レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展 東京富士美術館

フィレンツェを訪れたことは恥ずかしながら 1回しかないのだが、できればこれからの人生で何度も訪れたい街だ。何の誇張でもなく、街全体がそのまま美術館。人はシニョーリア広場に立って、未だにこの街の市庁舎として機能しているパラッツォ・ヴェッキオ (ヴェッキオ宮殿) を見上げるとき、そこに威風堂々と立つダヴィデ像が摸刻と知りながらも、ルネサンスの遺産が今に生きていることに、心震えるものである。さて、この宮殿の中に以前、もはや伝説となっている 2つの壁画があった。私も現地訪問時にそのことを知り、失われたその壁画のダイナミズムに思いを致したものである。その壁画とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの手になる「アンギアーリの戦い」と、ミケランジェロによる「カスチーナの戦い」だ。今回の展覧会は、その謎に迫ろうというもの。東京、八王子市にある東京富士美術館での開催だ。
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パラッツォ・ヴェッキオの中の、500人広間。現在の様子は以下の通り。ルネサンスの画家の伝記を残したことで知られるジョルジョ・ヴァザーリの手による大壁画があるが、かつてはこのどこかに、2大巨匠の壁画があったわけだ。最近のイタリア政府の発表では、レオナルドの「アンギアーリの戦い」」(1440年に起こったフィレンツェ軍とミラノ軍の歴史的な戦いを描く) は、現在の壁画の下に塗り込められているらしいとのこと。
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ダ・ヴィンチの天才ぶりには既にあらゆる言辞が呈されており、絵画に限っても、残された完成作の少なさと、どの作品でも一様に保たれている最高の水準によって際立っている。そのダ・ヴィンチの幻の壁画の手がかりを探すことになる今回の展示において、目玉は以下の絵画だ。
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これは、アンギアーリの戦いを題材とする壁画において中心的な場面をなす、「軍旗争奪」の板絵だ。作者不詳であるが、レオナルドの失われたオリジナルを彷彿とさせる作品だ。もともとナポリのドーリア・ダングリ・コレクションにあったことから、「タヴォラ・ドーリア」(タヴォラとは板絵の意味らしい) と呼ばれる。戦後行方不明になっていたらしいが、ドイツで発見。1992年に東京富士美術館の所有となり、2012年にはイタリア政府に寄贈されたということだ。従って今回の展覧会が、まずこの美術館で開かれることには大いに意味があるわけだ。これが都内の中心地での開催なら、押すな押すなの大混雑であったろが、八王子ということで、大変よい環境で鑑賞できた (因みに、今後は京都と仙台に巡回)。

それにしてもこの絵、なんという迫力であろうか。レオナルドの現存絵画には、このような息を呑む迫力を持ったものはない。なんでもオリジナルの壁面は、特殊技法を使ったゆえに、制作途中で絵の具が溶けてしまい、完成しなかったが、数十年はそのまま残されていたという。この軍旗争奪のシーンは、実はこの板絵以外にも模写がいくつかあって、今回の展覧会でも並べられている。だが、この板絵には、ほかと違う不思議な迫力があるとしか言いようがない。一度見たら忘れられないものだ。実は今回の展覧会を機に、東京藝術大学が立体模型を作成した。以下のようなものであるが、これは確かに複雑極まりない。もし仮に現実にこのような形態がありうるとしたら、ものすごい力と力がぶつかり合って、ある一瞬に静止する時にのみ、奇跡のように立ち現れるものだろう。肉眼で捉えることは無理であろうし、連続性があってはじめて成り立つ、完全なる 3次元の造形だ。永遠に凝固した一瞬だ。あー、フィギュアにして売り出してくれないかなぁ。ちょっと高くても絶対買って、毎日飽きもせず眺めたい。
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さて、一方のミケランジェロである。こちらの題材は、1364年のフィレンツェ対ピサの戦い、「カッシナの戦い」の最中にアルノ川で水浴びをしていたフィレンツェ軍が敵襲の報を受けて戦闘準備に入る場面だ。彼の得意とする筋肉隆々たる群像であったが、完成に至る前に彼はローマに呼ばれてしまい (1505年)、その後メディチ家の追放によって、壁に下絵が描かれたままで放置されたとのこと。今回展示されているのは、オリジナルの下絵に基づいて 1542年に作成した油彩画として残存する唯一の例で、アリストーティレ・ダ・ザンガッロという画家の手になるもの (但し、大きさはオリジナルの数分の一であろう)。
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うーん、これまた、いかにもミケランジェロらしい、力強さと、これでもかという多様なポーズにしびれる作品だ。これもやはり、一度見たら忘れないヴィジュアルイメージである。

人間性の謳歌を特徴とするルネサンス芸術であるが、この時代、イタリアという国はなく、同じ言語、同じ宗教を共有するイタリア人たちは、時に争い、時に同盟関係を結んで、大変な緊張関係にあったわけである。カトリックの威厳も宗教改革によって根底から揺らいでいたことを思うと、貴族、王族を含む当時の人々は、日々、誠に不安定な思いで生活していたことであろう。この時代、マキャヴェリは「君主論」を著したが、理想の君主に見立てたのは、チェーザレ・ボルジアであった。実はレオナルドも、一時期チェーザレ・ボルジアに軍事顧問としての売り込みをかけ、マキャヴェリと行動をともにするようなこともあったらしい。もっとも彼は晩年フランス国王フランソワ 1世の庇護を受け、彼のもとで亡くなるわけであり、最後まで手元に置いていたのが「モナ・リザ」であったことを思うと、激しい争いに同道するという経験に疲弊していたのであろうか。一方のミケランジェロは、政治的な活動にも身を投じた、もう少し闘争的な人間であったと思う。これら対照的な巨匠が、ここに一対の壁画を残しておいてくれれば、人類の大きな遺産となったであろうに。歴史とはままならぬものである。ただ、失われたからこそ、永遠に人々の思いを掻き立てるロマンがあるわけで、残された断片から想像力の翼を広げることができるのも、後生の人間の特権と言えるだろう。

by yokohama7474 | 2015-07-21 01:22 | 美術・旅行 | Comments(0)