2015年 06月 07日
ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
こんな高層階に位置している。新宿からでもスカイツリーが見えるとは (左端の方)。
ところがである。この展覧会の入口手前に展示されている母子の写真に、目が釘付けになった。これだ。
実際に作品を見て、大いなる感動と発見があった。この母子、深い結びつきがあったようだが、画家としての気質はまるっきり異なっている。多分、この展覧会にやってくる人たちの誰もが、展示作品が母と子のどちらの作品であるかで迷うことはないだろう。簡単に区別すると、既によく知られた子の方は、人物を決して正面から詳細に描くことはなく、ただひたすら街の風景を描き、淡い色遣いによってそこに深い抒情が漂っているのに対し、母の絵は、人物は大きく鮮明に描かれ、色同士はあまり混ぜ合わせられることなく、また事物はくっきりとした輪郭を持っている。似ている画家を強いて探すと、ある場合にはゴーギャンであり、ある場合にはキスリング、あるいはヴラマンクなどのフォーヴやブリュッケの画家たち、さらには、フリーダ・カーロまでをも思わせる。ユトリロは、母の作風への反撥から自分のスタイルを確立したのではないかと思われるほどだ。一言で言えば、モダニズムの画家である。これは、「ユトリロの母」で済むような存在ではない。いや、そうだ。実は、会場に入る前に既に分かったのだ。1階のエレベーターの脇に置いてあった展覧会の案内で使われたヴァラドンの絵が、既に私の心を貫いていた。ただ愛らしい絵ではない。人間の生きる姿が表れているのだ。
・ヴァラドンは、ただのあばずれ女ではなく、生前から正当に画家として評価され、何度か展覧会も開かれていた。その開催に関して、首相から献辞が送られることもあった。
・シュザンヌという名前は本名ではなく、サティとかロートレックとかルノワールという年長者に惚れられることから、聖書にある「スザンナの沐浴」になぞらえてあだ名とされた。
・ユトリロは、アルコール依存症ではあったが、若くしてモンマルトルで酔っぱらってのたれ死んだわけではなく、1955年、71歳まで生きた。
・モンマルトルの街頭で寒さに震えながら写生を行ったのではなく、ほとんどはアトリエで写真を見ながら制作した。
・また、生前認められずに貧乏であったかと思いきや、才能を見込んだ画家の後押しもあって、生前から成功していた。1928年には、なんとレジオン・ドヌール勲章まで受賞している!!
といったことどもだ。ユトリロの絵の孤独感から、どうしても薄幸な人だと思いがちだが、世俗的成功と、それなりの長寿に恵まれたわけだ。そこでまた日本に思いを馳せるのだが、例えば佐伯祐三の絵は、ユトリロと同質のものがあるだろう。あのような孤独な絵を描く人は、世間から認められず、街頭で写生して命を絞り、若くして結核に倒れてしまうというイメージは、そこから来ているものだろうか。あるいは、長谷川利行でもいい。貧乏で世間から見捨てられたイメージ。ユトリロはそのようなイメージとは全く異なる画家だったわけだ。
もうひとつ。ユトリロは、1883年生まれの、1955年没。ということは、あの欧州全体を巻き込んだ両大戦を、成人として体験しているわけだ。しかし、彼の絵のどこを叩こうが揺すろうが、戦争との関連はどこからも出てこない。たまたま同じ日に板橋区立美術館で日本の画家と戦争の関わりを考えさせられたこともあって、このことは私の中に大きな疑問符を残した。一体、世界が殺し合いをしているときに、あのような孤独と向き合って絵を描く人間とは、どんな人だろう。ピュアな精神を失わずに済んだのは、なぜだろう。今後ユトリロの絵を見るときに、反芻して考えたい。また、ヴァラドンについては、これで一流の画家であったことが分かったわけだから、勝手な先入観を天に謝罪し、チャンスがあればできるだけ彼女の絵を見たい。彼女の人生は映画のネタとしては最高だと思うんだけど、誰か映画化してくれませんかね。監督は誰がいいかなぁ。リドリー・スコット・・・ちょっと違うな。クリント・イーストウッドでどうだ。主演は・・・難しいなぁ。キーラ・ナイトレイ? マリオン・コティヤール? エミリー・ブラントなんてよいかもしれません。まさか今さらエマニュエル・ベアールとか、イザベル・アジャーニではあるまい (笑)。強いて言えば、若かりし日のナスターシャ・キンスキーが今いればなぁ・・・。因みに、ベルト・モリゾの映画はもうすぐ日本公開です。