マグリット展 国立新美術館

このブログの最初に、六本木の国立新美術館で開催されたルーヴル展を取り上げ、その際に、同じ美術館で開かれているマグリット展に言及したが、はっと気づくと、明日が最終日。まあしょうがない。でかけるとするか。

実は私の中ではマグリットという画家への評価が既にできていて、それは、「わざわざ本物を見ずとも、画集で見ていれば充分」というものであった。それは、以前日本で開かれたこの画家の展覧会に出掛け、あれこれの作品を見て抱いた感想だった。ついこの間と思っていたその展覧会は・・・調べてみると、なんと 1988年!! えぇー、あれからもう 27年も経っているのか!! にわかには信じがたい。その後、2002年にも Bunkamura でマグリット展が開かれたようであるが、どうやらそのような整理のもとで、足を運ばなかったらしい。

そんなわけで、今回は半ば義務感に駆られて出掛けたわけであるが、現地にたどり着いて、まずチケット売り場の長蛇の列に驚愕。
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これは、チケット売り場から一本の列では足らず、折り返している情景だ。おそるべし。また、展覧会のグッズショップも押すな押すなの大混雑。私の長い美術館通いでも記憶のない、買い物客の列が売り場に収まらず、廊下にまではみ出しているという状況が現出していた。

さて、マグリットの何が、こんなにも人々の興味を惹くのであろうか。それは、もっぱら具象的なイメージを使いながら、意外なもののの組み合わせで、現実性と夢幻性を軽々と越境する点にあろうか。今回出展されている中では、「白紙委任状」「光の帝国 II」という作品が非常にポピュラーである。
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また、今回出展されておらずとも、最も有名なマグリットのイメージとして、あえて「大いなる戦い」を挙げておこう。
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手っ取り早く言ってしまおう。今回の展覧会は大変楽しく、また、本物のマグリットを堪能する大いなる戦い、もとい大いなる歓びに我を忘れたことを。

彼の生まれは1898年。生国のベルギーでは、例えばクノップフのような、これぞまさに象徴主義 (サンボリズム) という芸術が一世を風靡していた頃だ。それを思うと、両大戦間には彼は 20~30代という若い時期に当たることを理解できる。その頃彼は、未来派風の作品を描いたり、あるいはモダニズムを絵に描いたような雑誌のイラストを発表していた。これは、ある意味で意外なような、らしいような・・・。
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そこから試行錯誤を経て自らのスタイルを獲得していくわけであるが、例えば同じシュールレアリストでも、ダリなら天才的素描力が明確にあるわけだが、マグリットの場合、看板画さながらのベタ塗りで、苦労してデッサンを積み重ねている気配が全く感じられない。これが、私がもともと、マグリットの絵は写真を見ていれば充分と思った根拠であった。

ところが今回、幾つかの作品が、その絶妙な美で私の心を打ったのだ。例えば、晩年、1962年の作、「ヨーゼフ・ファン・デル・エルスト男爵と娘の肖像」はどうだろう。この空は見慣れた彼の空だが、近づいてみるとその表現の繊細なこと。また、人物像も、あたかも米国のスーパーリアリズムのように無機的でありながら、巧まずしてその人物の生を浮かび上がらせている。傑作と呼ぶべきだろう。
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あるいは、「ガラスの鍵」はどうだろう。さて、この大きな石は浮いているのか、あるいは奥の山の上に乗っているのか。
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この絵を見て私の横でカップルが、かけあい漫才さながら、「浮いてる」「乗ってる」「浮いてる」「乗ってる」と議論していたが、その議論はまさに作品の根幹にかかわるのだ。作者の言葉を聞いてみよう。

QUOTE
正確な思考は、「ガラスの鍵」という作品に、山の上に置かれた岩を見るように強いるのです。空中浮遊も、「不動の」雪崩も関係ありません。そう呼びたければ、空中浮遊がないというわけではありません。地球が、山の上の岩も含めて、地上にあるすべてのものとともに、空虚の中に浮かんでいると考えるならば。私の意図は、ひとつの岩のイメージを描くことにありました。ひとつの岩が、ある山の上に置かれている光景が、どこからともなく心に浮かんだのです。
UNQUOTE

このような言葉は、山の情景が「シュールなまでにリアル」に描かれていなければ説得力を持たない。その点、この作品はその要請をクリアしており、託された意味がどうであれ、文句なしに美しい。そういえば今回の展覧会には、作者の言葉があれこれ紹介されていて興味深かった。通常このようなシュールの作家は、あまり解題をしないものかと思うが、意外にもマグリットは饒舌だ。もっとも、だからと言って作者の饒舌を観客が充分理解できかと言えば、別問題なのであるが。さらに言えば、本当に「理解」が必要かということにもなるわけであるが。

さて、今回の展覧会での新たな発見は、生涯スタイルを一貫したかに見えるマグリットも、何度か特殊な作風に転じていることだ。明るく優しい画風の「ルノワールの時代」(1943-47)、マンガのような筆致の「雌牛 (ヴァージュ) の時代」(フォーヴ = 野獣のパロディ、1947-48) がそれだ。いずれも不評で短期で終わったようであるが、時期に鑑みて戦争に対する反応であったと思われる。以下、1946年の「不思議の国のアリス」と、1948年の「絵画の中身」。マグリットの作品とは、ちょっと信じられません。
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それからこの展覧会には、さらに珍しいものが展示されていた。マグリット自身が使用していたイーゼルだ。そこに架かっているのはなんと、未完成の作品だ。デッサンを見ることが極端に少ないこの画家の、線でまず作品を手探りする過程が生々しく見える、稀有な例ではないか。不気味なまでの静謐がそこに感じられよう。
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まあそんなわけで、私にとっては「マグリット再発見」となる展覧会で、会場の混雑も全く苦にはならなかった。今回、1988年の展覧会のカタログも再度見てみたが、実は上記の「不思議の国のアリス」も「絵画の中身」も、そのときに既に展示されていたことが判明。そのような作品のユニークさに気づいていなかった自分への不信にとらわれるとともに、このような機会が繰り返し訪れる東京という街の懐の深さにも、改めて思うところがあった。

Commented by desire_san at 2015-06-30 05:18
こんにちは。
私も、『マグリット』展を見てきましたので興味深く読ませていただきました。
マグリットの絵は、絵がうまく写実的な描写力がすぐ惚れているうえに、意表を突く奇抜な発想いろいろ機知に富んでいて、奥が深くて飽きないところが魅力ですね。

私のマグリットの芸術について感じたところを書いてみました。読んで見て頂き、もしご意見やご感想などがありましたら、コメントいただければ幸いです。
Commented by yokohama7474 at 2015-07-04 22:47
> desire_sanさん
お返事遅くなりました。シュールレアリズムもいろいろありますが、ある意味でマグリットは、これぞ王道のシュールという感がありますね。またブログを覗いて頂ければ幸いです。
by yokohama7474 | 2015-06-28 00:32 | 美術・旅行 | Comments(2)