東京都 日野市、八王子市 高幡不動 / 八王子城址

前にご紹介した八王子市の 2つの美術館を訪れるついでに、高幡不動と八王子城址を訪れたので、まとめてご紹介する。

まずは、日野市の高幡不動尊。このあたりは昔親戚が住んでいたので、子供の頃何度か訪れたことがあるのだが、その頃既に仏像に深い興味を持つ妙なガキであった私も、まさかここに素晴らしい仏像があるとはつゆ知らず、今回に至るまで、この寺に一度も足を運んだことがないという恥ずかしい事態に陥ってしまった。平安時代後期、11世紀末頃の作とされる、堂々たる丈六 (立てば 1丈 6尺 = 4.85m あるとされる仏像のサイズ) の不動三尊像。国指定の重要文化財。関東地方にこれだけ古くて巨大な仏像が存在していること自体、奇跡に近い。その雄姿をご覧頂こう。
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この不動様、像高 285.7cm、火炎光背まで入れると 419.8cm というからすごい。なんという力強さ。天災・火災の多いこの国で、また多くの戦乱を越えて、1,000年近くこのような像が失われずに伝えられてきたとはただごとではなく、地元の人たちや、場合によっては権力者の篤い信仰あってのことであろう。なんでも江戸時代に 9将軍家重が江戸でこのお不動さんを拝みたいと言って、実際に江戸で出開帳を行ったことがあり、それによってかなり損傷を受けてしまったとの説明を寺で受けた。ただ、いろいろ調べてみると、記録は限られているものの、その出開帳自体は非常な成功であったとのこと。いわば、お寺の名声のためにお不動さん自身乗り出したということなのでしょう。両脇侍のセイタカ、コンガラ両童子は、いかにも地方作りで素朴である。この三尊像、最近修復を受けているが、もう何年前になるだろうか、東京国立博物館で修復後のこの三尊像にお目にかかったことは何度かあった。その際、「ええっ、あの高幡不動にこんな素晴らしい仏像が・・・」と思ったものである。また、この仏像の素晴らしいところは、堂内に入って間近に拝観できることだ。若いお坊さんがその場で歴史を説明してくれたが、本来なら秘仏として奥深く鎮座して頂くこともできるところ、庶民を救う不動明王の本懐や、歴史の荒波を乗り越えてきた様々なご縁に報いるためにも、間近で拝見できるようにしたとのこと。本当にありがたいことだ。

さて、この高幡不動はほかにもいろいろ見どころがある。立派な五重塔 (古いものではないが) や鳴龍 (日光や京都のいくつかの寺にある、龍の天井画の下で手を叩くと龍の鳴き声のような反響が聞こえる仕掛け) があり、さらには新撰組副長、土方歳三の菩提寺であるそうな。
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日野は新撰組ゆかりの土地とのことで、車で市内に入ったときに、「ようこそ新撰組のふるさとへ」という表記が目に入ったものだ。新撰組関係の記念館等もいくつかあるようなので、また改めて訪れてみたい。

さて、その後訪れた八王子城址は、未だ観光地として整備されているわけでは決してない場所だ。ただ、歴史的には重要な場所である。というのも、これは小田原の北条氏が築いた山城であり、1590年にこの城が陥落したことが秀吉の小田原征伐の決め手となったからだ。すなわち、ここで無念にも散って行った人たちが、結果的に天下統一の礎になったとも言えるわけである。この城を攻めたのは前田利家と上杉景勝。そのとき未だ城は未完成だったと考えられているらしい。山城としては関東屈指の規模を誇り、城下町にあたる根小屋地区、城主北条氏照の館のあった居館地区、戦闘時に要塞となる要害地区等に分かれるが、落城してからそのまま再興されることなく、江戸時代は幕府の管理下にあり、そのまま近代を迎えたらしい。すなわち、かつてここに暮らし、戦った人たちの痕跡は跡形もなく消え失せたあと、全く放置されていたわけだ。未だ発掘が行われていないところもあるらしい。ようやく近年になって、少しずつ整備が進められているものの、本当に、昼なお暗い、鬱蒼とした山の中なのである。訪問者はまず、新しいガイダンス施設に立ち寄ることになる。時間帯が遅くなければ、ボランティアの説明者をお願いすることができる。
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さて、それから山道に入るが、居館地区に至るまでは比較的なだらかだ。一部、橋が架けられている。
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そして居館地区は、発掘された石垣や復元された門、そして、いくつかの建物の址からなっている。
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そして、この御主殿跡からは、数多くの焼き物の破片が出土しているという。中国伝来の焼き物が主とのことで、戦国時代とはいえ、それなりに文化的な生活が偲ばれる。
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まあこのあたりはまだ明るい平地なのでよいのであるが、実は、そのすぐ横に川が流れていて、そこは全く鬱蒼とした森の中で、光は差さず、真夏でもひんやりするような場所なのだ。特に、御主殿の滝という滝は、それほど高低差があるわけでもないのだが、落城時に御主殿にいた武将や婦女子が次々と身を投げたところらしく、川の水は三日三晩赤く染まったという。恐らく江戸時代のものかと思われる慰霊の石碑が立っている。
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そして、本丸があったという山の中に分け入ろうとすると、少し躊躇してしまう。とにかく、段は一応あるものの、ほとんど手つかずの山の中なのだ。神域となっているらしく、いくつか鳥居がある。これ、昔読んだ水木しげるの妖怪漫画の世界ではないですか。そのまま神隠しに遭ってしまいそうだ。そして、石鳥居の裏に記載された建立年は、明治 45年。すなわち大正元年。1912年だ。
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実はこの場所、ネット検索すると、都内有数のパワースポットあるいは心霊スポットという評価がされている様子。凄絶な落城と、その後放置されてきた歴史、そしてこの鬱蒼とした雰囲気には、確かにただならぬものがある。しかしながら、それは裏を返せば、日本人の歴史のひとつの舞台として、訪れる人になんらかの思いを抱かせる場所であり続けているということだ。歴史を学び、ここに来て過去に思いを馳せることで、何か発見があるはずだ。・・・私と家人の場合も、ひとつの経験をした。この城址を流れる川のほとりを歩いていると、苦しそうなうめき声や鬨の声などが川のせせらぎに混じるというネット情報があって、「まさかそんなことあるわけないよね」と言っていると、確かに川の音以外に、ブンブン低い音が混じって聞こえるではないか!! 一瞬ゾッとしたが、・・・それは飛行機の飛ぶ音でした。ま、人間の心理とは、そういう場所で想定しない音を聴くと、想像力で勝手に超常現象と思い込んでしまうのですね。人の無念さに思いを致すのは結構だが、それを心霊現象に結び付けるのは、いささか短絡的ではないでしょうかね。

by yokohama7474 | 2015-07-22 23:15 | 美術・旅行 | Comments(0)