ターナー、光に愛を求めて (マイク・リー監督 / 原題 : Mr. Turner)

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イギリス 19世紀ロマン派を代表する画家、J・M・W・ターナー (1775 - 1851)。今日、英国が自国の美術作品を展示する美術館である Tate に行くと、この画家だけでこれでもかとばかりの展示がある。その素晴らしい表現は、印象派はおろか、遥か抽象画にまで影響を与えた巨匠である。私にとっても、多分歴史上で 10指に入るくらい、大のお気に入りの画家である。その巨匠ターナーの生涯を描いた映画を見ないくらいなら、長久手古戦場でバーベキューでもしている方がましだ。

なになに、主役を演じるのは、ティモシー・スポールとな。あのハリー・ポッターシリーズでピーター・ペテグリューを演じた役者らしい。おっと、コイツか!!
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えーっ!! ロマン派の巨匠ターナーでしょ。何かの間違いではないのか。紳士の国英国で、歴史に残る数々の傑作をものしたターナーが、こんな風貌であるわけがない。と思って映画を見ると、こんな感じ。
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あっちゃー、これ、一緒じゃん。画家のターナーだよね。ティナ・ターナーじゃないよね???

悪ふざけはこの辺にして、映画についての感想に入ろう。これまで、決して美形でないけれど、痛いような人生を感じさせる画家の伝記映画はいくつかある。例えばフランシス・ベーコン。例えばポロック。例えばバスキア。皆それぞれにいい映画だった。でも、しつこいようだが、今回は精神性あふれる作品を数多く残したターナーだ。醜悪であるわけがない。・・・と思ってちょっと調べてみると、この画家に関しては、個人的な事柄はあまり知られていないらしい。その意味で、呵責ないシーンをあれこれ含むこの映画は、一般に知られたいくつかのエピソードを散りばめつつも、従来のイメージとは異なる、リアルなターナー像に迫った映画と評価できるだろう。

まず、この邦題が意味深だ。「光に愛を求めて」。そう、彼が愛を求めるのは、人間ではなく光なのだ。決して人とコミュニケーションが取れないわけではない。また、女性に対して淡泊というわけでもない。でも、本当の意味で彼の心に巣食っているのは、様々に変幻する光であって、それをとらえるためなら、あらゆる犠牲を惜しまない。それがターナーだ。晩年の代表作のひとつ、「雨、蒸気、速度」(1844) を見てみよう。
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ここでは雨の中を疾走する蒸気機関車が描かれているのだが、雨や蒸気のみならず、速度が描かれているところが、何よりも斬新であるのだ。音楽の世界では、かなり時代も下り、モダニズムの世界に入ってくるが、オネゲルの「パシフィック231」と共通するところがある。それだけターナーの表現が時代を先駆けていたということだろう。

この映画の監督、マイク・リー (スパイク・リーではありません。念のため) は、過去にカンヌのパルムドール受賞の経験もある英国の名匠らしいが、私自身は過去の作品を見たことがない。ただ、この映画のエキセントリックなターナー像を、嫌味なく巧みに描いていると思う。形式的な尊敬を表すではなく、人間ターナーに迫ろうという真摯な態度が伺われる作品だ。

この映画、実在の人物がいろいろ登場する。サー・ジョン・ソーン (ロンドンのホルボーン近くに、邸宅をそのまま美術館として保存している場所があり、この時代に興味ある人には必見だ) や、ライバルであったコンスタブル。また、ヴィクトリア女王とアルバート公も出てくる。そんな中、改めて興味を持ったのは、ジョン・ラスキンだ。美術評論家で、いわばターナーを世に出したこの人は、1819年生まれだから、ターナーより実に 44歳年下。劇中の議論の中で、クロード・ローラン (少し前の時代の風景画家で、当時大変な尊敬を集めた) をラスキンがけなし、ターナーがその意見に反対する場面が興味深かった。もし実際にあんな感じであったなら、ターナーは自分の擁護者であるラスキンに対して、あまり感謝の念もなかったように思われる。それはこれまでの理解と異なるものであった。と思って考えてみると、ラスキンはホイッスラーの作品を貶して裁判沙汰になったはず。件のホイッスラーの作品、「黒と金色のノクターン 落下する花火」(1875) は、いわばターナーの方法をさらに推し進めたような作品だ。
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ターナーを絶賛しながらも、後年 (ターナーの死後) ホイッスラーの作品をこきおろしたラスキンは、一体何を理想としていたのか。この映画の中に出てくる、頭でっかちの生意気な青年、ラスキンは、実際あのような人であったのかもしれない。

このように考察してくると、この映画は、ターナーや彼を巡る歴史的事項について全くイメージのない人が見ると、よく分からないかもしれない。でも、音楽を多用せず、感情的な起伏を過度の演出で見せることも周到に避けた手法は、あたかもターナーの作品に当時の人々が感じたのと同じような斬新さを持っているのではないか。決して美術のドキュメンタリーではなく、人間の持つ不可思議な面を端的に表した作品として、多くの人に鑑賞されることを願ってやまない。

但し、観客は、主演俳優の顔に生理的不快感を持たない人だけになってしまう点、監督も計算済みであろうが・・・。

Commented by 杜のバッカス at 2015-08-01 01:21 x
いやぁ,奇遇ですな。
ターナー,好きなんですよ。
昨年の春,Tate Britain,初めて行ってきました。
オフィーリアが出稼ぎ中で見られなかったのですが,Cafeで食べたフィッシュ&チップス,旨かったです。
コンスタブルとの対比を,コールリッジとワーズワースの対比になぞらえた話を聴いた英詩のゼミ(駒場の日々)が懐かしいです。
Commented by yokohama7474 at 2015-08-02 22:18
おっと、駒場でそんなゼミを受けていたのですね。私の場合、マラルメのゼミを取って、フランス語が分からずに往生しました。オフィーリアは、ジョン・エヴァレット・ミレイの作品ですね。桐谷美鈴ではないですよ (笑)。
Commented by 杜の都から at 2015-08-04 08:59 x
NHKの「びじゅチューン!」という5分番組が好きで、見てます。
川を流れていたオフィーリアが背泳ぎをしたり、奈良の大仏さんが実は髪型を変えたがっていたり。
井上涼という人、オモロイです❗
by yokohama7474 | 2015-07-24 01:46 | 映画 | Comments(3)