ピクニック (1936年 ジャン・ルノワール監督 / 原題 : Partie de Campagne)

e0345320_18150575.jpg
ジャン・ルノワールの 1936年の中編 (上映時間 40分) が、デジタルリマスターされ、渋谷のイメージ・フォーラムで公開されている。解説によると、撮影半ばで頓挫してしまった企画を、製作者が執念で完成に漕ぎ着けようとしたものの、ポジ・プリントはドイツ占領中に破壊されてしまった。戦後になってようやく、密かに保存されていたネガ・プリントをもとに編集され、既に米国に亡命していたルノワール自身の承認を経て (本人は 1979年まで米国で存命)、1946年にパリで公開されたという経緯があるとのこと。助監督として参加している顔ぶれがすごい。ルキノ・ヴィスコンティ (いわずとしれた後年のイタリアの巨匠)、ジャック・ベッケル (ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちに敬愛された監督)、そしてアンリ・カルティエ・ブレッソン (最初はロベール・ブレッソン (世代的には近い) かと思いきや、有名な写真家の方のブレッソンだ)。また、台詞作成には、「枯葉」の作詞や「天井桟敷の人々」の脚本で知られる、ジャック・プレヴェールが参加している。

原作はモーパッサンの短編。1860年のフランスの郊外を舞台に、家族とともに休暇を楽しみに来た婚約中の若い女性が、地元の男性と寸時の恋に落ちるというもの。ストーリー自体は大したものではないが、その映像の作り方の手の込んだこと。例えば冒頭、川面の上を移動する釣竿が画面を横切り、橋の上をやってくる馬車がフレームにとらえられる、そのリズム感。またその馬車の中で会話をする家族は、橋の欄干の外からのショットで描かれる。さらには、その後のストーリーの展開で、モノクロなのに美しく感じられる陽光や、動きとして実感される風、また頻繁に表現される木洩れ日、豊かに流れ続ける川、そこに激しく降る大雨等々が、観客の感覚を次々と刺激する。また、この映画で最も有名であるらしいシーンは、上のポスターにも使われている、主演女優がブランコに乗るシーンであるとのこと。これはさながらヒッチコックの映画のように、思わぬアングルで運動性をかなり思い切って表現したシーンだ。

ただ、この映画は、そのような感覚性のみで語られるべきであろうか。私はむしろ、そのような冴えた映像が表そうとしているのは、人間の感情であろうと思う。時代の制約もあってラブシーンは控えめなものだが、そこに至る男女のせめぎあいには、何やらただならぬものがあり、この短い映画でも観客が感情を動かされる要素があるとすれば、やはり、優れた映像の積み重ねこそがその理由であろう。この監督は、高名な画家の息子だから云々と評価するのではなく、一人の映画監督としてその手腕を評価すべきである。

いや実際、私も大概の有名画家にはそれぞれの美点を見つけるものの、どういうわけか、オーギュスト・ルノワールだけはダメなのだ。大嫌いなのだ。だから、ジャン・ルノワールが彼の息子という事実には、重きを置かないようにしております。もっとも、ジャン自身、きっとそれを誇りにしていたであろうことは分かる。以前見たジャン・コクトーのドキュメンタリー映画で、彼がコクトーに、「画家の息子として言うが、君の色彩感覚は素晴らしいよ」というシーンがあったのを思い出す (確かコクトーがデザインした教会の装飾についての発言だったと思う)。でも、理屈ではない。私はオーギュスト・ルノワールが嫌いだ。

映画が作られた時代と、映画の舞台となった時代を比較してみよう。舞台となっているのは 1860年。フランスでは、1848年の二月革命の後、ルイ・ナポレオンによる第 2共和政に続き、ナポレオン 3世の第 2帝政に入っている。普仏戦争の 1870年まであと10年だ。とにかく 19世紀のヨーロッパは、戦争に次ぐ戦争。その勢いが、やがてそのまま世界大戦にまで転がり込んで行くわけだが、さて、1860年は、大きな戦争の間に当たっている。一方、映画の作られた 1936年。言うまでもなく、2つの世界大戦の間である。3年経てば第 2次世界大戦が勃発。フランスは簡単に占領されてしまうのだ。そう考えると、この映画を作ったスタッフに、戦争の予感がなかったわけがない。それでいながら、時に下品なまでのこの台詞である。迫りくる戦争の足音に気づいているがゆえに、フランス人らしい刹那的な快楽の謳歌に生きる意義を見出したとも言えるだろう。ナチ時代のドイツの美学 (健全な肉体に健全な精神が宿ると称した、極めて不健全な時代) を考えれば、ドイツ占領時代にこの映画のフィルムが破壊されたのもむべなるかなと思われる。

ところでもうひとつの驚きは、この主演女優だ。シルヴィア・バタイユというらしいが、なんとなんと、あのジョルジュ・バタイユの夫人だという!! 家庭的な面を想像することすら全く困難なあのバタイユが、あろうことか、女優と結婚していたとは!! いやはやなんともガッカリだ (笑)。なお驚くべきことにこの女優、バタイユと別れたあとには、ジャック・ラカンと再婚したというのだから、恐れ入る。それから、主人公を口説く男は、ジョルジュ・サン・サーンスという名前の役者である。珍しい苗字だし、あの大作曲家、カミーユ・サン・サーンスの親族か? また、プログラムを仔細に見ると、監督自身が宿のオヤジ役として出演していたらしい。こんな顔だ。
e0345320_19004639.jpg
うーん。でもね、この方、有名なお父さんが幼い頃に絵に描いているらしいのですよ。これです。
e0345320_19033903.jpg
時の流れとともに人間は成長するもの。可愛い赤ん坊も立派な大人になり、そして死後 35年も経って、極東の妙なブログにこんな紹介をされてしまう。まこと、時の流れとは恐ろしい。この映画の冒頭の川の流れは、そういう人間生活の流転を象徴しているのかもしれません (強引)。

by yokohama7474 | 2015-06-28 19:12 | 映画 | Comments(0)
<< 小林研一郎指揮 日本フィル (... 着想のマエストロ 乾山見参! ... >>