メイズ・ランナー (ウェス・ボール監督 / 原題 : The Maze Runner)

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これはすごい映画だ。予告編のイメージは「ハンガーゲーム」、見てみると雰囲気は「スターシップ・トゥルーパーズ」、ドンデン返しは「SAW」、そして続く次作は、これは絶対ゾンビ物だろう!! という勝手な想像を抱かせる、一粒で何度もおいしい作品だ。

全く先を読ませない展開、若手ばかりの個性的な俳優陣、スピーディで効果的なカット割り、どれを取ってもすばらしい。実に恐るべき手腕と言わねばならないこの監督は、これがデビュー作とのこと。今日のハリウッドシステムの中では、監督の個性を発揮することは難しく、作品がヒットして大作を任されるようになるほどその傾向が強いであろうが、このような輝く才能には、是非この個性を保って欲しい。

数々あるこの映画の秀逸な点のうち、顕著なものをひとつ挙げるとすると、役者の顔の多彩さがあるだろう。前の記事で「龍三と七人の子分たち」で、役者の無名性に言及したが、この映画にあるのはその全く逆の、それぞれのキャラクターに合った、「もうこれしかない」という必然性すら感じさせる、それぞれの役者の顔だ。設定上、様々な人種が集まっているわけであるが、「思慮深く繊細な面を持つ黒人リーダー」、「強靭な肉体と精神を持つアジア系」、「鼻っ柱が強く自己中心的な白人」といったキャラクターを、まさにそれぞれの顔が雄弁に語っている。映画とは、映像と音声のアマルガム。観客の感情移入は、このような周到に用意されたキャラクター描写によって初めてなされると思う。

原作は三部作で、すべて映画化される予定とのこと。次回作が本当にゾンビ物なのかどうか知らないが (笑)、この展開ならそうならなければという思いこみを持って、楽しみに次回作を待ちたいと思う。実際、通常のシリーズ物では、1作目のクオリティをその後の作品が凌ぐことは非常に稀である。それは、継続するストーリーと、既に固まってしまった登場人物のキャラクターが既に所与のものになっているところ、スケールを求めるあまりにマンネリ化に陥り、結局何がテーマなのか分からなくなってしまうからだと思う。その点、三部作でそれぞれ全く異なる展開にすれば、マンネリ化を避けられると思うのだ。それゆえにやはり私は、この続きはゾンビ物 (まあ、自分の好きなジャンルであるからですが 笑) になって欲しいと切望する次第であります。余談だが、最近読んだストルガツキー兄弟の「ストーカー」(言わずと知れたタルコフスキー作品の原作) は、実はゾンビ物なのである。ロメロの映画のような、そのものズバリのゾンビ物ばかりではない。隠喩によるゾンビ物があってもよいではないか!

by yokohama7474 | 2015-06-06 01:31 | 映画 | Comments(0)
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