板橋界隈の寺社 乗蓮寺 (東京大仏) / 松月院 / 諏訪神社

板橋区立美術館訪問後、思い立って近辺の寺社を廻ってみた。それなりに知られている東京大仏はすぐ近く。以前行ったこともあり、久しぶりに来訪することに。
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東京大仏が鎮座するお寺の正式名称は乗蓮寺。調べてみると、天正年間というから、まだ江戸幕府が開かれる前、徳川家康から朱印地 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E5%9C%B0%E3%83%BB%E9%BB%92%E5%8D%B0%E5%9C%B0) が寄進され、その後も歴代将軍から手厚く遇されたとのこと。道理であちこちに葵の御紋があるはずだ。
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ただ、現在の地 (もと赤塚城二の丸) に移転したのは、昭和48年とのこと。そして、昭和52年に東京大仏が完成。蓮台を入れると 12.5m という巨像で、仏壇店翠雲堂の製造になるもの。お顔もなかなか眉目秀麗です。
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また、境内のあちこちに、何やら妙な石の彫刻が。これは、もともと駒込付近にあった藤堂家の下屋敷にあったものを移したものとか。数奇な運命を辿っていますが、そのユーモラスな姿はなかなかに味わい深いもの。最近、板橋区指定の文化財になったとのこと。
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後で知ったことには、この寺には冒険家の植村直己さんの墓があるらしい。といっても、遺体は発見されていないので、モニュメントということだろう。

さて、次はすぐ近くの松月院へ。ここも立派なお寺だ。やはりここも、家康から朱印地が寄進されたとのこと。
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さて、ここには大きな記念碑がある。それは、高島秋帆 (しゅうはん) が天保年間にここに本陣を置き、西洋式砲術の訓練を行ったことを記念するもの。いわば日本陸軍発祥の地ということで、大正年間に建てられた立派なものだ。ん? ちょっと待て。高島 ? もしかして、高島平ってこの人に由来するのか??? 調べてみるとどうやらそうらしい。高島秋帆の名前は昔日本史で学んだ記憶があるが、高島平には結びつかなかった。ひとつ賢くなりました。
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その後、車で走っていると、何やら気になる神社を発見。U ターンして行ってみることに。その神社の名は、諏訪神社。もともと赤塚城主 千葉自胤が、信州の諏訪神社から勧請したもので、赤塚城の鬼門除けであった由。面白いのは、完全に寺の建物なのに、明治の神仏分離で無理矢理神社にさせられた様子が見て取れること。寺院建築の外側に鈴をつけて本殿にしているところって、あまり多くないと思う (笑)。でも、なんとも言えずいい佇まいなのだ。

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それから、このあたりにひとつ面白い祭りがあるらしい。それは、毎年2月13日に行われる「田遊び」と呼ばれる行事で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて流行した「田楽舞い」がそのルーツであるそうだ。1年間の農作業を順序正しく、踊りや唱え言葉で面白おかしく表現し、訪れた田の神 (女神) を楽しませて豊作を祈願するというもの。実際の情景はこんな感じらしい。なぜこの地区に残っているかははっきりしないものの、平安時代にこのあたりに大寺院があったからという説があるらしい。
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ほう、東京 23区内にこんなお祭りがあったとは。世の中知らないことだらけですなぁ。

by yokohama7474 | 2015-06-07 01:08 | 美術・旅行 | Comments(0)