速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち 世田谷美術館

重要文化財の代表作、「炎舞」で広く知られる速水 御舟 (はやみ ぎょしゅう)。わずか 40歳にして世を去った天才日本画家の展覧会を、世田谷美術館で見た。

広大な砧公園の一角にある世田谷美術館は、その良質な企画もさることながら、深い緑に抱かれた佇まいが、とても都内とは思えない。訪れるたびに気持ちがワクワクする美術館だ。
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速水御舟は 1895年に生まれ、1934年に死去した日本画家である。日本近代美術史上のビッグネームではあるものの、「炎舞」のイメージがあまりにも強く、画業の全体像を理解できる機会はあまり多くない。今回の展覧会の意義は、その御舟自身の画家としての表現力の幅の広さに加え、その周辺の、より知名度の低い画家たちとの間に、大きな影響を受けたり与えたりという関係があったことを理解することができるという点にあった。まず、今回の展覧会に出展されてはいないが、有名な「炎舞」を見ておこう。
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蛾の羽がチリチリ焼ける音が聞こえるようなこの絵から想像されるこの画家の持ち味は、「鋭敏な天才的感覚」「内省的」「人物画への無関心」「人間心理の闇への興味」というものであろうか。私は以前山種美術館でこの作品に触れた際、相対する人間をその場に縛り付けるような異様な迫力に言葉を失ったものである (尚、ちょうど今、山種美術館でこの作品が公開されている。http://www.yamatane-museum.jp/2015/07/hayami.html)。

上記の感想のうちの幾つかは、今回の展覧会でも再確認された。例えば、会場の入り口近くに展示されていた、この「菊花図」はどうだろう。
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この花は、ただの花ではない。まるでそこに佇んでこちらの様子を伺っているかのような生々しい存在感があるのだ。岸田劉生が唱えた、有名な「でろり」とした感覚が、ここには間違いなくある。そう思って調べてみると、劉生が生きたのは 1891年から 1929年。生没年とも、御舟とほぼ重なるわけである。日本画家と洋画家の違いはあれど、美のとらえ方に共通したものがあったということだろう。ただ、それだけではなく、時代の雰囲気というものが関係しているとも思われる。1999年に千葉市美術館で開かれた「甲斐庄 楠音 (かいのしょう ただおと) と大正期の画家たち」という忘れられない展覧会があって、そこには、異色の日本画家、甲斐庄楠音とその周辺の画家の、まさにでろり感覚炸裂!!の作品が多く展示されていて、今でも思い出すと身震いするくらい、強烈な印象を受けたものだ。その展覧会の図録をひっぱり出してみて、今回の展覧会で取り上げられている画家の作品がなかったかどうか調べたが、残念ながら画家の重なりはなかった。それは、楠音が京都の人であって、御舟一派とは接点がなかったことによるものであろうか。ただ、調べてみてびっくり。この楠音は、生年が 1894年。やはり御舟と同世代だ。そうすると、やはり彼らの活躍した大正時代に、活躍の舞台が東京であれ京都であれ、芸術家が何か人の心の闇を表現したくなる空気があったということだろう。一般的にはモダニズムのイメージの強い大正期であるが、なかなか単純に割り切れない時代だったということだろう。ここでは参考までに、楠音の作品をひとつ挙げておく。岩井志麻子のデビュー作、「ぼっけえ、きょうてえ」の表紙に使われた、「横櫛」という作品である。本も怖かったが、この絵も本当に怖い。
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さて、話が横櫛ならぬ横道ばかりになってしまっているが、少なくとも御舟のひとつの特色は、このようなでろり感であることは確かである。しかし、どうだろう。楠音の強烈なでろり感に比較すると、御舟の作品のすっきりとスマートなこと。楠音の作品は、時代の特殊性を纏っているが、御舟の作品は、時代を超えた普遍性を持っている。今回の収穫のひとつは、御舟の周辺で、このような「普遍的なでろり感」を持った画家がほかにもいたということだ。まず、ライバルであった小茂田 青樹 (おもだ せいじゅ)。御舟と比較するとさすがに見劣りするものの、きっちりとした情緒あふれる日本画らしい作品もあれば、内からのでろり衝動を明確に表したものもあり、優れた画家である。ところが、奇しくもこの画家も 1891年生まれの 1933年没と、やはり御舟と同世代で若くして亡くなっている。何か因縁を感じてしまう。下の絵は、「ポンポンダリア」という作品。
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それから、これも日本美術史上のビッグネームである、今村 紫紅が御舟の兄弟子であるとは知らなかった。しかも、この画家も、わずか 35歳で世を去っており、本当に因縁を感じる。その他印象に残ったのは、御舟の弟子である高橋 周桑と、吉田 善彦。いずれも、「何かが宿る風景」の画家と言えるのではないか。ヨーロッパの絵画で言えば、カスパル・ダヴィッド・フリードリヒやセガンティーニとの共通点を見出すことができる。高橋描くこの桜の絵は、セガンティーニの「悪しき母親たち」の日本版でなくてなんであろう!!
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御舟とその周辺の画家に関し、その「でろり性」を中心に論じてきたが、忘れてはならないことは、御舟の芸風の広さである。長生きすれば、あらゆる面で日本画の可能性を切り拓いて行ったに違いない。下の絵は、イタリアで描いた「オルヴェートにて」という作品。どうですかこれ。清水登之さながらの、ユーモアとモダニズムと、優しい視線を感じます。
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見応えいっぱいの展覧会を出て、空腹である自分を発見。美術館の中にある「ジャルダン」というフランス料理店で昼食を取ることとした。この美術館には何十回も来ているのに、このレストラン (結構有名らしい) には初めて入る。砧公園でホットドッグを食らうよりはずっと高級で文化的だ。そして出てきたサラダには、なにやら黄色いニンジンや、周囲が紫のニンジンが。その名もずばり、キニンジンとムラサキニンジンという種類だとのこと。へー、変わってるなぁ。しゃれた食事を紹介するような今風のブログではないので、いささか不本意ではあるが、「こういうネタもあった方がいい」という家人のアドバイスに従い、サラダの写真を載せることにします。でろりのデトックスにどうぞ。
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by yokohama7474 | 2015-07-05 00:24 | 美術・旅行 | Comments(0)
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