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昨年末押し詰まってからの第九、そしてつい先日のニューイヤーコンサートを聴いた秋山和慶の、本領発揮のコンサート。いや、この人はいついかなるコンサートにおいても本領を発揮しているので、今さらそんなことを言うのもおかしいのであるが、私の敬愛する秋山の持ち味健在を実感できた、充実感満点のコンサートであったのだ。
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このブログで逐一記事にしている通り、昨年は大変に充実したコンサートやオペラが目白押しで、昨年秋頃になるとかなりその疲れが出て来ており、年が明けたら、しばらくはコンサートに行かないようにしようかとまで半ば本気で考えていた。だがそんな中、このコンサートのチラシを目にして、これだけは何がどうあっても聴きに行かねばならんと、堅い決意をしたものである。それ以来楽しみにしてきたコンサート当日、NHK ホールで N 響によるスペイン物のコンサートを聴いたあと、サントリーホールに移動したのであるが、こちらは完全に「フランス物」のコンサートである。具体的な曲目は以下の通り。

 メシアン : 交響的瞑想「忘れられた捧げ物」
 矢代秋雄 : ピアノ協奏曲 (ピアノ : 小菅優)
 フローラン・シュミット : バレエ音楽「サロメの悲劇」作品50

うーん。これは誰がどう見てもフランス物。もし唯一疑問があるとすると、真ん中の曲、矢代秋雄の作品がなぜフランス物と言えるかということだろう。それは追って検証することとするが、昨年発表されたこの曲目を見て狂喜乱舞した私は、これこそ秋山のみがなしうるコンサートであると確信したものだ。決して秘曲というほど無名な曲ばかりではなく、それどころか、それぞれに名曲の誉れを得ている曲であるが、いわゆる通好みの渋い曲目であるとは言えるだろう。客席もかなり空席が目立ったものの、熱心な音楽ファンが耳を傾ける素晴らしいコンサートとなった。ニコニコした表情の白髪頭でポピュラー名曲も振れば映画音楽も振るマエストロが、そのハードな活動の一環としてこのようなコンサートまでをも振っている東京とは、なんという端倪すべからざる街であろう。

まず最初の曲、オリヴィエ・メシアン (1908 - 1992) の「忘れられた捧げ物」は、1930年の作。作曲者 22歳の若書きで、この 20世紀フランスの大作曲家の実質的なデビュー作である。ほんの 12分ほどの曲であるが、3部構成からなり、最初と最後は拍節感の全くない、まさに瞑想的な音楽で、後年のメシアンのスタイルを早くも示している。秋山と東京交響楽団 (通称「東響」) は実に繊細な音で滑り出し、管楽器と弦楽器の間の双方向の影響も鮮やかに、高密度な音楽空間を作り出した。メシアン特有の陶酔も、これだけ演奏時間が短いと聴きやすい (笑)。だが、嵐のような第 2部を経て第 3部に入ったとき、新たな発見があった。それは確かに弦楽合奏なのであるが、第 1ヴァイオリンが全員弾いているにもかかわらず、第 2ヴァイオリンは 2名だけ (終わりの方では 4名に増加)、ヴィオラは 5名による演奏で、チェロとコントラバスは沈黙している。そして響いてくる音は、高音をフワフワと漂うもので、あたかもメシアンが好んだ電子楽器オンド・マルトノの響きそっくりではないか!! 作曲家の指向は、若い頃から一貫しているものなのである。
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そして 2曲目は、矢代秋雄 (1929 - 1976) のピアノ協奏曲。私があえてこの作品をフランス音楽に分類するのは、若くして逝ったこの作曲家が、パリに学んだからにほかならない。日本の西洋音楽の歴史は、初期の山田耕筰や瀧廉太郎のイメージからも、メインストリームはドイツに学んだという印象が強く、国民性という意味でもドイツ人に対するシンパシーがある面は否めない。だが日本の作曲界にも、池内友次郎 (いけのうち ともじろう、1909 - 1991) のようにパリに学んだ人もおり、その池内の弟子でその後の歴史に名を残した作曲家たちも多い。矢代はそのうちのひとりなのである。
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このピアノ協奏曲は、そんな矢代の代表作であるのみならず、日本の現代音楽における代表的な協奏曲でもある。初演は 1967年。ピアノ独奏は昨年亡くなった中村紘子であった。中村はこの曲の録音も残しており、今自宅の CD 棚を確認すると、岩城宏之指揮 NHK 響と共演したものが 2種類手元にある。いずれも初演翌年の 1968年の録音であるが、3月 6日と 5月30日と、違う日の録音なのである。ともあれ、今回ピアノソロを担当したのは、今年 34歳になる素晴らしいピアニスト、小菅優 (こすげ ゆう)。
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彼女の経歴を見ても、海外のコンクールで優勝というものは見当たらない。それどころか、桐朋とか藝大の出身でもなく、1993年からヨーロッパで実績を重ねてきたという。日本人にはどうしても権威主義がついて回る中、このように海外での実績で名を成した日本人音楽家は本当に数えるほどしかいないのであるが、実際に私が過去に聴いた彼女の演奏においても、その真摯な姿勢と透明感溢れるタッチに打たれたので、その実力は既に承知している。今回、矢代のピアノ協奏曲を、高い集中度をもって非常に明確な表現で演奏したことは、いわばこれまでの認識を再確認したということであるが、これもまた、東京で聴ける一級の音楽なのである。もちろん秋山のサポートも実に丁寧かつ要領を得たものであり、このような演奏で再演される日本の現代曲は、本当に選ばれた存在であると思う。そして小菅はアンコールとして、メシアンの前奏曲集から、第 1曲「鳩」を演奏した。私はこの曲を聴いたことがなかったのであるが、一聴してメシアンの作品であることは明瞭。だが調べてみるとこの曲は、「忘れられた捧げ物」の前年、1929年の作で、やはり作曲者最初期の作品。この 1929年という年は、奇しくも矢代秋雄の生まれた年でもある。矢代はパリ音楽院でメシアンにも学んでいる。アンコールの小品ひとつ取っても、この日の演奏会がフランス音楽プログラムであったことが分かろうというものだ。

そして休憩後に演奏されたのは、やはりフランスの作曲家、フローラン・シュミット (1870 - 1958) の「サロメの悲劇」。この作曲家、一般にはあまり知られていないであろう。「シュミット」という苗字だけで呼ばれないには理由があって、同時代のオーストリアの作曲家にフランツ・シュミットという人がいて、「F・シュミット」と表記しても、どちらだか分からない (笑)。
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彼の作品で唯一それなりに知られているのがこの「サロメの悲劇」であるが、これは 1907年に書かれたバレエ音楽を、1910年に、より大きな管弦楽に編曲したもの。あの有名なリヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」の初演は 1905年。この「サロメの悲劇」はそのわずか 2年後の作品で、世紀末のサロメブームの最後を飾る、後期ロマン派風の絢爛たる曲なのである。フランス音楽がいわゆる洒脱な持ち味で特徴づけられるのはドビュッシー、ラヴェルから、モダニズムに立脚した 6人組という流れによってであるが、20世紀初頭までは、このような後期ロマン派風の作品もフランスで書かれていたのである。この「サロメの悲劇」、日本では、往年の名指揮者ジャン・フルネがレパートリーとしていたこともあり、また、ジャン・マルティノンの録音が以前から有名なので、それなりに知名度がある曲ではあるものの、実際には滅多に演奏されない。今、「日本の交響楽団 定期演奏会記録 1927 - 1981」という資料を調べてみると、その期間の演奏回数はたったの 2回。まず、1965年に NHK 響がピエール・デルヴォーの指揮で演奏しているが、これが日本初演であったのだろうか。そしてなんと、もう 1回の演奏は 1974年、今回と同じ秋山和慶と東響によるものなのだ!! うーん、私は常々、秋山の資質の最良の部分は、後期ロマン派の演奏に出ると信じているが、やはり若い頃からこの曲をレパートリーにしていたのである。実際この日の演奏は、オケも絶好調で、この曲の醍醐味を充分に味わうことのできる名演であった。非常に確実なバトンテクニックでオケをリードする秋山はしかし、その心には熱く燃える炎を抱いており、めくるめく音の渦を見事に整理しながらも、迫力満点の演奏を成し遂げたのである。この演奏は録音されているようであったが、一度きりの演奏ではもったいない。再演して頂ければ、是非また聴きに行きますよ!!

そんなわけで、秋山と東響によるフランス音楽コンサートは、実に充実したものとなった。これを聴いていて思ったことには、このコンビでマーラー・ツィクルスをやってもらえないものだろうか。もちろん、過去に何曲もこのコンビのマーラーを聴いているし、現音楽監督であるジョナサン・ノットも、今後継続的にマーラーを採り上げて行くものと思われる。だが、今の秋山と東響であればこそ、大変ハイレヴェルなシリーズになるに違いない。関係者の方がもしご覧になっていれば、是非ご検討下さい!!

ところで、年明けから頑張って一連の記事を書いてきたが、しばらく出張に出てしまうので、一週間程度は更新できません。悪しからずご了承下さい。

# by yokohama7474 | 2017-01-15 02:07 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の本年初の定期演奏会である。上の写真は、今月の N 響定期のプログラムの表紙であるが、3人の指揮者の写真があしらわれている。このオケの定期は毎月 3プログラムあるので、今月はそれぞれ違う指揮者が指揮するということだ。右上は日本人の下野竜也。それ以外の二人は、実はいずれもスペイン人なのである。左側に見えるのは、去年二期会で「トリスタンとイゾルデ」の名演を繰り広げた名匠ヘスス・ロペス = コボス。今回の N 響とのレスピーギ・プログラムを是非聴きたいものだが、残念ながら仕事の都合でそれは叶わない。その代わりに今回私が聴くことができたのは、右下に写っている指揮者、ファンホ・メナ。むむむ、いかにもスペイン風の名前だが、今までに聞いたことのない名前である。調べてみると、私と同じ 1965年生まれだ。どんな若手指揮者であろうか。
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おっと、既に 51歳である。若手とは言えないであろう。えっ、ということは、私も 51歳か。立派なオッサンである。ちょっとは自覚しないと (笑)。ともあれこのメナ、現在のポストは英国マンチェスターの BBC フィルの首席指揮者。ということはあのイタリアの名指揮者、ジャナンドレア・ノセダ (一時期よく東京交響楽団やこの N 響を振りに来ていたが最近はご無沙汰だ) の後任ということである。既にニューヨーク・フィルやボストン響、ロサンゼルス・フィル等米国の名門を指揮しており、昨シーズンにはスペイン物を指揮してベルリン・フィルにもデビューしたという。スペイン人指揮者には優秀な人は何人もいるのだが、真に国際的な巨匠という扱いを受けた人は、実はそれほど多くない。ロペス=コボスなどはまさに、スペイン人指揮者としての新たな地平をこれから開いてくれるかもしれない人だが、彼よりも一世代下のこのメナは今回が N 響デビューであり、ひょっとしたら日本デビューなのかもしれない。最近の活躍ぶりを知ると、スペイン人指揮者の範疇を超えた優秀な音楽家であることを期待したくなる。

今回のプログラムは以下の通り、まさにスペイン・プロである。
 ファリャ : 歌劇「はかない人生」から間奏曲とスペイン舞曲
 ロドリーゴ : アランフェス協奏曲 (ギター : カニサレス)
 ドビュッシー : 管弦楽のための「映像」から「イベリア」
 ファリャ : バレエ組曲「三角帽子」第 1部、第 2部

上記の通り、スペイン人指揮者が真の国際的巨匠とみなされにくいひとつの理由は、非常に独自性の高い「スペイン物」というジャンルの存在にあるだろう。ヨーロッパの中で唯一イスラム教から「奪回」された地域であるイベリア半島は、独特のエキゾチズムの存在する場所であるがゆえに、かの地の音楽には、その東洋的要素のある粘っこい旋律や、憂いを帯びながらも激しさを持つリズムにおいて、他のヨーロッパ地域にない神秘性があるようだ。ところが、スペインの作曲家はそれほど沢山いないので、勢い同じような曲がスペイン物として尊重されるか、もしくはドビュッシーやラヴェルというフランスの作曲家の作品でスペインを題材にしたものが演奏されることとなる。今回のプログラムはまさにそうしたもの。一体日本のオケが、どのくらいスペイン情緒を表現できるのか。これは、マドリッドでも有数のフラメンコを鑑賞できるカフェ・デ・チニータスの舞台。私も何度も行きましたよ。深夜 0時くらいから盛り上がり始めるのです。
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そして、このコンサートを聴いた結果を一言で言うならば、実に楽しい!! この音楽がどこの国で生まれたものであるにせよ、今回 NHK ホールではじけ飛んだ溌剌とした音たちが描き出したものは、要するに音楽の素晴らしさ。スペイン独特の情緒はあるにせよ、どこの国の音楽であれ、聴き手が純粋に音楽として楽しめるか否かこそが大事なのであって、その意味で今回のメナと N 響の演奏は、音楽そのものが雄弁に語っていた点が素晴らしい。そもそも N 響のように長らくドイツ系の音楽を中心に演奏してきた団体にラテンの風を吹き込んだのは、現在の名誉音楽監督であるシャルル・デュトワ。以前も書いたことがあるが、デュトワ時代以降の N 響のあらゆるタイプの音楽への順応力はまさに瞠目すべきものであり、今回のような演奏に接するとそのことを再認識する。指揮者メナ自身も、今回の演奏にきっと満足したことだろう。とにかく冒頭の「はかない人生」間奏曲から、その音のクリアなこと。この演奏会を通して、クライマックスに向かって盛り上がって行く熱気は、常にこのクリアな音が基礎をなしていたと思う。一方で、ドビュッシーの「イベリア」の第 2曲「夜のかおり」などは、なんともアンニュイな雰囲気で、こうなるとスペイン音楽ではなく、完全にフランス音楽なのである。プログラムによるとこのメナは、巨匠セルジュ・チェリビダッケに、晩年師事したらしい。言うまでもなくこの「イベリア」はチェリの得意のレパートリー。今回ここで聴かれた音楽そのものの淀みとそこからの飛翔は、師から弟子へと続く国籍を超えた音楽の表現力の伝達こそが可能にしたものであろうと思う。だが実際、指揮台の角で飛び跳ねる指揮者を見て、指揮台から転げ落ちるのではないかとハラハラする経験も、視覚的な刺激に満ちたもの (笑)。その指揮者の情熱をきっちり音にした N 響には拍手を送りたい。

そういえばこのメナは、スペインはスペインでも、バスク地方の出身であるとのこと。フランスとの国境に位置するピレネー山脈あたり。最近ではほかの地域における地政学的問題が大きいので、バスク問題を意識する機会は少ないが、長らく独立運動が盛んな土地である。ちなみに、フランスの作曲家の 2大巨星であるドビュッシーとラヴェルは、ともにスペイン情緒ある曲を書いているが、そこには決定的な違いがあって、ラヴェルの場合は母親がバスク人であり、よりスペインに対する皮膚感覚のシンパシーがあったものと思われる。その一方、生涯でたった一日しかスペインに足を踏み込まなかった (!) ドビュッシーが、この「イベリア」で見事なスペイン情緒を描き出したのは、パリで親交のあったファリャのおかげであると、メナは考えているという。これがファリャの肖像。
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今回ギターソロを弾いたカニサレスは、あのフラメンコの巨匠パコ・デ・ルシアのグループにいたギタリスト。1966年バルセロナ生まれ。彼もまた、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルと、今回と同じアランフェス協奏曲を最近演奏している。
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ロドリーゴのアランフェス協奏曲は、もちろん古今随一のギター協奏曲の名曲であるが、NHK ホールのような大きなホールでのギターソロの響きには限界があるので、今回は若干ながら PA を利用していた。演奏はもちろんよかったものの、アンコールとして演奏されたカニサレス自作の「時への憧れ」という曲は、さらに様々なギターの表現力の可能性を追求したもので、正直なところ、より感動的であったと思う。

このように大変充実したコンサートであったので、この指揮者の今後の活動には是非注目したいと思う。最近はブルックナーに力を入れているとのことで、まあ今回は名刺代わりのスペイン物であったにせよ、次回は是非、そのブルックナーなど、また違ったレパートリーを聴かせて欲しい。一方の N 響も、スペイン音楽をきっと楽しんだことと思う。と書いていて思い出したのは、随分以前にこのオケはやはりファリャの「三角帽子」を、稀代の名指揮者の下で演奏している。それは、エルネスト・アンセルメ。この曲の世界初演者である。この N 響への客演は1964年のことだから、ファンホ・メナも、それから私自身も、未だ生まれる前のこと。手元に引っ張り出して来た CD はこれだ。
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そんなに前の時代の (もちろんデュトワ時代の遥か前の)演奏だし、重厚なドイツ物に慣れていた N 響のこと、もしかしたら腰の重い演奏かもと思って久しぶりに聴き直してみると、これがなかなかのノリなのである。N 響の演奏能力が半世紀以上から高かったことを再確認し、今後に対する期待が高まる。今年 2月から 3月にかけて、首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィとともにヨーロッパ主要 7都市に遠征する N 響。その多様な能力をヨーロッパの聴衆にもアピールすべく、ぜひ頑張って頂きたい。

# by yokohama7474 | 2017-01-14 23:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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興福寺は言うまでもなく奈良の観光メッカのひとつ。古く 669年に藤原鎌足によって建てられた山階寺がその起源であり、藤原氏の氏寺として幾星霜を経てきた由緒正しい古寺であり、薬師寺と並んで法相宗 (ほっそうしゅう) の総本山である。権力と結びつき、自らも武力を有した時期もあるため、その歴史は戦乱に翻弄され、また火事にも何度も見舞われてきた。その長い歴史の中で失われた貴重な文化財はもちろん数知れずであるが、それでも信じられないほど素晴らしい仏教美術の宝庫なのである。命をかけてこれらの文化財を守ってきた人たちがいたからこそ、現在の我々がこのような美の規範を知ることができるのである。そしてその興福寺は現在伽藍の復興中であり、近く達成されるひとつの大きな成果は、中金堂の再建である。興福寺には今でも東金堂という室町時代の国宝建造物はあるが、以前存在した西金堂は既になく、最も重要な建物であるべき中金堂の位置には、長らく粗末な仮金堂が存在してきた。江戸時代後期に建てられたその建物は既に解体され、現在は新たな中金堂の建設が進んでいる。私が昨年 9月に足を運び、10月 1日付の記事にも掲載した現在の中金堂の建築現場はこのような状況。
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平成 30年落慶予定ということは、もう来年である。元号は今度どうなるか分からないが、ひとつの可能性として、平成最後の年になるかもしれないと言われている平成 30年 = 2018年に、ここ興福寺の新たな歴史が生まれるのである。この寺は中金堂再建のためにここ何年も資金集めに奔走しており、この寺の代表選手である阿修羅像は、東京にも出張しなければならなかったし、仮金堂での展示も行われ、いずれも大変な集客を達成して資金集めに大きく貢献したのであった。ともあれ、来年の完成が見えてきていることは本当に喜ばしい限りだが、その中に展示されるのは、日本画家、畠中光亨による「法相祖師画」という作品であり、既に完成しているその絵の中金堂への安置を前にして、全国でお披露目の展覧会が始まった。現在は日本橋高島屋で開催中。
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公式サイトには、主要な展示物と各地での開催予定が記されている。
http://kohfukuji-hatanaka.exhn.jp/

前置きが長くなったが、この中金堂の再建及び法相祖師画の全国巡回の機会に、興福寺側の厚意により、大変興味深い特別展示が東京青山の根津美術館で実現した。タイトルに「再会」とあるが、これはつまり以下のような意味である。現在興福寺国宝館に安置されている重要文化財の梵天 (ぼんてん) 像と、それと本来一対であった根津美術館所蔵の帝釈天 (たいしゃくてん) 像が、112年ぶりに再会するのである。これが興福寺の梵天像。
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そしてこれが根津美術館の帝釈天像。
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これら二体はいずれも興福寺東金堂に安置されていた鎌倉時代の仏像であるが、明治期に帝釈天の方が流出してしまったということらしい。明治期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐によってさしもの名刹興福寺も無事では済まなかったことは歴史的事実であるが、この像の流出の場合は幸いというべきか、ちゃんとした素性の人に引き取られたようである。それは、三井財閥を支えた実業家であり、茶人でもあった益田鈍翁。展覧会の案内によると、当時帝釈天像は一部破損しており、興福寺の維持・徒弟教育基金設置に協力した益田に譲られることとなったという。その後修復がなされたのであろう。この帝釈天はきれいな仏さまではあるが、顔の部分はちょっときれいすぎて、横から見ると顔だけ色も違っており、後補であるように私には思われる。文化財指定を受けていないのはそのせいなのであろうか。ともあれこの像はその後、鉄道王と呼ばれた根津嘉一郎の手に渡り、この美術館のコレクションとして展示されるようになった。これは昭和 8年の写真で、自宅でこの像を眺める根津嘉一郎。
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このように数奇な運命に弄ばれた仏像であるが、100年以上の時を経て本来ペアであった二体が揃うというのは、本当に貴重な機会である。実はこの二体の胎内の銘から、ともに大仏師定慶 (じょうけい) の作と判明している。慶の字のつく仏師はいわゆる慶派と呼ばれる流派に属し、あの有名な運慶や快慶がその代表であるが、この定慶については詳しいことは分かっていないらしい (同名のほかの仏師もいたようだ)。だが一般にこの仏師の代表作と言われるのは、やはり興福寺所蔵の、国宝のこの金剛力士像。
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私はこの金剛力士、特に阿形が大好きで、昔「国宝」という美術書シリーズでこの像の写真が使われているのを見てワクワクしたものである。本当に素晴らしい肉体の表現である。また、同じ興福寺の東金堂に安置される維摩居士 (ゆいまこじ) と、それと対になる文殊菩薩も彼の作品らしい。これらも人間性と崇高さを併せ持つ写実的な素晴らしい作品で、やはり国宝。
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これらに比べると今回の二体は、若干衣が重いような気もするが、それでもやはり名品であることは間違いない。写実性よりは天平彫刻に範を採ったような古典性が窺われ、それも鎌倉彫刻のひとつの特徴なのである。根津美術館の展示コーナーの一角での「再会」であり、決して大々的な催しにはなっていないが、首都圏の仏像ファンなら足を運ぶ価値はあるものと申し上げておこう。

# by yokohama7474 | 2017-01-14 00:26 | 美術・旅行 | Comments(0)

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世の中には様々な映画が存在して、テーマや言語や描き方のタッチや予算のかけ方や、まあいろんな要素を観客は目にするのであるが、場合によってはたまたま近い時期に似たようなテーマの作品が作られていたり、同じような俳優が出ていることがあって、それらを比較したり、多少こじつけでもよいのでその理由を考えたりするのは、興味深い知的試みである。この映画を知ったとき、まずそのような感想を持った。なぜなら、最近公開される映画には、ナチズムや独裁者を題材としたものが結構多いからである。このブログでも例えば「帰ってきたヒトラー」、「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」、「シークレット・オブ・モンスター」といった比較的最近の映画を採り上げた。中でも「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」は、ここで採り上げる映画と似た題名になっているし、それから、今後公開される映画でも、正確な題名は忘れたが、アイヒマンの名前を使った新作もある。このような傾向は、世界各国で見られる右傾化と何か関係があるのであろうか。

ともあれ、ここで名前が言及されている「アイヒマン」とは、ナチスの親衛隊中佐で、ユダヤ人虐殺において指導的な立場にあったとされるアドルフ・アイヒマン (1906 - 1962)。戦後行方をくらまし、1960年にアルゼンチンに潜伏しているところを捕縛され、イスラエルで裁判にかかり、1962年に絞首刑になった極悪人。
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「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」は、このアイヒマンがイスラエルで裁判にかけられる様子をテレビで世界に中継するために奔走した人たちの物語であったが、この映画はその前の時点、潜伏しているアイヒマンがいかにして捉えられたかという経緯を映画化している。いずれも実話に基づく物語である。「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」は BBC の系列会社による制作で、言語も英語であったが、こちらはドイツ映画で、言語もドイツ語。よくドイツ人はナチズムの反省は自主的に行っていると言われるが、昨今の実情は分からないものの (ネオ・ナチの台頭など)、自国の恥部を赤裸々に映画化するこの自己批判精神には感服する。

だがこの映画を見ていると、そのようなドイツの自己批判精神が一体本当なのか分からなくなるし、戦後の世相によっても様相は変遷してきたものであるようにも思えてくる。つまり、この映画の主人公、実在の人物であるヘッセン州検事長フリッツ・バウアーが、自国の罪深い犯罪者であるアイヒマンの居場所を執念で追い求めるのに対し、様々な抵抗勢力がそれを阻もうとする様子が描かれていて、それが大変にショッキングであるからだ。なのでこの映画のドイツ語の原題をそのまま英訳したとおぼしき、"The Peope vs Fritz Bauer" という英題にはかなりストレートなメッセージが込められているのだ。中学校で習う英語の知識によると、People の前に定冠詞 the がついているということは、不特定多数の一般大衆ということではなく、特定の人々のことを指しており、その特定の人々がバウアー検事長の前に立ちふさがったということが示されている。これが実在のバウアー検事と、この映画でバウアーを演じるブルクハルト・クラウスナー。実によく雰囲気が似ている。
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このバウアーさんはドイツ生まれであるが実はユダヤ人で、戦前からドイツで判事の仕事をしていたが、戦争中はナチスの迫害を逃れて、デンマーク、さらにスウェーデンに逃れていた。戦後ドイツに帰国して地方の判事長として重きをなしたが、とりわけナチスの戦争犯罪を強く弾劾した。ところが当時のドイツ政府には未だに親ナチス勢力 (題名でいうところの "the people" だ) が密かに実権を握っており、あろうことかバウアーの努力を国家反逆罪とみなそうとしている。また若者たちは、ナチズムも戦争も大人たちが無責任に引き起こしたものとして批判的な考えを持ち、国家予算を使ってナチスの残党を探そうという努力には冷ややかだ。そんな環境においてバウアーは、まさに執念と勇気と機知をもって粉骨砕身、ついにアイヒマンを捉えることに成功するのである。但し、アルゼンチンでアイヒマンを捕縛したのはイスラエルの諜報機関であるモサドであって、実は裏でバウアー検事が画策していたということは、バウアー本人の死後 10年が経過した 1978年まで知られていなかったという。この映画で描かれるバウアー像は、全力で犯罪人を追いかける執念の人でありながら、どこか自虐的なところもあり、決して聖人君主ではない。そうなのだ。立派な業績を成し遂げる人は、別に聖人君主である必要はない。ただ人間の弱さを理解し、かつ理不尽なことを容認できないことを原動力として行動を起こす人であるべきだ。バウアーはまさにそういう人であったのだろう。また、実在のバウアーは室内装飾に関しては大変モダンな感覚の持ち主で、ル・コルビュジェによる壁紙やシンプルな家具を使用していたという。確かにこのシーンに見える壁紙は、上の本物のバウアーの写真の背景と同じ模様である。
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この映画の中でリアリティをもって描かれているバウアーの人となりを示すひとつの例として、バウアーが同性愛者であったことを挙げよう。そのようなシーンがあるわけでなく、セリフで表されるだけであるが、ご本人はこの点についてはかなり開き直っている (笑)。舞台となっている1960年代といえば、これもつい最近記事として採り上げたばかりの「ストーンウォール」で描かれている通り、米国でも同性愛者が増え、それゆえに世間から迫害された時代。また「スカラ座 魅惑の神殿」についての記事でも触れた通り、文化人の中にも同性愛者が多く出始めた時代。そうするとやはり、悲惨な戦争の後の解放感と、新たに勃発した世界秩序の危機が、個人的な愛に依拠する同性愛者の増加と、反動としてのそれへの抵抗を生み出したという事情があるのかもしれない。この点については、今後機会あればまた考えて行くこととしたい。

同性愛といえば、劇中に登場するアイヒマンの部下、ロナルト・ツェアフェルトという俳優演じるカール・アンガーマンは架空の人物であるが、重要な役回りである。彼はバウアーと同様、人間らしい面を持っているが、一見飄々としたバウアーが実は非常に強靭な人であるということを、あるトラブルによって結果的に証明することになる。巧みな役柄設定であると思う。
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もうひとり重要な役、ヴィクトリアを演じるのはリリト・シュタンゲンベルク。やはり現在公開中の映画で、ちょっと気になっている「ワイルド 私の中の獣」の主役を演じている女優である。ここでは全く違った役柄であるが、充分に美しい。
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監督のラース・クラウメは 1973年イタリア生まれのドイツ人。主としてテレビドラマで演出を行ってきた経歴の持ち主で、長編映画は未だ数本しか撮っていない。だが本作では脚本も担当し、この作品のテーマに対する相当な思い入れを感じさせる。
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このように歴史のドラマを力強く描いた映画であり、作り手の情熱も感じられて、見応えは充分である。あえて難を言うとすると、娯楽性という点ではあまりサービス精神のあるタイプの映画ではなく、最初から最後まで手に汗握る展開ということではない。また、この映画の現代における意義を考えるには、ある程度ナチズムに対するイメージが必要かもしれず、バウアーという人物の本当の凄みは、ただ漫然と映画を見ているだけでは感じ取れないという人もいるかもしれない。あの忌まわしい世界大戦が終結してから既に 70年以上が経過するが、まだまだ語られていない視点があるはず。その意味で、歴史ドラマの分野においては、今日的な意義を持つ作品が今後も現れてくることを期待してもよいと思う。歴史に学ぶことの意味を認識しながら、これからの世界の動向を注視すること。文化はそのための強いツールになるのである。

# by yokohama7474 | 2017-01-13 00:20 | 映画 | Comments(0)

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前日に続く、本年 2度目のコンサートである。前回の記事で、新年はドヴォルザークの「新世界」交響曲の演奏頻度が高いと書いたが、実は今年の 1月の日本のオケのプログラムを見ていると、もうひとつ気づくことがある。それは、なぜかブルックナーのコンサートが多いことだ。ここで採り上げる小泉和裕指揮の東京都交響楽団 (通称「都響」) による 5番以外に、今月後半にはピエタリ・インキネン指揮の日本フィルが 8番を、佐渡裕指揮の東京フィルが 9番を演奏する。また全国を見渡すと、井上道義と大阪フィルも、やはり 5番を予定しているようである。アントン・ブルックナー (1824 - 1896) はオーストリアの作曲家。長らく教会のオルガニストを務め、40歳を越えてから本格的に交響曲の作曲を始めた人であるが、その音楽は実に大規模で荘厳なもの。ちょっとほかに類を見ない特別な作曲家なのである。
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このブログでもしばしば彼の交響曲を採り上げてきたが、それだけ日本でも人気のある作曲家であるということだろう。長大なシンフォニーは、一晩のコンサート分の演奏時間を要する場合が多いし、決して器用な構成で曲を作った人ではないので、とりとめなく長いという評価もある。従ってどうしても、彼の音楽を嫌いな人は大嫌い、好きな人はどうしようもなく好き、ということになる (笑)。私自身はもちろん、これまでの記事で明らかな通り、相当にブルックナーに入れ込んでいる、いやむしろ、熱愛していると言ってもよいことは事実 (家人など、「よくもまあこんな長い、しかも同じ曲の CD をいろんな指揮者で飽きもせず買うよね。前に買ったものをまず聴いてから買ったら?」と文句言うことしきりである)。だがそんな私でも、演奏に共感できないとたちまち、「確かに長い曲だなぁ」と思ってしまうのである。その意味では、暑い時期にブルックナーを聴くのは心理的にも肉体的にもつらいことであることは確かで、聴くならやはり夏よりも冬の時期・・・ということが理由で、1月におけるブルックナーの演奏頻度が高まっているのだろうか (笑)。いずれにせよ、誰でも楽しめるポピュラーな新世界交響曲とはまた違ったレパートリーで新年を寿ぐというのもよいではないか。

さて。今回都響を指揮したのは、1949年生まれの小泉和裕。このオケの終身名誉指揮者の地位にある。
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このブログでマエストロ小泉を採り上げるのは初めてであり、今回久しぶりに彼の実演に接するが、随分以前からこの都響とか新日本フィルで彼の指揮を聴いてきたものである。もう67歳ということだが、40代の若手指揮者の頃と変わらぬ痩身で、永遠の青年指揮者というイメージである。彼のキャリアで特筆すべきは何といっても、1973年のカラヤン・コンクール優勝であろう。この指揮者コンクールは、ベルリン・フィルの音楽監督として世界楽壇に君臨したヘルベルト・フォン・カラヤンが有望な若手指揮者発掘のために自ら立ち上げたもので、この入賞者には、今をときめくマリス・ヤンソンス (1971年、2位) やヴァレリー・ゲルギエフ (1977年、2位) などがいる。だが彼らはいずれも 2位。まあ、1位なしの 2位というケースもあるのだが、小泉の場合は正真正銘の 1位。これは素晴らしいことである。その後当然ベルリン・フィルは指揮しているが、ウィーン・フィルもザルツブルク音楽祭で指揮している。日本人指揮者には優秀な人が沢山いるが、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの両方を振った経歴のある人は果たして何人いるだろうか。この小泉以外には、小澤征爾と岩城宏之くらいではないだろうか (確認したわけではないのでほかにもいるかもしれないが、ベルリン・フィルはともかく、ウィーン・フィルを指揮できる機会は非常にハードルが高い)。そんなわけで、私がクラシックを聴き始めた 1980年代、小泉は日本人指揮者として期待の星であったが、1983年に彼が海外で就いた初のポストはウィニペグ交響楽団の音楽監督。ウィニペグとはカナダの都市で、正直なところ私は、小泉が得たポストによってその都市の名を知ったものであった。その後、彼の実演に触れる機会が何度もあり、いつもキレがよくて一気呵成に駆け抜ける音楽を暗譜で指揮するその姿に喝采を送ってきたものである。だが結局その後彼の活動は、どんどん国内にシフトすることになり、現在ではこの都響の終身名誉指揮者 (これは異例のタイトルである) に加え、九州交響楽団音楽監督、名古屋フィル音楽監督、仙台フィル首席客演指揮者、神奈川フィル特別客演指揮者と、ずらりと国内のタイトルが並ぶ。興味深いことである。高い能力のある指揮者が国内で活動を続けてくれることで、日本の音楽シーンは必ずや何かの収穫を得ることであろう。そこに、他国にはない日本独自の個性が生まれてくることを期待したくなる。

さて今回、小泉と都響が演奏したのは、上記の通りブルックナーの交響曲第 5番変ロ長調。ブルックナーの番号つきの 9曲の交響曲の中でも、その壮大な迫力では恐らくナンバーワンの曲である。昨年の春日本を襲来したダニエル・バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンのブルックナー・ツィクルスにおいてもこの 5番は出色の出来で、私も昨年 2月14日の記事でそのことをわめき散らしたものだが (笑)、今回の小泉の演奏は、少し演奏のスタイルが異なっていた。まず管楽器の規模はほぼスコアの指定通りで、木管は 2本ずつ、金管はホルンとトランペットのみ若干増強。小泉の指揮は相変わらずキレがよく、ブルックナー演奏にありがちな重さを伴ったタメは、あまり聴かれなかった。その指揮ぶりは往年のカラヤンを思わせ、直立した姿勢から両手を前に出してトンと落とすような仕草や、いざというときに左手の掌を、球を握るような形にして宙に突き出すあたりはそっくりである。また、譜面台も置かない暗譜での指揮で、その視線は楽員に注ぐというよりは指揮台に向けられるような感じであるのもカラヤン風。高い集中力だ。結果として、都響の強い音が素晴らしい充実感で鳴り響いており、特に終楽章のクライマックスにおける金管のパワーは出色であった。なるほど、久しぶりに聴くマエストロ小泉の音楽は健在であった。

ただ、もしひとつ気になる部分があるとすると、やはり楽員とのアイコンタクトがもっとあってもよいのではないかということだ。カラヤンも老年に至って、ある時期から目を開けて穏やかな表情で指揮するようになったが、今の小泉は老齢とは言えないまでも、今後そのようになって行くのかもしれないと、勝手に想像している。彼の特徴である大きな身振りは、年齢とともに困難になるであろうし、そして指揮者の凄みとは、年齢を重ねることにより、小さな動きで大きな音響を生み出すようになる点にこそあるものである。国内に軸足を置いて活動する小泉であるからこそ、そのようなさらなる高みに達することを目撃できるのは、日本の音楽ファンの特権ということになると思う。プログラムには、この都響との関係についての小泉のインタビューが掲載されているが、こんな発言がある。

QUOTE
指揮者は入念に準備をして、何かをしなければならないと勢い込んで練習場に乗り込んでくるものです。どれだけ勝手を知っていても、どうしても固くなるものです。そういった状況の時に『安心しなさい、私たちはついて行くから』と伝えてくれました。信頼でつながり、何かを生み出す。それはかけがえのない経験です。これから都響との時間は、もっと大切なものとなると感じています。
UNQUOTE

指揮者という威厳ある職業の人にしては、何とも率直なコメントであるが、そうであるがゆえに、これからの都響との実り多い共演を楽しみにしたいと思う。

ところで、ここに興味深い写真がある。1973年のカラヤン・コンクールでの授賞式であろうか。実はこの年はどうやら小泉と 1位を分け合った指揮者がいて、それは、現在でも大活躍中で、日本のオケのあれこれにも登場しており、モスクワ・フィルやボリショイ劇場の音楽監督を歴任したロシアのヴァシリー・シナイスキー。写真の右端、カラヤンから何かを手渡されている人物だ。その左が小泉。そして、そのまた左は、これはひょっとして、東京交響楽団の前音楽監督、ユベール・スダーンではないだろうか?! 調べてみると彼はこの年の第 2位。なるほど指揮者の世界にもいろんなご縁があるわけであるし、いつも私が主張している通り、これらの指揮者たちが頻繁に登場する日本の音楽シーンを、決して侮ってはいけないのである。
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# by yokohama7474 | 2017-01-11 01:28 | 音楽 (Live) | Comments(0)