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バッハ作曲 ミサ曲ロ短調BWV.232 トレヴァー・ピノック指揮 紀尾井シンフォニエッタ東京 2015年 7月10日

紀尾井シンフォニエッタ東京が、創立 20周年を記念して、バッハの大作、ロ短調ミサ曲を演奏した。言わずと知れた、マタイ受難曲と並ぶバッハの最高傑作。ということは、人によっては西洋音楽の最高峰との評価をしているわけである。

以前触れたように、当初の発表では、指揮者はセミヨン・ビシュコフであった。
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ところが、理由は分からないが、随分手前の時点で、ビシュコフは第 100回定期のみに登場し、このロ短調ミサ曲は、かつて古楽オーケストラ、イングリッシュ・コンサートを率いて世界的名声を博したトレヴァー・ピノックに託された。うーん、どう考えても、この曲はビシュコフよりもピノックに向いているでしょう。というわけで、怖いもの見たさよりも安定感のコンサートが期待された。
バッハ作曲 ミサ曲ロ短調BWV.232 トレヴァー・ピノック指揮 紀尾井シンフォニエッタ東京 2015年 7月10日_e0345320_23510387.jpg
大変美しい演奏であった。古楽器奏法を取り入れはしないものの、早めのテンポできびきびと運ばれる流れのよい演奏は、ピノックのイメージそのままだ。ピノックは、同じ古楽指揮者と言っても、アーノンクールやガーディナー、ノリントンと言った強烈な個性を持つ人たちに比べれば、随分穏健派であると思う。自身、立ったまま観客に背を向けてチェンバロを弾きながらの指揮で、フルート、オーボエ、時にはホルンまでも、立って演奏するスタイルだ。また、ソリストは合唱団のメンバーで、出番になるごとにステージ手前まで出てきて歌っていた (出来には多少個人差を感じた)。どこを取っても確信に満ちた演奏で、バッハの宗教音楽の世界を描き切った感がある。この曲は、プロテスタント圏で活躍したバッハが、ラテン語の歌詞に作曲したもので、作曲動機は未だに解明されていないらしい。イタリアの宗教音楽に比較すると、人間的な要素を含んだ旋律をあちこちで聴くことができると言えるだろう。それゆえにこそ、250年の時を超えてもなお、人々を感動させるのだ。この、キリスト教とは元来何の関係もないはずの極東の国で、これだけの水準のバッハが演奏されようとは、作曲者自身、夢にも思わなかったに違いない。

後で調べてみて意外に思ったことがある。あれだけ多くの録音を残してきているピノックであるが、このロ短調ミサもマタイも、録音していないのだ!! 何か本人の思いがあるのか、それともたまたまレコード会社の都合によるものか分からないが、今回の演奏を聴く限りでは、それは大変惜しいことであると思われる。

今回、フルートを、新日本フィルの首席の白尾彰が吹いていたが、その新日本フィルでは、この日と翌日は、ダニエル・ハーディングの指揮でマーラーの「復活」を演奏しているはず。終楽章の地獄の入り口のような音楽において、夜鳴き鶯の声を模倣するフルートの見せ場があるが、彼は劇的なマーラーではなく、清澄なバッハを選んだということか。・・・とこの時点で私は、そのマーラーがどんな演奏になるかを全く予想できないでいたのであった。

by yokohama7474 | 2015-07-12 00:11 | 音楽 (Live)