2015年 06月 28日
着想のマエストロ 乾山見参! サントリー美術館
この展覧会は、琳派が誕生する前の状況を概観し、はるか20世紀にまで続く琳派の系譜を辿る中で、乾山の切り拓いた工芸品の新しい世界を展望するもので、見ごたえ充分だ。そもそも乾山は、兄光琳の輝かしい天才のイメージに比して、少し地味な存在と考えられている。この展覧会を見て、それはある意味で正しく、また別の意味では大きな誤解であることを思い知った。
そもそも焼き物に絵や書を入れるという発想は、どこから来たのであろうか。我々がイメージする織部や、あるいは仁清でも、そのようなものはないはず。光悦と宗達が書画のコラボレーションを始めたことが、やはり何かのインスピレーションを促したということか。焼き物となると、焼き上がりのイメージをつかんでデザインし、また、色が定着するように釉薬や絵の具に工夫を施す必要あるわけで、今我々が考えるよりも、生みの苦しみは大きかったものではないか。
それにしても、乾山の作品の、大らかな雰囲気はどうであろう。
以前、「光琳乾山兄弟秘話」という本を読んだことがあって、乾山が 5歳年上の光琳を本当に慕っていたことを知った。今回、光琳は 59歳で亡くなっているのに対し、乾山は 81歳の長寿を全うしたことを知った。このあたりも、天才肌の兄とマイペースな弟という、芸術家としての兄弟の資質の差が人生に端的に表れているように思われる。ただ一方では、乾山が自らのブランド力を確立し、後世に琳派を継承して行く素地を作ったということであるようだ。その意味では、光琳だけでは琳派は成立せず、乾山あってこその琳派なのであると言えるのではないか。
さて、今回の展示を見ながら考えたのは、この時代においては、多くの工芸品が、美術として愛でるというよりも、皿や香炉として実用に供されていたという事実であった。そのような経緯が、これらのものに命を吹き込むのだろうか。実際、焼き物だけは、写真で見てもその魅力は伝わらない。じっくりと顔を近づけて見ることで、何かを語り始めてくれるように思う。よく小林秀雄が書いているような骨董への没入の雰囲気が、少しだけ分かるような気がしたものだ。もっとも、あの時代の文学者の破天荒さ = 真剣勝負には、なかなか現在の人間にはついて行けないものがあるが・・・。こういう便利で手軽な時代であるからこそ、たまには本物をこの目で見て、少しでも眼福とやらを味わいたいものだ。