティストーニのみが外国人という事態にあいなった。開演前に会場アナウンスで、新宿区長も鑑賞に訪れていることが告げられ、スポットライトが当てられて区長の紹介がされたが、スピーチの類はなく、すぐに演奏に入って行ったのは一見識であった。ちなみに、このような記念の機会には、通常はもう少し祝典的な曲 (典型例はベートーヴェンの第 9番であろう) が選ばれるのが普通であり、死者のためのミサ曲とは一見ふさわしくないようだが、後で述べるように、この曲に刻まれているのは、あらゆる人間の生と死のドラマなのである。都内でも有数の活発な人の動きを持つ新宿区にて、過去にここに生きた人、そして今生きている人、これから生きて行く人、すべての人のドラマが一般市民による合唱団によって歌い上げられるのだと思うと、大変意義深い演奏会なのである。

私はバッティストーニの才能を極めて高く評価する者であるが、過去にこのブログでも何度か採り上げた通り、すべての演奏を大絶賛というわけでもない。だが今回は、結論から先に言ってしまうと、大変に感動的なコンサートとなり、この曲の偉大さ、ひいては (月並みな表現だが) 音楽の素晴らしさをつくづく実感することとなった。そもそもこのヴェルディのレクイエムは、クラシック好きの人にとってはもちろんよく知る曲であろうが、このブログはクラシックに造詣のない方にも読んでもらいたいと思って書いている。その私は、ここで強く主張しよう。もしあなたがこの曲を知らないとすると、それは人生にとっての大きな損失。是非是非、いかなる手段でもよいからこの曲を聴き、何度も鑑賞を繰り返し、その偉大さを心の深いところで享受して欲しい。西洋音楽の頂点のひとつであるから。これが偉大なるオペラ作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの肖像。
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と書いてはいるが、この曲の冒頭の神秘性は、録音では決して真価が分からない。墓の底から湧き上がるようなかすかな低弦、そしてピアニッシモによる呟きのような合唱。こうして書いているだけでも、ゾクゾクしてきてしまうのである (笑)。今回の演奏でも、この冒頭の弱音はことさらに神秘的であり、この日の演奏を生で聴いた人だけが実感できた金縛りの瞬間と言えるだろう。そしてこの演奏においては、バッティストーニの指導力云々よりもむしろ、オケ、独唱、合唱すべての人々がこの上ない自発性を発揮して成し遂げた充実感を感じることとなった。実に彫琢豊かな演奏で、曲の個々の部分が持つ持ち味と深みを充分に表しており、合唱団の人たち (かなり年輩の方も多く含まれていた) にとっても、きっと生涯忘れられない経験になったことだろう。独唱の 4人は、ソプラノの安藤赴美子 (つい先頃まで新国立劇場で、名匠フィリップ・オーギャン指揮のもと、「蝶々夫人」の主役を歌っていた)、メゾソプラノの山下牧子 (深い声で常に安定感を示した。彼女も新国立劇場の「蝶々夫人」でスズキを歌っていたのである)、テノールの村上敏明 (予定された歌手がインフルエンザにかかり、急遽代役で登場したにもかかわらず、実に美しい高音を聴かせた)、バスの妻屋秀和 (いつもの通りの強い表現力)。いずれも素晴らしい出来であったが、中でもソプラノの安藤は、最終曲「リベラ・メ」の冒頭のソロでは、ついに楽譜を持つ片手を離して、体を屈しながら、深い感情を込めた歌唱を聴かせた。そうなのだ、この曲は古今のレクイエムの中でも最もドラマティックでありオペラティックな曲。人間のドラマこそが曲の命であり、感情の赴くままに自由なテンポ設定をする指揮者にオケも食らいついて行き、なんとも生々しい人生のドラマが展開した。繰り返しだが、これは全員の勝利であり、現代の東京で実現できる音楽の水準の高さを示すものであったろう。主演後のバッティストーニも、実に嬉しそうにしていた。
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今回バッティストーニと東フィルによるほかの演奏会に心当たりがなかったので、帰宅してから調べると、この「レクイエム」と、翌日に静岡県磐田市で演奏会を開くのみ。たった 2回の演奏会のためだけに来日したのだろうか。彼はまた 3月に東フィルの指揮台に戻ってくるが、イタリア指揮界若手三羽烏のひとりとされる人であるから、世界が彼を待っているはず。日本に長く滞在する可能性は低いのではないか。実は演奏中にふと気づいたことには、やはりこの三羽烏の一人とされるダニエーレ・ルスティオーニも、ちょうど今来日中のはず。二期会の「トスカ」と、それから東京都交響楽団とのコンサートもあるはず。残念ながら今回私はいずれにも足を運ぶことはできないが、昨年 6月の東京交響楽団との演奏会を記事として採り上げた。
http://culturemk.exblog.jp/24489238/

ちょうど同じ時期にイタリア三羽烏のうち二人までが東京に滞在しているとは、東京はやはりなかなかだと思っていたのであるが、実は、この演奏会終了時、充足した思いで会場を出ようと通路を出口方面に歩いていると、客席に白人がいるのが見えた。・・・な、なんとそれは、そのルスティオーニその人ではないか!! 一瞬ジロジロ見てしまったが、自分でも驚いたことに、考える間もなく彼に話しかけてしまったのである。
 私「マエストロ・ルスティオーニですか?」
 彼「(ちょっと戸惑って) は、はい」
 私「今日はどうでしたか。彼はあなたのライバルですよね?」
 彼「(やや気色ばんで) ライバルじゃない。同僚です!!」
 私「(丁重にお辞儀して) そうですか。では、『トスカ』がんばって下さい」
 彼 (無言で笑ってうなずく)

その後楽屋に向かう風情であり、そんなところで一般人からあれこれ言われたくないのはよく分かるので、自分の無遠慮さを申し訳なく思ったが、実は、後で調べて分かったことには、彼はこの日 14時から東京文化会館で二期会の「トスカ」を指揮していたのである!! このバッティスティーニのコンサートは 18時からであったから、ルスティオーニは、オペラを振ったあとすぐに上野から新宿に移動したに違いない。やはり二人は親しい友人なのであろう。すると、バッティスティーニも二期会の「トスカ」を見たのかもしれない。これがルスティオーニ。バッティストーニよりも 4歳年上である。
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ところで今回のプログラムに、バッティストーニの以下のような言葉が掲載されている。

QUOTE
ヴェルディの「レクイエム」には、イタリア人と神との関係が反映されています。イタリア人の「祈り」は、とても個人的なものなのです。自分と「神」との対話。私は神にこう尋ねる、とか、私はこのようなことが起こらないように願う、とか。だからこの「レクイエム」は、とても個人的で、人間的な作品なのです。
UNQUOTE

なるほどよく分かる。では今回、ひとりのイタリア人のもと、何百人もの日本人が成し遂げた演奏を、バッティストーニは、そして「同僚」のルスティオーニは、どのように感じたであろうか。そして、今後の音楽界を担うイタリア三羽烏のうちの二人までが集う、新宿文化センター。なんとも素晴らしい出来事ではありませんか!!二人して新宿界隈に飲みに行ったのでしょうかね (笑)。

# by yokohama7474 | 2017-02-19 01:55 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に立つのは、首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。このブログでは再三ご紹介している通り、エストニア出身で、今や世界の指揮界で引っ張りだこの名指揮者。先週末に続いて私が今回聴くことができたのは以下のプログラム。
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲二短調作品 47 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 10番ホ短調作品 93

なるほど、ヤルヴィが先週採り上げたシベリウスの交響曲第 2番は 1901年の作で作品番号 43。同じ作曲家のこのヴァイオリン協奏曲はそのしばらく後、1904年の作で作品番号 47。但し現在演奏されるヴァージョンは、改訂を経て翌年 1905年に初演されたもの。この改訂初演のときのオーケストラはなんと、リヒャルト・シュトラウス指揮のベルリン・フィルである。西洋音楽史上で最も愛好されるヴァイオリン協奏曲のひとつになっている名曲だ。ソロを弾いたのは名実ともに日本を代表するヴァイオリニスト、諏訪内晶子。
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もちろんこの曲などは彼女にとっては目をつぶっていても弾ける曲なのであろうが、今回の演奏は彼女の新境地すら思わせる、大変に素晴らしいものであった。冒頭の静かな湖面の波紋を思わせる繊細な弦楽合奏のさざ波に乗って歌い出すソロ・ヴァイオリンは、強い集中力というよりも余裕を感じさせるもので、既にして諏訪内の音楽が尋常ならざる高みに達していることを思わせた。全曲を通して、完璧なテクニックが耳につくというよりは、時に音程すら危うくなるくらいの強い表現力を持って音楽を進めて行く様子に、終始圧倒されたのである。正直なところ、ひと昔前までは彼女の演奏には出来不出来がそれなりにあったように思う。だが今では、そのヴァイオリンは常に何かを語り続けるのである。我々は今後ともそれを傾聴しよう。彼女は今回も、アンコールとしておなじみのバッハの無伴奏ソナタ 2番からアンダンテを弾いたが、それはやはり確固たる自信に満ちた音楽であり、聴き手の心にストレートに響くものであった。ところで、諏訪内が音楽監督を務める「国際音楽祭 NIPPON」も今年が 5回目の開催。5月と 7月に東京と名古屋で意欲的なコンサートの数々が開かれ、最後は東日本大震災の被災地である岩手県久慈市でのチャリティコンサートで締めくくられる。きっと強い音楽で聴衆を勇気づけてくれることであろう。
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後半に演奏されたショスタコーヴィチの 10番は、1953年、スターリンの死後すぐに書かれた、この作曲家らしい屈折した難曲であるが、ここでも好調のヤルヴィと N 響のコンビが、聴きごたえ充分の演奏を展開した。改めて感じるのは、ヤルヴィの指揮の見通しのよさである。この交響曲を書いた作曲者の複雑な真意が何であるにせよ、このように個々の音楽的情景が揺るぎないクリアさをたたえた演奏によって純粋な音のドラマが立ち上がる様に立ち会うのは、なかなかに得難い体験なのである。彼は決して爆演系の指揮者ではなく、いかに音楽が熱狂しようとも、常に長い腕で冷静に音の流れを統御しているのだ。それでいて、音自体の迫力に不足することは決してない。沼の底から魑魅魍魎が浮かび上がるような冒頭から、なぜとも知れぬ熱狂が宙に舞い上がって行くエンディングまで、移り変わる情景に、人が生きる苦しみと喜びがにじみ出ている。この曲が作曲者自身を象徴する音型 (D-S-C-H) によって成り立っていることは以前から知られているし、不気味な第 3楽章が恋人を象徴しているらしいことも、もはや定説であろう。だが今回のプログラムによると、この曲は彼のいわゆる「戦争三部作」の掉尾を飾るものとして書かれたことが近年判明しているらしい。ショスタコーヴィチの戦争三部作とは、いわずとしれた交響曲第 7・8・9番であるが、このうち戦後に彼の交響曲として初めて発表された第 9番だけは、人を食ったような小規模でふざけた曲なのである。作曲者の中では、その第 9番の特殊性は充分認識されていたわけで、重厚な音が跋扈する (その一方でピッコロなどの高音の活用も大変に印象的な) この第 10番こそが、戦争三部作の 3作目であったとは、なかなか面白い。これからも新資料の発見によって評価が変わって行くであろうショスタコーヴィチ。
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今回の堂々たる演奏により、私にとってのヤルヴィと N 響は、これからも必聴のコンビであることを再確認したが、ひとつ残念なことがある。N 響は従来、3通りのプログラムによる定期演奏会のうち 1つはサントリーホールで開いているのであるが、同ホールは現在改修のために閉鎖中。このホールを本拠地とするほかのオケは、異なる会場を確保して定期演奏会を継続するのであるが、どういうわけかこの N 響だけは、サントリーホールシリーズは単に中止となり、つまりはこれから 9月定期までは、定期演奏会のプログラムは 2種類となるのである。だが今回ヤルヴィは、サントリー定期の代わりとして、ほかの会場で 2回のコンサートを開く。会場は横浜みなとみらいホール。曲目は極めて意欲的で、武満徹の弦楽のためのレクイエムと、マーラー 6番。しかも途中休憩なしに一気に演奏されるのだ。これがそのコンサートのポスター。聴きたい聴きたい!!
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だがここで問題がひとつ。横浜で平日のコンサートは東京勤務の人たちにとってはつらい。加えて、2/23 (木) は 15時開始だ。これはなかなかに厳しい。そもそも私は来週出張のため、これらのコンサートには行けないのだが、それにしてもこれは大変残念なこと。なんとかならなかったのであろうか・・・。

# by yokohama7474 | 2017-02-18 23:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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このブログで何度か言及してきた通り、19世紀末ウィーンの文化はなにか私の根源的なものに触れてくる異様な力があって、私は心の底からその文化に惚れ込んでいるのである。もちろん音楽ファンにとっては、まさにウィーン世紀末を代表するグスタフ・マーラーが、音楽史上におけるかけがえのない偶像というケースも多いだろう。一方美術の面では、多彩な才能がひしめく中で、グスタフ・クリムトとエゴン・シーレの名前こそが、一段高く燦然と輝く歴史的なものとなっていることは疑いない。この映画は、そのような世紀末ウィーンの頽廃文化を代表する天才画家エゴン・シーレの生きざま、いや、死にざまを描いている。オーストリアとルクセンブルクの資本による映画で、あえて原題をドイツ語で記した通り (上のポスターではその英訳が見える)、ドイツ語による映画なのである。もちろん、全国のシネコンで大々的に公開中というわけではないが、このような映画を見ることができる日本は、文化的にかなり高度な環境であるとは言ってよいと思う。これがシーレの肖像写真。
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私が画家エゴン・シーレ (1890 - 1918) の名前を知ったのは恐らく、高校生のとき (調べてみるとそれは 1983年) に封切られた映画、「エゴン・シーレ 愛と陶酔の日々」によってであったと思う。私はその作品を劇場に見に行く勇気がなかったのであるが、それは、何やら怪しいエロスを放つエゴン・シーレなる画家に、近寄りがたいものを感じたせいであったろうと思う。実はあとから知ったことには、新宿歌舞伎町にあったアート系映画を上映する映画館、シネマスクエアとうきゅうが 1981年にこけら落としとして上映した、ニコラス・ローグ監督、アート・ガーファンクル主演の映画「ジェラシー」も、世紀末ウィーンを題材にしていたのである。その映画は当時どこかの劇場で予告編を見た記憶はあるものの、やはり本編は見ていない。そして私の場合はその後すぐ、マーラーに熱狂してからウィーン世紀末に深入りした高校生時代、興味は容易にクリムトにまではたどり着いたが、そこからシーレまでは未だ遠かった。そして、今書庫を調べて手元に引っ張り出してきた本は、1986年 3月号の「美術手帖 特集シーレとウィーン」である。
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私はこの雑誌を、大学時代に東京から実家のある大阪まで帰省するため、学生の特権で東海道線の夜行の各駅停車、大垣行に乗り、その車中で夢中になって読んだことを昨日のことのように覚えている。多少大げさに言えば、これは私の文化面での指向を決定的にした雑誌である。今めくってみても、飯田善國、瀧本誠、千足伸行らの碩学が刺激的な文章を寄せているし、シーレだけでなく、世紀末ウィーンについての網羅的な情報が記載されている。そしてこの特集、当時新宿に存在した伊勢丹美術館での「エゴン・シーレとウィーン世紀末展」に関連した特集であったのである。従って私がシーレの本物に初めて接したのは、この1986年の展覧会ということになる。伊勢丹美術館はその後も類似の展覧会を何度も開き、私はそれらに必ず足を運んだし、その後起こったウィーン世紀末ブームの中で、主要な展覧会には恐らく全部足を運んだと思う。映画への言及に入る前に長々と書いているが (笑)、これが私のシーレに対する強い思い入れの源泉なのである。

さてここで、そのように世紀末ウィーンに対する思い入れを持つ私の、勝手な持論を披露しよう。この説は、これまでに読んだいかなる美術書歴史書の類にも載っていない。だが私が過去 30年間に亘って信じているのは、世紀末ウィーン文化を体現した人々のうち主要な人物は、誰一人として第一次世界大戦を生き延びることができなかったということだ。もちろん例外はあるだろう。だが、奇しくもクリムトとその弟子であるシーレが、ともに 1918年に他界していることは象徴的だ。西欧先進諸国がナショナリズムと帝国主義に導かれた挙句、ついに人類初の世界大戦に突入したという激動の歴史の中、芸術家たちはその命を削って創作活動に勤しんだ。そのギリギリと軋む命の音が、永遠の表現力をたたえているのであるが、彼らの体は束の間の平和の到来まで持たなかった。これは 1912年にシーレが描いた自分とクリムトの肖像 (「隠者たち」)。
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この映画は、シーレが 28歳の若さでスペイン風邪で亡くなる (身重の妻が旅立った数日後に) 直前の情景を追いながら、そこに過去の様々な回想が積み重なるという構造になっている。一言で片づけてしまえば、大変僭越ながら、独立した映画としてはそれほど発見に満ちた作品とは思われない。例えば、劇中やたらと鏡が多いことに気付くが、それは例えば、先般このブログで採り上げた怪作「ネオン・デーモン」(ちなみにこの映画の余韻が、日が経つほどに大きくなってくるのはどういうわけか???) における鏡の多用とは全く異なり、人の心の裏側を覗き込むような怪しい雰囲気の醸成にまでは至っていない。際立った映画的瞬間は、残念ながらそれほど多くは訪れないのである。ただ、ウィーンにあって演劇 (もちろんその周辺芸術分野である音楽) のファンにはなじみある名前、マックス・ラインハルトの名を冠したゼミナールで演技の修練を積んだ役者が多く出ていて、彼らの演技自体には見るべきところもあり、何よりシーレの人生を忠実に辿ることで、その孤高の魂のありかを考えさせるような出来にはなっていると思う。題名の「死と乙女」(1915年) は、このようなシーレの代表作のひとつ。
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この作品を描くシーンが映画に登場する。やがて遥かアフリカの地で死を迎えるモデルであり愛人であったヴァリを抱きしめるシーレ自身が、死神なのであったのか。
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ところでその愛人ヴァリの肖像はこちら。なるほど、今回の女優さんには共通した雰囲気がありますな。
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題名になっている「死と乙女」とは、これは常識に属することであろうが、シューベルトの歌曲の題名であり、死の床に臥す乙女と死神との対話が題材になっている。シューベルトはこの歌曲の主題を弦楽四重奏曲にも転用していて、その曲も「死と乙女」と呼ばれる。それを弦楽オーケストラ版に編曲したのは、ほかならぬグスタフ・マーラーだ。つまりこの「死と乙女」というテーマは、世紀末ウィーンのひとつのキーワードなのである。
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そんなわけで、結局ほとんど映画については語っていないことに気付いたが (笑)、この映画は、シーレに興味のある人 (よく知らないが知ってみたいと思う人を含む) にとっては興味深いものであることは請け合いだ。だがその次は是非ウィーンに飛んで、ベルヴェデーレ宮殿に展示されているシーレやクリムトの実物を見、そして、かつて伊勢丹美術館等に何度もやってきたシーレ作品の一大コレクションを展示するレオポルト美術館に足を運ぶことを心からお薦めする。もしかすると、それによって人生が変わる人もいるかもしれないが、その責任は取りかねるので何卒ご容赦を。
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# by yokohama7474 | 2017-02-17 23:48 | 映画 | Comments(0)

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織田信長が明智光秀によって討たれた本能寺の変は、日本史上屈指の大事件であることは論を俟たないが、上のポスターにある通り、日本史上最大の謎と言っても過言ではない。このブログでも、光秀の子孫だという明智憲三郎著の「本能寺の変 431年目の真実」という大変面白い本をご紹介した (因みにその私の記事は、大変驚いたことに、著者明智憲三郎さんの公式ブログでも言及されました)。この映画は、その本能寺の変を目撃する現代女性を描いたもの。綾瀬はるか主演ということで、すぐに思い出す類似の映画は、「プリンセス・トヨトミ」であるが、あちらが小説の映画化であるのに対してこちらはオリジナル脚本。また設定は随分違っていて、こちらは現代と過去がはっきり断絶しているところ、ひょんなことからその二つの時間帯を往復することになる女性主人公を描いている。実はこの映画の監督は、「プリンセス・トヨトミ」と同じ鈴木雅之。シャネルズ = ラッツ & スターの歌手とは同姓同名で、全くの別人だ (笑)。もともとはテレビの演出家らしい。
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物語は、綾瀬はるか演じる結婚を控えた女性が、婚約者の親に会いに彼の実家のある京都に泊まるが、予定していたホテルには手違いで入れない。途方に暮れているときに目に入った古風な「本能寺ホテル」というホテルに転がり込むことになるが、そのホテルのエレベーターは、ある条件が整うと、1582年 6月 1日、つまりは大事件発生の 1日前の本能寺にタイムスリップする。そのことを知った女性は、なんとか信長に危機を伝えようとするというストーリー。
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信長には堤真一、森蘭丸には濱田岳が扮していて、主演の綾瀬はるかともども、最初から彼らが演じることを想定しての、いわゆる「あて書き」である由。その他、婚約者の父親が近藤正臣、ホテルの支配人は風間杜夫と、それぞれの個性に合った役は、なかなか気が利いている。
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だがやはりこの映画で最も存在感を発揮しているのは、綾瀬はるかであることは間違いないだろう。もちろん、大河ドラマの主役をはじめ、シリアスな役柄も演じているとはいえ、その天然ぶりには他の追随を許さない (?) ものがあり、ここではさすがにあて書きだけあって、とてもよい味を出している。作品そのものは、ひとりの女性が当たり前の日常にわずかな疑問を持ち、タイムスリップを経験する中で、信長からの刺激を受け、新たな人生観を得て成長するという流れがあって、それほど易しい役ではないと思う。こんな感じで戦国時代にも平気で入って行ける肝っ玉のある役柄でもある。
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そして演出も、かなり細かい部分の呼吸に気配りがなされていて、あれこれの工夫が面白い。例えば、主人公が最初のホテルに入れないことが判明する場面のとぼけぶり、金平糖をかじるときのカリッという食感など、印象的である。それから、美術も結構手が込んだ作りで、スタッフの苦労がしのばれる。ただその一方で、この映画のメッセージが何か現代人の感性と鋭く切り結ぶかと言えば、残念ながらそこまでの成果は出ていないように思う。例えば冒頭に引用されているビルマルクの言葉「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」は、作品の基調トーンとしてどこまで活きているであろうか。タイムスリップとは、まさに経験ではないか。この映画の中で経験から学ぶ主人公は、では愚者ということになるのかな。そのあたりの中途半端感が大変残念である。

ところで、本能寺の変が起こったのは、言うまでもなく本能寺という寺院なのであるが、信長が討たれたときになぜここに滞在していたかというと、この寺院を宿泊所としていたからだ。その意味では、まさに信長の宿泊場所が「本能寺ホテル」であったわけだ。調べてみるとこの本能寺は、法華宗、つまりは日蓮宗の寺院で、信長はこの宗派に帰依していたこともあって、上洛時にはこの寺を定宿としていたようだ。周知の通り信長は一向宗 (この時代は浄土真宗ではなく浄土宗を指したらしい) とは血みどろの対決をしているし、天台宗の総本山、比叡山を焼き討ちしているわけであるが、既存の仏教のすべてを否定したわけではなかったのである。ただ、ただである。この映画の中に、まさに歴史を大事に思う人には我慢できないシーンがある。それは、本能寺という設定の寺院の建物に、デカデカと「方丈」という額がかかっているのだ (ロケ地は南禅寺だろうか)。私の理解では、これは禅寺特有の住職の居室の呼び名であり、明らかに法華宗の寺院たる本能寺の景色ではない。どうでもよいことという見方もあると思うが、歴史に学ぶ賢者であれば、もうひと工夫欲しかったところ。こんな感じの建物。
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それから、明らかなロケ地がひとつあって、それは兵庫県の書写山円教寺だ。
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この場所で信長と家臣が球技をして遊ぶのであるが、ここは寺院にしては珍しく、建物によって囲まれた土地で、球技用のコートのような閉鎖空間になっているので、その着想は理解できる。ただ、シーンの流れとしては、閉塞感があってあまりよくないと思う。もっと広々した河原でのロケの方がよくはなかっただろうか。映画の印象は、個々のシーンの積み重ねによって決まる。細部においては、上に書いたような気の利いたシーンもある一方で、この種の時代物に欠かせないロケ地の組み合わせについては、ちょっと課題があるようにも思うが、いかがなものか。

そういえば、この映画は日本史上最大の謎である本能寺の変に迫るとの触れ込みであったが、信長の最期について、何か目から鱗の大発見が描かれていただろうか。ネタバレは避けるが、なんだろう、例の「人生五十年」という幸若舞を舞うシーンはなく、その点が新味と評価すべきだろうか。つまり、信長の生は 50年どころか、遥かな時を超えて、今に至る 400年以上も続いているということか。うーむ、まさかヴァンパイアものではあるまいな・・・。いやいや、そんな心配はないので (笑)、まだご覧でない方は、私のように重箱の隅をつっつくことなく、ごく自然に楽しんでもらえる映画だと思って見に行かれればよいものと思う。でも、本当に信長の最期ってどんな感じだったのであろうか。永遠に真相が分からない歴史のロマンである。
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# by yokohama7474 | 2017-02-16 23:02 | 映画 | Comments(0)