オランダが世界に誇る最高峰のオーケストラ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に関しては、昨年11月の来日公演も2度に亘って記事にしたし、その2公演を聴いた者にしかわからない(?)ネタを含んだドキュメンタリー映画「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」も、今年2月7日付記事で採り上げた。ともかく、一般的な知名度の点ではベルリン・フィルやウィーン・フィルに劣っているかもしれないが、歴史的な位置づけでも現在のレヴェルにおいても文字通り世界のトップを伺う素晴らしいオーケストラである。また、この楽団の名称のもととなっているコンセルトヘボウとは、オランダ語でコンサートホールのことで、アムステルダムで1888年に建てられたそのようなシンプルな名前のホールを未だに本拠地としている点でも極めてユニーク。今回、仕事の都合でたまたまアムスに滞在することとなり、昼の業務を終えたあと、心の洗濯に向かったのがこのホールであった。
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実はこのロイヤル・コンセルトヘボウ管、この9月からの新シーズンで、首席指揮者が交代する。2004年からこのオケの人気と実力を支えてきた名指揮者、ラトヴィア出身のマリス・ヤンソンスが退き、イタリア人のダニエレ・ガッティが新たな首席指揮者に就任した。このオケのウェブサイトで確認すると、シーズン幕開けのコンサートは早くも8月下旬に、そのガッティ指揮で行われており、メインの曲目はブルックナー4番であったようだ。そして今回、9月28日から3日に亘って開かれたコンサートでは、前首席指揮者であるヤンソンスが登場した。
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その曲目は以下の通り。
 マーラー : 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

音楽好きの方は既にご存知の通り、このコンセルトヘボウ管は、マーラーが生きていた頃からこの作曲家と縁が深く、マーラー自身を指揮台に迎えてもいるし、このオケの基礎を築いたオランダの名指揮者、ウィレム・メンゲルベルクの手によって世界最初のマーラー音楽祭が1920年に開かれている。また歴代の指揮者陣もマーラーを得意としていた人たちばかりだし、20世紀におけるマーラー演奏の最大の立役者レナード・バーンスタインもこのオケでマーラーを録音している。なので、この由緒正しく音響効果も世界最高クラスのホールであるコンセルトヘボウで、ロイヤル・コンセルトヘボウ管の演奏でマーラーを聴けることは、音楽ファンにとっては誠に特別なイヴェントなのである。

私がこのホールで音楽を聴くのはこれが確か4回目であるが、いつ来ても本当に素晴らしいホールなのである。例えばウィーンの楽友協会大ホールは、もちろん同様に世界有数の名ホールであるが、音楽の都ウィーンであるだけに、観光客も結構多い。その点コンセルトヘボウは、アムスの人たちの日常生活の一部として定着していて、親子4人で来ている人たちもいれば、夫婦同僚友人、とにかく皆さん普段着で集まってきている。その気取りのなさが、我々アジアの果ての人間から見るとなんとも落ち着いて見えるし、ヨーロッパ文明の奥深さを感じさせるのだ。こればっかりはいくら説明しても充分に伝えることができず、実際にその場に行ってみるしかない。これが開演前の様子。このホールでは、ステージ奥に据えられたオルガンの向かって右手の赤絨毯を敷いた階段を下りて指揮者が登場する。また楽員は、ステージ両端の前面の階段から出入りするのである。
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会場内には様々な作曲家の名前が刻印されたプレートが貼ってある。中央に見えるのがマーラーの名前である。やはりこのホール及びこのオーケストラとの縁が深いせいであろうか。
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このホールでは、プログラムをバーカウンターで購入する。2.5ユーロと安いが、その代わり内容もスカスカだ(笑)。チケット自体は、昨今では普通であるように、ネット予約してE-チケットをプリントすればそれでよし。
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さてこのマーラー7番であるが、マーラーの交響曲の中でも最も人気のない曲であることは、大方どなたも異存のないところであろう。私も高校生の頃からいろんな演奏で聴いてきたが、何度聴いてもなじめない箇所がある。あの手この手で聴き手の耳を刺激するマーラーの作品としては、その点でいささかユニーク。6番に続いて使用されているカウベルや、この次の8番でも使用されるマンドリン、そしてギターといった楽器の特異な音色は面白いものの、肝心の両端楽章でしばしば聴かれる痙攣的な音楽は、一体何に由来するものであろうか。終楽章にはマーラーのバロック研究の成果が表れているという解説を読んだことがあるが、なるほど、そうかもしれない。だがその説明だけでは、マーラーの創作の深部に秘められた闇は見えてこないのだ。ここはやはり演奏によって何かを感じさせてもらう必要がある。

マリス・ヤンソンスは1943年生まれ。このブログで採り上げるのは初めてであるが、もちろん世界最高の巨匠のひとり。若い頃から知っているとピンと来ないのだが、既に73歳!! にわかには信じがたい。この人のよいところは非常に明快な音楽性であり、しんねりむっつりしたところは皆無だ。本当にオーケストラの力を解き放つ名人で、それは70を越えた今となっても変わらない。ベルリン・フィル、ウィーン・フィルとも緊密な関係を保つ一方で、このコンセルトヘボウと、ミュンヘンのバイエルン放送交響楽団のシェフを兼任して来たが、今般コンセルトヘボウからは退任、バイエルンの方はまだしばらく続けるらしく、来月日本公演も控えている。
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今回のマーラー7番も、そのような彼の音楽性全開の、聴きごたえ充分の演奏であった。冒頭のテーマは、マーラーが湖で船を漕いだときに着想したと言われているが、不気味な中低音が、薄暮の湖面を横切る霧の広がりを表していて見事。ステージ右手前に陣取ったヴィオラの音がその動きを先導し、早くもこの曲の不思議な雰囲気を眼前に表した。それから始まった音楽は、上で書いた通り痙攣的なもので、盛り上がったと思うと沈み込む、なんとも流れの悪いもの。だが、一音一音が最高のクオリティで鳴るこのオケにかかると、その音の浮沈が、あたかも星の瞬きか、あるいは火山活動のようにも思われる。強音部も暴力的にはならないのがこのオケの美徳であり、その音の充実感は只者ではない。ヤンソンスはいつもの通り、スコアを見ながらの丁寧な指揮ぶりであるが、既に気心の知れたコンビのこと、必要な勢いとか力を欠くことは一切なく、まさに輝かしい音の織物を紡ぎ出して行った。全体を通して安定感を欠く部分はほとんどなかったが、ただ、終楽章では、最初のティンパニの連打から広がりのある旋律につながるあたりで、オケが慣性の法則に従って(?)前のめりとなり、ほんの一瞬ではあったが崩壊の予感を感じさせた。実は以前、マゼールとニューヨーク・フィルでこの曲を聴いたときにも同じような現象が起こったことを記憶している。腕に自信の名指揮者と名人オケであればこそ危機が潜む、かなりの難所なのであろう。今回、ヤンソンスは慌てず騒がずしっかりと棒を振って、崩壊を未然に防いだのはさすがであった。また、これは日本のオケでもかなりありがちなのであるが、終楽章の大団円直前でトランペットがタータラタタタターと高音に駆け上る箇所で、見事に外してしまっていた。これだけのレヴェルのオケでもこういうことは起こるのである。生演奏は一度一度が大勝負。翌日以降の演奏ではどうなったことであろうか。

これは終演後の様子。ヤンソンスも満足そうだし、客席もすぐにスタンディングオベーションとなった。
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嬉しかったのは、帰ろうと思ってロビーに出たところ、なんとワイングラスが沢山並んでいるではないか!!
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後日聞いたところでは、この終演後のフリードリンクがこのホールのしきたりらしい。私は今回初めて知ったが、なんとも粋な計らいではないか。だが、タダ酒だからと言ってお客が殺到して取り合いになるような品のない事態は発生しない。そのまま帰宅する人たちも多くいるし、タダ酒を楽しむ人々も、くつろいだ様子で数人で語らいを楽しんでいる。一杯目を一気飲みして二杯目に手を付けるという品のないことをしているのは、周りを見渡す限り、私だけでした(笑)。また、15分ほどするとスタッフが片付け始めるので、グデングデンに酔っぱらうこともなく、さすが文化都市アムステルダムと感心することしきりでした。もうちょっと飲みたかったなぁ・・・。

コンセルトヘボウ管の新しい首席指揮者、ダニエル・ガッティとの演奏会は、10月30日に NHK BS プレミアムでも放送が予定されているようなので、楽しみにしよう。私自身はガッティに関しては、ちょっとクエスチョンマークがつくような経験もしているのであるが、なんにせよ名門オケの新たな時代の門出を楽しみたいと思う。また、ヤンソンスのバイエルン放送響との来日も楽しみだ。

# by yokohama7474 | 2016-10-01 01:25 | 音楽 (Live) | Trackback | Comments(0)
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今月始まった新シーズン、これまでと来月を見据えて、在京のオケの中で私が最も高く評価する活動を繰り広げているのは、読売日本交響楽団(通称「読響」)である。9月初旬に始まった二期会の「トリスタンとイゾルデ」と、そこで指揮をしたスペインの巨匠ヘスス・ロペス=コボスとの初顔合わせのコンサート(ピアノはこれもスペインの人間国宝的存在、ホアキン・アチュカロだ)、そして今日から3日間、このオケの名誉指揮者として日本でもおなじみのゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとの演奏会。また来月に入ると、音楽監督シルヴァン・カンブルランの一連の演奏会に、日本でただ一度だけ開かれるフランスの巨匠ミシェル・プラッソンとの演奏会。それから、五嶋みどりが2曲のソロを弾く演奏会が予定されている。ただ私は、ロペス=コボスとの演奏会には行けなかったし、五嶋みどりが出演する日も含めて、カンブルランの演奏会には多分一度も足を運ぶことができない。そんなことから、今日の演奏会はなんとしても行きたかったのである。1931年生まれ、今年実に85歳になるロシアの巨匠、ロジェストヴェンスキーの演奏会である。上のポスターの一部を拡大してみよう。
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百戦錬磨の大巨匠とは言いえて妙。ボリショイ劇場やモスクワ放送交響楽団、またソヴィエト政府が彼のために組織した文化省交響楽団といった母国での偉大なる活動に加え、BBC交響楽団、ウィーン交響楽団、ストックホルム・フィルといったメジャーなオケを率いた、文字通りの大巨匠。私の場合は、クラシック音楽に親しむ前から彼の録音を聴いていたという経緯がある。小学生の時に、普段はクラシックなど聴かない両親が大枚はたいて購入したであろう、クラシック音楽大全のようなセットもの(アナログレコードを、それを乗せるとスピーカーをふさいでしまうような 笑 小さなプレーヤーで聴いた)の中に、この指揮者の演奏が含まれていたのである。今にして思えば貴重なことだと思うが、そこには彼の父親、ニコライ・アノーソフの指揮による録音(私が初めて親しんだ交響曲であるドヴォルザークの「新世界」など)も含まれていた。アノーソフはロシアでは名高い名匠であったので、このロジェストヴェンスキーはその父との混同を避け、母方の姓を名乗ったとのこと。大家には大家の、他人には分からない悩みがあるものだ。その天才的な棒さばきから、指揮台の魔術師とも呼ばれた、若き日のロジェストヴェンスキー、略してロジェヴェン。
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このロジェヴェン、読響とのつきあいは長く、1979年以来実に35年以上。現在は名誉指揮者の職にある。ハイドンとショスタコーヴィチを組み合わせた一連のシリーズなど、大変素晴らしい成果をこの楽団に残して来た。日本のクラシック音楽の活況に大いなる貢献のあった人である。老齢のため、次の来日はいつかいつかとハラハラして待っていた私としては、今回の演奏会は本当に嬉しいものであった。その思いは、85歳になって未だ衰えぬこの指揮台の魔術師の、まさに魔術的な演奏に接したことで、充分に満たされたのである。

事前の発表では、チャイコフスキーの3大バレエとしか記述がなかったが、曲目詳細は以下の通り。
 チャイコフスキー : バレエ音楽「白鳥の湖」から序奏/ワルツ/4羽の白鳥の踊り/ハンガリーの踊り/スペインの踊り/フィナーレ
 チャイコフスキー : バレエ音楽「眠りの森の美女」からワルツ/パノラマ/アダージョ
 チャイコフスキー : バレエ音楽「くるみ割り人形」第2幕

19世紀の音楽文化には数々の成果はあれど、チャイコフスキーのバレエ音楽は、その中のひとつとして、充分に人類のかけがえのない遺産に数えられる。そのことは分かっていたつもりであるが、ロジェヴェンが登場して、いつもながらに指揮台のない平土間のステージ上で長い指揮棒を操り始めたときから、もう心がやられてしまっている。こんな素晴らしい音楽を作り出した人類は、本当にすごい。それぞれの人間に与えられた生は限られたものであっても、このような音楽が鳴り響く地球とは、なんと素晴らしい星であることか!!・・・と、あえて大げさに書いてみたが(笑)、今日の読響は、コンサートマスター小森谷巧以下、本当にすごい音響が鳴っていた。これぞロシア音楽の醍醐味。バレエ音楽の醍醐味。前半の曲目の盛り上がりでは、ブルックナーを想起するほどの分厚く勢いのある音が鳴っていて、いつも日本のオケの金管に残念な思いを抱いている私にとっても、全く間然とするところのない華麗な音響であった。もちろん後半の「くるみ割り人形」第2幕には、このバレエの組曲でおなじみの曲があれこれ含まれていて、もう楽しいことこの上ない。85歳にしてこの生命力溢れる音楽を奏でるロジェヴェンは、やはり現代における最高の指揮者のひとりである。もう何も言うことはない。あるとすればただひとつ、また元気に来日して下さいということだけだ。
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私は今晩から出張に出るので、これから一週間程度はブログの更新ができない。だが私の耳の底には、百戦錬磨の大巨匠が繰り広げた音響が未だに残っているので、それを頼りに、お仕事頑張りますよ。

# by yokohama7474 | 2016-09-24 20:37 | 音楽 (Live) | Trackback | Comments(0)
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神奈川県立近代美術館と言えば、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にあって、「カマキン」の愛称で親しまれた美術館である。だが、今年1月11日の記事で採り上げた通り、そのカマキンは先日惜しくも閉館となってしまった。だがこの美術館、本館は閉鎖してしまったものの、鎌倉に別館があるし、実は葉山にも比較的新しい建物があって、時々面白い展覧会を開いている。陽光溢れる葉山の海岸沿いに建つこのような場所だ。
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これまでにここを訪れたときには、私の大好きなチェコのヤン・シュワンクマイエル、ロシアのユーリ・ノルシュテインといった、いわば芸術派のアニメーターの展覧会を見ることが多かったのだが、そこに今回新たな1ページが加わった。米国フィラデルフィア出身の双子の映像作家、スティーヴンとティモシーのクエイ兄弟(あるいは、ブラザーズ・クエイといった方が座りがよいか)の展覧会である。1947年生まれなので、来年70歳になる。
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私がこの展覧会を見てから既に二週間が経過してしまっているが、だが大丈夫。開催期間は10月10日まで。まだあと二週間残っている。非常に趣味性の高いアーティストであるので、興味のない方には無縁であろうが、彼らの怪しい雰囲気に身を乗り出す方には、是非この展覧会を訪れて頂きたい。あ、それから、この美術館のすぐ近くには、日本画家の山口蓬春の旧自宅兼アトリエが残されているので、そちらもお薦めだし、ちょっと南に足を延ばすと、運慶作の重要文化財の仏像を5体所蔵する横須賀市の浄楽寺もある。うわー、クエイ兄弟に山口蓬春に運慶と、全く共通点のない時空を超えた組み合わせであるが、このラプソディックな記事をモットーとするブログを書いている身としては、これらを同じ日に回られることを、併せてお薦めしておこう。食い合わせの悪さで精神的下痢(?)を起こされても、当方は一切関知しません。

いつもの寄り道はこのあたりにして、さて、クエイ兄弟である。このブログでは既に一度、その名前が出ている。今年の1月23日の勅使川原三郎のダンスについての記事である(ちなみにその記事へのアクセスは非常に少なくて、ちょっと残念な思いをしているのだが・・・)。そのダンスはポーランドの作家ブルーノ・シュルツの作品から想を得ていて、そのシュルツの別の作品をクエイ兄弟が映画化したのが短編「ストリート・オブ・クロコダイル」。私は学生時代にその作品といくつかのクエイ兄弟の短編を劇場で見て、ガツーンと脳天をやられてしまったのである。もう一度その作品のポスターと、いかなる映画であるかのイメージを持って頂けるような場面の写真(ポスターの一部だが)を掲載しておこう。
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今手元に、1988年公開当時のプログラムを持ってきて見てみると、当時の衝撃が甦ってくる。中でも、やはり私が敬愛してやまない英国の映画監督、ピーター・グリーナウェイ(最近とんと活動を聞かないので淋しい限りであるが)までが文章を寄せている。
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ご覧頂けるように、この映像作家が立っているのは芸術文化のDark Sideであって、決してBright Sideではない。趣味性の高いアーティストであると書いたのはそういうことである。Dark Side好きの私にとっては感動の嵐であっても、Bright Side好きの方の中には、「なんだよこれ」と眉をひそめる向きもあろう。そのような方には、この展覧会はお薦めしません。

さて、日本ではこの映画でクエイ兄弟の名前は大ブレイク(?)したのであるが、その後彼らの作品に触れる機会は非常に限られていた。1995年に制作した長編映画「ベンヤメンタ学院」は正直なところ期待外れ。その後2005年にやはり長編映画の「ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク」を制作しているが、私はそれを見ていない。それら以外にクエイ兄弟の名前を聞くことはなく今日に至っているのであるが、その長い間の渇を癒すのがこの展覧会である。会場では、彼らの数々の短編作品を上映しているほか、撮影に使われたパペットの類もあれこれ展示されている。また、兄弟の美意識の原点を辿ることのできるデッサンや鉛筆画、また彼らが手掛けたCMや舞台美術などにも触れることができ、これまで「ストリート・オブ・クロコダイル」で大ブレイク(あ、だからこれには"?"がつくのだが 笑)して以来未知であったクエイ兄弟の全貌に迫ることができる、貴重な機会なのである。

上記の写真でも感じられると思うが、クエイ兄弟の持ち味はかなりブリティッシュな感じである。確かに彼らはロンドンのロイヤル・アカデミーに学び、今でもロンドンに住んでいるものと理解している。だが実は彼らの生まれは米国ペンシルヴァニア州、フィラデルフィア郊外である。今回の展覧会には、「母と双子」という1948年の写真が出品されているが、これが彼らの幼少時の写真なのであろうか。生まれは1947年なので、1歳ということになる。
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いやー、この写真、1歳にして既にクエイ兄弟の最初の作品のような気がする。遠景の2人の赤ん坊の無人格性と、後年彼らの作品中でパペットが行うなんらかの「労働」を、ここでは彼らの母が行っており、そして不気味に大きく開いた地下室への入り口が、何か神秘なものを思わせる。それぞれが、まごうことなきクエイ・ワールドではないか!!

20代の頃の鉛筆画にも面白いものが沢山ある。これは、「シュトックハウゼンを完璧に口笛で吹く服装倒錯者」(1967年頃)。カールハインツ・シュトックハウゼンは当時バリバリの前衛作曲家。電子音楽(って古い言葉だな)をいち早く取り入れ、頭が痛くなるようないわゆる現代音楽を盛んに作った人だ。だから、そのシュトックハウゼンの音楽を完璧に口笛で吹くなど、ありえない話(笑)。このあたりにこの兄弟のブラックな面が出ている。
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でもこれは、誰が見ても面白いと感じるであろう。「幻想 - 外したゴールのペナルティ」(1968年頃)。幻想的な絵本の挿絵のようでもあり、シュールな雰囲気をたたえていて物寂しいが、それと同時に、Dark Sideのクエイ兄弟にもサッカーに興じた少年時代があったのかと思うと、ちょっとほっとする(笑)。
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ついでにサッカーを題材にした作品をもうひとつ。「ペナルティーキックを受けるゴールキーパーの不安」(1970年代)。いいですねぇ。ノスタルジーと不気味さのほどよい調和というか。
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これは、「切断手術を受けても意欲的な人のための自転車コース」(1969年)。クエイ兄弟の中にある、身体の変容といびつな運動性というテーマへの強い興味がここにも表れている。感性として似ているのは、もともとモンティパイソンのイラストレーターであったテリー・ギリアムであろう。そういえば、彼らの2作目の長編映画「ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク」の制作総指揮はギリアムらしい。
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彼らの作品を見ていると、いかにDark Sideとはいえ、ただおどろおどろしいのではなく、そこには冷徹な知性が常に感じられる。音楽や文学に材を採った作品も多い点も特徴だ。これは、「MISHIMA」(1971年頃)。言うまでもなく三島由紀夫のことだろうし、制作年から明らかなように、前年の三島の自決に対するクエイ兄弟の反応であろう。仮面としての剣道着を着た人物がねじれたポーズを取っている。私が勝手に想像するのは、この剣道着がカポッと外れて、中に入っている三島の肉体がバラバラと崩壊する様子である。
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短編映画の撮影に使用されたとおぼしきセットが沢山展示されていて興味尽きないが、まずはやはり、代表作「ストリート・オブ・クロコダイル」だ。
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あぁ、いつまでもこのセットの前に佇んでいたい。あるいは、このセット、欲しい!! ・・・という叶わぬ欲求を起こさせる耽美性なのである。CG全盛の今日、このような手作りパペットはあまり流行らないだろうし、撮影にかかる手間も膨大なものであろうが、その徒労にこそ高い趣味性が潜んでいる。これは「パンチとジュディ」。もともとある英国の人形劇らしいが、作曲家ハリソン・バートウィスルが1968年に書いた同名のオペラに想を得ている。バートウィスル!!現代音楽の分野ではそこそこ有名ではあるが、一般的な知名度は低いだろう。ところでこれ、殺戮のシーンではないのか!! なんともブラック。
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作曲家を扱った短編映画も多い。ストラヴィンスキーを題材にした「イーゴリ --- パリでプレイエルが仕事場を提供していた頃」(1982年)や、「レオシュ・ヤナーチェク --- 心の旅」(1983年)。
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それから、クエイ兄弟が大きな影響を受けたチェコ・アニメの大家、ヤン・シュワンクマイエルを題材にした「ヤン・シュワンクマイエルの部屋」(1984年)。人形を使った魔術の国、チェコ。ルドルフ2世が作った「驚異の部屋」やアルチンボルド。そのようなイメージの断片を散りばめていて、知性と悪魔主義的感性が融合している。これぞクエイ兄弟の真骨頂。
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これだけ趣味性の高い創作活動をしていると、ちゃんと食べていけるのであろうかという余計な心配をしてしまうのであるが、そこはそれ、結構ミュージック・ビデオやコマーシャルの仕事をしているらしい。あぁ、よかった(笑)。以下はそれぞれ、ハネウェル(1986年)、ニコン(1989年)、コカコーラ(!1993年)のCMから。趣味性の追求に妥協はないように見える。
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それからこれは、アイルランドのビール銘柄、マーフィーズのモノクロのCM(1996年)。侍が忍術によって瓶に触れずにビールを飲み干す。
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フランスの天然微発砲水、バドワのCM(1998年)。フランスではクエイ兄弟の人形パペットが、普通にテレビに出ていたということだろう。
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それから、舞台美術もあれこれ手掛けているようだ。以下は、イングリッシュ・ナショナル・オペラでのプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」(1988年)と、ロイヤル・ナショナル・シアターでのチャイコフスキーの「マゼッパ」。
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この展覧会には一ヶ所、写真撮影OKの作品がある。映画「ベンヤメンタ学院」に使われたセットで、「粉末化した鹿の精液の匂いを嗅いでください」とある。いやですよそんなもの(笑)。と心配するまでもなく、近づけないので匂いを嗅ぐことはできない。
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ここでご紹介した以外にも、クエイ兄弟の持ち味満載の展示物が目白押しである。面白いのは、双子なので人間としては二人なのであるが、どの作品も、二人のうちのどちらが作ったとか、制作にあたってどのように役割分担したとか、そのような記述は一切ない。それだけ二人は一心同体ということであろうか。これを機会にまた日本で人気が再燃して、次の映画作品にとりかかってもらえればいいなぁと思っております。そのためにも、この展覧会に行かれる方には、是非山口蓬春と運慶も同日に鑑賞して頂き、イメージの衝突に慣れておいて頂ければと思う次第であります。

# by yokohama7474 | 2016-09-24 11:36 | 美術・旅行 | Trackback | Comments(0)
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今回の記事はいつもと若干趣向を変えて、写真の二連発から始めた。1枚ものと、アンディ・ウォーホル描くキャンベル・スープよろしく同じ図柄が複数集まった上に(あ、以前も使ったネタである 笑)、チョンと東京フィル(通称「東フィル」)の演奏会がほぼ毎回そうであるように、「満員御礼」の札が貼ってあるものとである。このような映像が2016年9月の音楽シーンのひとつの記録になるであろう。私にとっては、9月からの新シーズンにおいて、東京のメジャーオーケストラ7団体のうち6団体目の鑑賞になる。これで今シーズンで未だ演奏会を楽しむ機会がないのは東京交響楽団だけになった(10月には機会が到来する)。これまでこのブログの記事でご紹介して来た通り、今般の東京の新音楽シーズンは非常に充実しているわけであるが、わけても、まぎれもない現代のトップ指揮者である韓国出身のチョン・ミョンフンの指揮する東フィルの演奏は、掛け値なしに東京の音楽ファンにとって見逃すことができないイヴェントになっている。

今月、チョンと東フィルは2種類の曲目による3回のコンサートを開く。私が今回聴いたものは、既に同じ内容で9/21(水)に東京オペラシティにて開催された演奏会と同じ、以下のような演目である。
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(ピアノ : チョ・ソンジン)
 ベートーヴェン : 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

なるほど、逃げも隠れもできない真向勝負のベートーヴェン尽くし。実はチョンが今回採り上げるもう1つのプログラムは、やはりベートーヴェンの6番と7番。うむ、逃げも隠れもする必要はない。チョンと東フィルの力量が試される機会となるだろう。チョンは2001年にこのオケのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任してからはや15年。現在では名誉音楽監督というポジションを得ている。チョンの演奏はこのブログでも何度も採り上げてきたが、その度に大きな刺激を受けている。今回も期待せずにはいられないのである。

今回登場するソリストは、昨年のショパン・コンクールの覇者で、既に国際的な活動を始めている、弱冠22歳の韓国のピアニスト、チョ・ソンジンだ。既に名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからライヴ盤が出ている。
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彼がショパン・コンクールに優勝した直後に来日して、ウラディミール・フェドセーエフ指揮のNHK交響楽団と共演した際の演奏については、昨年11月21日の記事で採り上げた。今回自分の過去の記事を読み返してみると、今回の演奏の感想と共通する部分が多いことに若干の驚きを覚えるとともに、いつもチャランポランな私としては、音楽に関して自分の抱く感想がコロコロ変わることがないことを知り、なにやらほっと一安心だ(笑)。要するに前回も今回も私が感じたのは、この若きピアニストの場合、発展途上というよりは、既に完成した音楽家であるということだ。彼が弾いた「皇帝」は、その名の通り華麗で力に満ちた演奏が求められるところ、彼のピアノは、ただそのような外面的な効果を狙うというより、音楽の本質を丁寧に抉り出すようなイメージであったのである。若い演奏家を聴く楽しみの多くは、彼または彼女がその後いかに成長して行くかという点にあり、私も過去の記事でそのようなことを述べたことが何度もある。だが、「将来が楽しみだ」といった感想もあってもよいとはいえ、若かろうが熟年だろうが、まずはその演奏家の現在に耳を傾けるべきであろう。今回のチョの演奏からそのような感想を抱いた。彼のピアノは美しく流れがよく快活で、まさに若さに満ち溢れている。そして、それだけにとどまらないところが非凡なのである。今回の演奏では、チョンの推進力ある伴奏にも助けられたかもしれないが、実は数十名のオケに相対して、チョのピアノが先導するような箇所も、実際に何度か聴かれたと思う。いたずらに派手な効果を狙わないのに、音楽は溌剌とし、愉悦感にあふれている。なるほどこれは素晴らしい才能であると再認識した次第。それはアンコールで彼が弾いたベートーヴェンの「悲愴」ソナタの有名な第2楽章の演奏にもはっきりと表れていた。私もこの楽章には心から惚れ込んでいる人間であるが、あまり情緒的で思わせぶりな演奏では鼻白んでしまうところ、今回チョのピアノは、ごく自然体で感傷を排した、でもこの上なく美しい演奏であり、素晴らしい説得力であった。

後半はベートーヴェンの名作「田園」交響曲である。この曲はベートーヴェンの9曲の交響曲の中でも異色の作品であり、内容が親しみやすい割には、本当に質のよい演奏をするのは難しい曲であろうと思う。もともと交響曲とは、ソナタ形式に基づく器楽だけの形態。古典派の時代には、純粋な音の喜びの表出がメインであったはずだが、この曲は鳥の声や、農民の踊りや、嵐や、嵐が過ぎ去った後の晴天下における神への感謝など、いわゆる純粋な音楽以外の要素がふんだんに入っている。ここには情景の描写もあるが、それよりも重要であるのは、田園地帯で人間の感じる感情こそが、音に表されるべき対象であるということだ。チョンはインタビューでこの曲に関し、以下のように語っている。

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『田園』は私が愛してやまない交響曲です。奇跡的な音楽であり、人間的という点で言えば、歴史上の全交響曲の中でも最高の作品。音楽を通してベートーヴェンがどれほど自然を愛していたかということがよくわかります。
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演奏家としてこれだけ率直にものを言ってしまうと、自らの演奏の質を厳しく問われるようにも思うが(笑)、さすが円熟の境地のチョンである。期待にたがわぬ素晴らしい演奏を聴かせてくれた。テンポは若干速めであったが、オケの面々にお互いの音を聴かせるように導いていて、その重層的な各パートの鳴り方に、何か尋常ではない強い表現意欲を感じることができた。そうだ。それから、7月22日の記事で書いた、チョンの音楽が師のジュリーニに似てきたという感想を、今回も抱くこととなった。民族もメンタリティも、きっと日常生活で好きな食べ物も(笑)、この師弟の間では異なる点が多いのに、不思議なことに音楽という文化活動においては、師弟間におけるそのような差異の要素よりも、類似の要素が、いずれかの時点で出て来てしまうのであろうか。興味深いことである。ともあれこの「田園」、いつものようなチョンの「寄らば切るぞ」という気迫よりも、人生の収穫を楽しむという感覚に満ちていたと思う。あとは、例えば終楽章でさらに凝縮した音が鳴っていればよかったようにも思う。だが素晴らしい熱演であったことは間違いない。

そして、定期演奏会としては珍しいことに、アンコールが演奏された。同じベートーヴェンの交響曲第7番の熱狂の終楽章だ。この曲は今回のチョンと東フィルの一連の演奏会のうち、9/25 (日) のメインの曲目になっている。多分この日の昼、この曲のリハーサルをしたところなのだろうか。楽器編成もほぼ同じ。ただ例外は、「田園」の後半に使われているトロンボーンが、7番では使われていないということだ。なので、このアンコールにおけるトロンボーン奏者たちは、同僚たちの熱演を高見の見物としゃれこんだわけである(?)。ただ、「田園」と同じく、大団円に向けてさらに音に緊密度が高まれば、さらによかったかもしれない。

今回の演奏会ではハプニングがもうひとつ。開演直前にオケがチューニングをする際、通常はオーボエが最初に「ラ」の音を出すが、ピアノがステージにある場合には、コンサートマスターがピアノの鍵盤を叩いて同じラを出すのである。ところが今回、コンマスがピアノに向かったところまではよかったのだが、間違えて全然違う音を出してしまい、楽員も聴衆も爆笑だ。これは珍しいことであるはず。まぁこれはご愛敬で、演奏が始まってしまえば、きっちりプロの音楽が奏でられていたのであるが。このような些細なハプニングが、時に思い出作りに貢献するし、音楽を奏でるという行為の真剣さを逆に強調することになるだろう。・・・と、ここはすっきり整理しておこう(笑)。

チョンと東フィル、次の演奏が待ち遠しい。

# by yokohama7474 | 2016-09-24 01:56 | 音楽 (Live) | Trackback | Comments(0)
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本公演は、上のチラシにある通り、ジャパン・オペラ・フェスティヴァル2016奈良公演と銘打って開催されたものである。この名称だけでは内容が分からないが、実質的にイタリアの名門歌劇場であるボローニャ歌劇場の引っ越し公演である。指揮をするのはこの歌劇場の首席客演指揮者であり、この歌劇場のオーケストラがシンフォニーコンサートを演奏する際の名称であるボローニャ・フィルの音楽監督である、1968年生まれの吉田裕史(ひろふみ)である。
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恐らく首都圏の方は、「あれ?9月28日のサントリーホールでのコンサートなら知っているけれど、オペラ公演があったとは知らなかったな」と思われる方がほとんどではないだろうか。かく申す私も、この公演のことを全然知らなかった。つい数日前、興福寺の五重塔・三重塔初層同時公開(関連記事は追ってアップ予定...ちょい時間を頂きます)を見るために奈良に向かう途中、近鉄京都駅のプラットフォームに入るまでは。そこで私が目にした光景はこれだ。
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2010年の平城京遷都1300年を記念して開かれた数々のイヴェントのキャラクターとして彫刻家 籔内佐斗司(やぶうち さとし)が考案した、あのせんとくんである。なんの変哲もない(?)せんとくんと思いきや、その向かって右側のチラシが私の気を引いたのだ。
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あの復元された平城宮の中心の建物、大極殿の前に特設ステージを設けて、あのプッチーニの名作「トゥーランドット」を演奏する。しかもあのマエストロ吉田とあのボローニャの共演。東京のコンサート会場で配布されているチラシ(原始的ながら、公演情報としては未だ非常に有用なツール)では見たことがないし、いわゆる大手のチケット業者が扱っていないのか、これまでこの公演のことを聞いたことは皆無であった。だが、せんとくんのお導きで知ってしまったからには、これにはどうしても出掛けねば。というのも、実は私はこのマエストロ吉田とは若干の知遇を得る幸運に浴しており、彼の音楽の素晴らしさをよく知っているからだ。文化に敏感な方々に覗いて頂いているこのブログにおいては、やはり採り上げるべき対象である。スケジュールには多少の無理はあったが、万難を排して会場に赴いた。

まずこの吉田(本来は「氏」をつけるべきであろうが、ほかの指揮者同様の敬意を込めて、以下呼び捨てとする)であるが、日本人にしては珍しく、イタリアで着々と地歩を築いている指揮者である。以前、マントヴァ歌劇場の音楽監督であった頃、「日本人の指揮者でイタリアでポストを持った人って考えても思いつかないんですけど、ほかにいましたっけ」と訊くと、胸を張って「私が初めてです」とおっしゃったものだ。そして今では、あのイタリア有数の名門、以前はあのリッカルド・シャイー(ミラノ・スカラ座の現音楽監督)も音楽監督を務めたボローニャ歌劇場の首席客演指揮者である。イタリア人にとってのイタリア歌劇は、まさに自分たちの文化遺産。彼らの感じる誇りは、往々にして外国人への偏見につながるものだと思うし、言語ひとつ取っても、イタリア語が完璧にできないとまず信用されないであろう。吉田はそんな中、まさに「敵地」でひとり孤独な闘いを続けた結果、自らの実力で今日の地歩を築いた人なのである。私は彼の「蝶々夫人」を聴きにミラノ近郊のノヴァッラまで出かけたこともあれば、国内でも「フィガロの結婚」「魔笛」の素晴らしい指揮ぶりを聴いている。彼にとっては別に日本だけが舞台である必要はなく、イタリアをはじめとする世界で活躍して頂ければよいのだが、やはり故国日本で、さらに知名度を上げ、活躍の場を増やしてもらうことを切に祈っている。

実は吉田の指揮する日本でのボローニャ歌劇場のオペラ公演はここ数年続いていて、2013年には清水寺でマルティーニの「ドン・キホーテ」(知らない曲だ!!)ほか、2014年には二条城で「蝶々夫人」、昨2015年には姫路城と京都国立博物館で「道化師」が演奏されてきた。昨年からは、投資信託さわかみファンドの創業者、澤上篤人が会長を務める「ジャパン・オペラ・フェスティヴァル」としての上演となっている。それにしても、毎年凝った場所での公演だが、いずれも関西であるのは何か意味があるのだろうか。吉田はゆるぎない信念の人であり、かなりの硬骨漢であるので、なんらかの主張が込められているのかもしれない。

さて今回の会場は、国が長期的な復元計画を遂行中の平城宮址において、2010年に木造で復元されている巨大な建物、第一次大極殿の前の特設広場である。実はこの日は曇りか雨か、微妙な天気。覆うもののない野外での公演ゆえ、雨天なら中止になるが、主催者のウェブサイトで9時、12時、15時の3回アナウンスがあり、公演開催決定とのこと。平城宮址は近鉄の大和西大寺駅から歩いて10分あまり。道の途中も、敷地内に着いてからも、きっちり環境整備されている場所とは言い難いが、広い草むらのむこうに、ついにこのような巨大な建物が見えてくると、ワクワクする。
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この建物より10年以上前、1998年にこの遺跡で最初に復元された建物である朱雀門は、かなり遠くに見える。このガランとした空間に、これから復元作業が続いて行くのであろう。ところで、この門のすぐ前を近鉄が走っているが、オペラの会場からはかなり距離があるため、その音が音楽の妨げになることはない。写真で見えるクレーンは、回廊の復元作業用であろうか。
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16:30 開場、17:30開演予定とのことであったが、結局16:55まで待たされることになり、このような門の前で開場を待つ人たちの長蛇の列ができた。
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いよいよ開場となり、中に入ると、さすがに雄大なステージ設計である。空模様は気になるものの、なんとか行けそうだ。
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野外特設ステージゆえ、椅子はこのような質素なもの。全部で 3,000席は超える収容人数であっただろう。楽員たちもその場で上着を着るなど、くつろいだ雰囲気。
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そして開演前にはこのようなドラが鳴らされる。これは、イタリアの野外オペラの代表であるアレーナ・ディ・ヴェローナを真似ているのだろうか。ふと見るとカラスが一羽、どこからともなくバサバサ飛んできて、屋根の上から見下ろしている。このあたりのハプニング性も野外公演ならではで、面白い。
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こうして始まった「トゥーランドット」であるが、総じて言えば演奏のレヴェルはかなり高かったと思う。だがその一方で、会場設営や音響効果に課題が残り、ちょっともったいないような気がした。まず、歌手はいずれも高度な出来。主要な配役は以下の通り。
 トゥーランドット : ノルマ・ファンティーニ(イタリア人。ィーン、ミラノ、MET等に出演。新国立劇場では「アイーダ」「トスカ」のタイトルロール等で出演多し)
 カラフ : イアン・ストーリー(英国人。スカラ、MET、コヴェントガーデン等に出演。ベルリン州立歌劇場では「神々の黄昏」のジークフリートを歌ったこともあり)
 リュー : シッラ・クリスティアーノ(ボローニャ出身。イタリアを中心に活躍)

トゥーランドット役は、当然強い声を必要とされるわけだが、内面には恋への憧れを持ち、再終幕では可憐さすら求められる。私はあまり強すぎる声、たとえば昔のビルギッテ・ニルソンとか、この役を当たり役にしたゲーナ・ディミトローヴァで聴くと、ちょっと白けるようなところが正直あるのだが、今回のファンティーニの声には最初から優美さもあって、大変よいと思ったものだ。
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カラフのストーリーは、堂々たる体躯に張りのある声。演技も上々だ。
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その他、この曲で難しい箇所のひとつであるピン・パン・ポンの絡みもなかなかに絶妙で、うまく劇の流れが作られていた。但し、どうやらPAは使っていなかったか、もしくは限定的であったようで、私のいた前から10列目くらいでは、弦の響きなどはかなり聞こえにくく、本来鳴っていたであろう劇的な音は、残念ながら野外ではその効果がかなり薄れてしまっていたとしか言いようがない。また合唱団も、ボローニャ歌劇場合唱団と、オーディションで選ばれた日本人メンバーの混成で、舞台の両脇に長く伸びて陣取ったこともあり、コロス的に運命を語り物語を強く後押しするだけの凝縮性に欠けた点も残念であった。吉田は小柄な人であるが、その強い統率力はまぎれもない一流のオペラ指揮者であることを証明している。今日の指揮ぶりは、これまでにほかの演目で接してきた強い集中力とリズム感溢れるものであったものの、この環境では、実際に耳に入ってくる音にかなり自分のイマジネーションで補強して聴く必要があったものだ(笑)。

だがまあ、野外オペラである。そもそもオペラハウスでの演奏とは異なる環境であり、あまり硬いことは言わず、徐々に暮れ行く空間の中、いわば舞台の「借景」として堂々たる姿を見せる大極殿を見上げながら、一時日常を忘れたい。第1幕が終わる頃には既にあたりは暗くなっていて、雰囲気が出てきましたよ。幕間に見る指揮台もなかなかカッコよい。指揮者の戦場である。
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ただ、音楽面を離れて会場設営上の難点も散見された。最大の難点は、トイレや飲食物の売店までが遠すぎること。これではなんとも慌ただしいし、体の不自由な人たちはかなり困ったことだろう。休憩が1回ならともかく、3幕物で休憩が2回入ると、この点は大きな課題になる。主催者の方々は、是非来年以降はこの点を熟慮して、会場と曲目を選んで頂きたい。もちろん、そもそもがオペラ上演を想定しているわけもない場所でのこのような公演には様々な困難があったことは容易に想像でき、この公演を実現に漕ぎ着けただけでも、心からなる敬意を表したい。

さて、実はこのオペラ、作曲者プッチーニが途中で再終幕を完成させずに死んでしまい、未完成に終わったものを、弟子が補筆完成させたのであるが、実は今回の公演も、残念ながら未完成で終わってしまったのである。つまり、第2幕が終わって第3幕に入ろうかというとき、ポツリポツリと雨が降ってきたのだ。野外とは言っても、これがサッカーとかラグビーなら、雨が降ろうと試合は続いて行くわけであるが、さすがにオーケストラの楽器は水に濡れると相当まずい(笑)。楽員の人たちはさっさと楽器をケースに入れて避難してしまった。その後しばらくは小雨、あるいはタイミングによっては弱い霧雨が続き、空を見てもあまり雲は厚くなかったので、観客たちはじっと席で我慢していたのである。しかしながら、そのうち雨具なしにはすまない状況に。
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待つこと、恐らくは30分くらいであったろうか。「出演者とどのように演奏を継続するか協議中」とのアナウンスが何度か流れた後、主催者の澤上篤人と指揮者の吉田、そしてボローニャ歌劇場の責任者のイタリア人が出て来た。傘で遮られているが、これがその時の写真。
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それによると、この天気ではオケが演奏できない。だがせっかくなので(第3幕にはこの曲最大の聴きどころ「誰も寝てはならぬ」もあるし)、ソロ歌手と合唱団には歌ってもらい、ピアノ(聴こえて来た音からするとピアノではなくエレクトーンであったように思うが)で伴奏して最後まで演奏します、とのこと。聴衆からは拍手はあったものの、正直なところ雨が弱まる気配がなく、半信半疑という雰囲気であった。案の定、それから雨足はむしろ強まってしまい、さらに10分ほど経過してからまた3人が出て来て、歌手にとって雨の中で歌うのは危険なので、残念ながら今日の演奏はここで中止としますとの発表があった。そうして人々は家路についたのであるが、周りの人たちの声は、「まあ雨だからしょうがないね」というもので、特に大きな混乱は見られなかった。

そんなわけで、尻切れトンボの上演となってしまったわけだが、次回、9/24(土)にはちゃんと通しでやりますとのこと。今年の日本は台風にやられたい放題で、しかも嵐が去っても爽やかな台風一過の秋晴れにはならないケースばかり。天気はコントロールできないので、主催者側の落ち度ではなんらないものの、ちょっと不便な会場設営と合わせ、若干疲れる未完成オペラの鑑賞となってしまった。演奏内容自体はかなりのものであっただけに、残念だ。ただ、私の席の近くの人が、「これもいい思い出になるね」と言っているのが耳に入った。そうそう。何事も前向きにとらえよう。マエストロ吉田とボローニャの次回公演に期待。





# by yokohama7474 | 2016-09-23 01:53 | 音楽 (Live) | Trackback(1) | Comments(0)

川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。


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