エリック・サティとその時代展 Bunkamura ザ・ミュージアム

e0345320_00120877.png
芸術愛好家の端くれとして時折残念に思う瞬間がある。それは、音楽好きが音楽だけを好み、美術好きが美術だけ、文学好きが文学だけ、映画好きが映画だけ、演劇好きが演劇だけを好むのを目の当たりにする瞬間である。ちょっと考えてみよう。シェークスピアを知らずしてベルリオーズやチャイコフスキーをとことん楽しめるか。マーラーを聴くのにクリムトを知らないと、いかに狭い範囲での楽しみしかないか。フリードリヒの絵画への知識なく、タルコフスキーのメッセージを感受できるか。あらゆる時代において様々な芸術家が、表現行為における越境によって自己の能力を高めたわけで、鑑賞者としてもその轍を少しでも辿ることができれば、次から次へと未知の楽しみに出会うことができる。サティの活躍した時代、1910 - 1920 年代は、そのような観点から、尽きせぬ楽しみザックザクの時代である。それは歴史上でも最も芸術分野間の垣根が低かったと思われる時代であったからだ。

この展覧会の名前には、「エリック・サティ」の前に「異端の作曲家」という肩書がついており、それは我々の持っている知識の範囲において正しいとも言えるわけだが、では同時代においてサティが全くの無理解にさらされていたかというと、決してそうではなかったようなのだ。例えば以下の絵だ。
e0345320_23335696.png
これらは 1892年に描かれたもの。左が「以前」、右が「以後」と名付けられていて、前者が当時カルト的人気を博したペラダン率いる薔薇十字団のメンバーとしての姿、後者は軍隊に所属したときの姿だ。秘密結社のメンバー (私的存在) としての肖像と、国に命を捧げる軍隊組織の一員 (公的存在) としての肖像と、これほどに対照的な姿はあるまい。そして、この時サティは何歳であったか。驚くなかれ、26歳なのだ!! ひえーっ、その年でこのオッサンくささ。また、あの「異端の作曲家」「アルクイユの隠者」が、軍隊に所属していたことがあったとは。これらの肖像画はマルスラン・デブーダンという画家の作品で、公に展示されたものだという。26歳の若者 (カフェ「シェ・ノワール」のピアニストだった) のこのような肖像画のペアが残されているということは、サティが全く無名で世間の無理解に苦しんでいたわけではないことを示すのではないだろうか。

そしてその翌年、サティは運命的な出会いを経験する。以前このブログでもご紹介した、ユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドンである。最近の研究で、サティが終生ヴァラドンに激しい恋心を抱き続けたことが明らかになっているが、出会いの年、1893年にサティ自身が五線譜にインクで描いたヴァラドンの肖像が展示されている。
e0345320_00383796.jpg
このイラストには、とても運命的出会いという一大事件を感じることはできない。対象への軽い思慕と、その思いを抱く自分を茶化す感覚が感じられる。それは、大変にサティ的な、屈折した感情と言えるであろう。人生の一大事を劇的に音楽で描くことを終生しなかった音楽家。しかし、彼の心の中には、いとしいと思うものへの強い執着があったのであろうと思う。

冒頭述べた通り、サティの活躍した時代には、様々な芸術家がそれぞれの領域を超えて互いに刺激を与え合った。例えば、バレエ「パラード」。1917年に初演された、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の演目。台本ジャン・コクトー。美術パブロ・ピカソ。そして音楽エリック・サティ。レオニード・マシーンの振り付け及び出演、指揮はエルネスト・アンセルメであった。初演のプログラムにはアポリネールが寄稿し、この演目を「シュールレアリスム的」と評した。なんともきら星のような才能が集まった舞台ではないか。以下はピカソによる舞台の幕。
e0345320_23593199.jpg
ところが、この曲を聴いたことがある方はご存知の通り、最高の芸術家が集うにふさわしい、魂の感動を引き起こす音楽かと言えば、全くそうではない。誠にすっとぼけた音楽で、ドタバタと反復される安っぽい旋律や、騒々しいサイレンやタイプライターの音が全くナンセンスな雰囲気を醸し出す。そう。それがモダニズムなのだ。発展する近代都市文明の中で人々が求めたものは、閉鎖された空間での絵空事の情緒的な演劇性ではなく、ひたすら軽く、立ち止まることのないエンターテインメントであったのだ。

と書いているうちにも、サティのあれこれの音楽が頭の中を去来する。彼の音楽に情緒的な要素がないというのは本当だろうか。いや、実際にはサティほど、自らの情緒や情熱という要素を覆い隠した芸術家はそう多くないであろう。そうでなくて、あの誰もが知るジムノペディ第 1番や、梨の形をした 3つの小品などの美しい作品を書くことができただろうか。彼の書いた「家具の音楽」は、コンセプトは BGM の先駆けで、音楽が流れていることを意識されないことを目的としていて、ギャラリーで演奏された際に耳を傾けた聴衆に、「聴くな、聴くな」と喚いたという逸話がある。あるいは、同じ旋律を 840回繰り返す「ヴェクサシオン」は、いわば究極のミニマルミュージック。これらが表すものは、繊細で抒情性あふれる内面に他人が入ってくるのを拒む反骨精神や諧謔性ではないだろか。上記のシュザンヌ・ヴァラドンのカリカチュアも、その意味で極めてサティ的だ。

そう思うと、この偏屈者がなんともいとしくなってくる。ふと見ると、トレードマークの、あの山高帽にステッキが展示されている。どうですかこれ。
e0345320_00542394.jpg
スイスのルツェルンでワーグナーの緑色のベレー帽を見たときも、「あー本物だ」と感動したものだが、これ、本物のサティの帽子とステッキですよ。どうしますかこれ。

偏屈者であったことは間違いないが、それでも、同時代において注目され、様々な信奉者 (モダニズムを彩る六人組のみならず、4歳年上のドビュッシーも含む) から尊敬され、慕われたサティ。陳腐な作品を量産しながらも、時に決して古びることのない奇跡のような音楽を書いたサティ。その軽さの裏にある切実な思いに、何やらじんと来るものがある。このコクトー描くカリカチュアの本物を見て抑えきれない感動を覚える私は、偏屈であることの意味を考え、その偏屈さに見出される命の灯を考え、思いはあれこれ巡るのであった。
e0345320_01015217.jpg

by yokohama7474 | 2015-07-15 01:13 | 美術・旅行 | Comments(0)
<< 尾高忠明指揮 東京フィル (ピ... ダニエル・ハーディング指揮 新... >>