ヴァレリー・ポリャンスキー指揮 ロシア国立響 2015年 7月18日 東京芸術劇場

日本で初めて、チャイコフスキーの 3大交響曲が 1回のコンサートで演奏される!! つまり、

交響曲第 4番ヘ短調作品36
交響曲第 5番ホ短調作品64
交響曲第 6番ロ短調作品74「悲愴」

である。いずれも演奏時間 45分から 50分に至る大交響曲で、普通ならコンサートのメインに置かれる大人気曲だ。なので、今回のコンサートは、いわばメインコースを 3皿並べてタップリ楽しもうというものだ。演奏する側も聴く方も、要求される技術も体力も精神力も、尋常なものではない。しかも、指揮者もオーケストラも、本場ロシアから招聘。一体誰のアイデアだか知らないが、メチャクチャというか大サービスというか、とにかく、日本初の試みである。今回、池袋での演奏に出掛けてみたのだが、そのときに目にしたポスターが以下の通りだ。
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な、なに?! 完売??? 東京には、よほどチャイコフスキーが好きかよほどド M か、またはその両方という人たちが大勢いるということだろう。ああなんと嘆かわしい。・・・自分もその一人なのだが。

事前に、「あれってゲテモノでしょう」という指摘があり、それはそれで一理ある考えながら、私には期待があった。なぜなら、ロシア国立交響楽団である。あの爆演巨匠、エフゲニ・スヴェトラーノフが鍛え上げたオケだ。このポリャンスキーなる指揮者は知らないが、チラシには、「ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ以来の爆演型指揮者、ヴァレリー・ポリャンスキー初登場!」とある。うーん、超絶の天才ムラヴィンスキーを爆演型と定義してしまうのには抵抗あるが、なにせ、上記のポスターのような風貌である。いかにもロシア的パワーに満ちた力演が期待できそうだ。

実際に会場でプログラムを読んで知ったことには、このオケは、スヴェトラーノフが音楽監督を務めていたオケとは別物で、どういう配慮のなさか、同じ日本語名がつけられた別物と分かった。その正体は、ソヴィエト国立文化省交響楽団だ。あの名匠ゲンナジ・ロジェストヴェンスキーのために結成された、ソ連末期には最高水準と謳われた、あのオケであった。日本にもショスタコーヴィチやブルックナーの録音が紹介されていた。ということは、誤解はあったというものの、やはり一流である。ソ連崩壊後の 25年、ロシアの音楽界の状況を外部から知るのは困難で、実際に来日での実演や録音で接することがないと、そのレヴェルは分からない。以前このブログでも、この 1ヶ月半ほどの間に主要なロシアの演奏家がことごとく来日しているとご紹介したが (ご紹介が漏れているものもあって、例えばつい先日まで日本にいた、ミハイル・プレトニョフ率いるロシア・ナショナル・オーケストラも無視できない存在だ)、その中にこの一流 (であるべき) オケが、まさかゲテモノまがいの爆演を売り物に殴り込みをかけていようとは。全く東京という街は油断できないのだ。

このポリャンスキーという指揮者、今回が初来日のようだが、1949年生まれというから、今年 66歳。うーん、確かに見るからに爆演指揮者という感じですな。
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もともと合唱指揮者であったが、このオケがソ連崩壊後に合唱団併設として改組された 1992年、師匠であるロジェストヴェンスキーの要請で音楽監督に就任したとのこと。このロジェストヴェンスキーは、さすがに高齢となってあまり来日しなくなったが、日本でも読響の名誉指揮者としておなじみ。ビン底メガネに、御茶ノ水博士のような、空白の中央部を除いたモジャモジャ頭、指揮台を使わずに床に立ったまま長い指揮棒をブンブン振り回し、ときに愛嬌たっぷりな仕草で聴衆を煙に巻く。まさに鬼才というにふさわしい存在。その意味で、このポリャンスキーとロジェストヴェンスキーの見た目上の共通点は唯一、指揮台を使わないことだけだ。私の見るところ、このポリャンスキーは、外見に似合わず繊細な人で、音楽における感情を大事にしながらも、プロフェッショナルであらんという思いが克己心にもなり足枷にもなるタイプだ。従って、コマーシャリズムには乗りにくいだろう。今回の演奏でも、4番の冒頭が始まったときに聴かれたのは、爆演指揮者に期待する金管の野放図な咆哮ではなく、非常に慎重にコントロールされたハーモニーであった。ところが、聴き進むうちに、ここぞという時にテンポを大きく落としたり、アッチェランドをかけたりする場面もに出くわすことになり、その瞬間には確かに爆演型という形容もあてはまるなと思う。これはこれで、指揮者の切実な感情を反映した演奏であったと思う。どのシンフォニーも、極上の音で魂の震える感動があるということではなかったものの、少なくとも、非常に誠実な音楽を聴くことができたと思う。特に、単なる爆演型と一線を画すのは、弱音部のニュアンスだ。大きな盛り上がりのあとの弱音部が大変美しく、どの曲でもその点に新鮮な響きを感じることができた。そして最後、「悲愴」がまさに死んで行くように終わったあと、ガックリとうなだれていた首を上げると、聴衆の拍手に全く応えることなく、そのまま舞台の袖に引き上げたのが印象的であった。それは、作曲者自身が「レクイエムのようなもの」と呼んだこの曲の終楽章を、鎮魂の音楽として表現したという意図であったのか、それとも、もう聴衆に構っていられないほど疲れ切って、一刻も早く舞台から引き上げたかったのか、どちらだろうか。もしかして後者の事情によるものではないかと思えたのは、それほど終演後の指揮者が憔悴しきって見えたからだ。満場の大喝采はスタンディング・オベーションに続き、最近はあまり見られなくなった、指揮者だけ舞台に呼び戻されるというシーンを久しぶりに見ることになったが、指揮者がそれによってエネルギーを回復してくれたことを祈る。聴衆は、演奏そのものに大感動したというよりは、(もちろん名演ではあったと思うが) やはりこの無茶な内容のコンサートを振り終えた指揮者に対するねぎらいを表したかったものと思われる。

そのように考えるには理由がある。今回の日本ツアー、7月 9日から 27日までの 19日間、全国で 14回のコンサートが組まれている。これだけでもハードであるのに、このチャイコスフキーの 3曲を演奏するのは、実に以下の 10回!!

 7/12  横浜
 7/13  武蔵野
 7/15  盛岡
 7/17  新潟
 7/18  東京
 7/19  名古屋
 7/20  大阪
 7/24  福岡
 7/26  鳥取
 7/27  金沢

うーん、大丈夫だろうか。今回の憔悴ぶりが少し気がかりだ。

会場では、HMV の出店がポリャンスキーの CD が販売していて、このチャイコフスキーの 3大交響曲の CD は会場限定とのことだったので、購入した。
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帰宅して HMV のサイトで調べると、この指揮者はシャンドスレーベルに、ロシアもの (シュニトケやグバイドゥリーナを含む) や、あるいはシマノフスキ、ドヴォルザークなどのスラヴ系を数多く録音していることが分かったが、確かに、このチャイコフスキーの 3大交響曲は見当たらない。今回の会場に集った人たちはこの CD を聴き返して、あの無謀な試みの中で感じた興奮を反芻することだろう。なかなかない経験をさせてもらった。


by yokohama7474 | 2015-07-19 23:29 | 音楽 (Live) | Comments(0)