雪の轍 (ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督 / 英題 : Winter Sleep)

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2014年のカンヌ映画祭で最高賞パルムドールを受賞したトルコ映画である。公開された当初は東京の 2館のみでの上映であったが、今では名古屋、京都、大阪、福岡等の大都市にある小劇場系 (?) 映画館でも見ることができる。

そもそもトルコ映画と聞いて、出てくる名前はユルマズ・ギュネイくらいであるが、そのギュネイにしても、「路」という作品がやはりカンヌの最高賞を取ったことから知られている程度で、その他の作品は日本でどのくらい公開されているのであろうか。もちろん、映画は別に各国を代表して作られているわけではないので、よい映画はよい、悪い映画は悪いということにしかならないのだが、その一方で、この映画のように、かかわったスタッフ・キャストが全員トルコ人 (多分・・・あ、間違えた。日本人の脇役が 2人出演していましたね。エンドタイトルでバッチリチェックしたところ、日本人の名前であった) である場合には、その国の役者の演技とか、照明音響美術等々のレヴェルに、その国の映画産業の在り方がおのずから表れることも事実であろう。その観点からは、この映画の出来具合で我々観客の今後のトルコ映画への期待も変わってくると言える。

上記ポスターにある通り、この作品は、奇景で知られるトルコの世界遺産、カッパドキアの洞窟ホテルを舞台とする、上映時間 3時間16分という大作。「愛すること、赦すこと --- もがきながらも探し求める、魂の雪解け」というコピーに雪のカッパドキアの写真を見ると、どんなに壮大な叙事詩が展開されるのかと思ってしまうが、実はこの映画、究極の室内劇である。戦争もなければ宇宙人との遭遇もない。誘拐も暴行もない。そもそも、3時間を超える映画で、一人も人が死なないのだ。今日び、どうやってそれで映画を作るのか。カンヌの審査員のひとりであったジェーン・カンピオン (私がこよなく尊敬する監督) は、「物語が始まった途端に魅了されてしまった。あと 2時間は座って観ていられたでしょう」と語ったらしいが、まさにその通り。この映画で数少ない劇的 (?) なシーン、子供が車に向かって石を投げるシーンは、冒頭まもなくであって、それから後はほとんどが室内劇であるにもかかわらず、飽きることは全くなかった。これは一体どういうことなのか。

この映画の中で、延々と口論が続くシーンが 3つある。ひとつは、主人公 (もと舞台俳優で、遺産として譲り受けた洞窟ホテルを営む裕福な初老の男) とその妹、2つめは、主人公とその若く美しい妻。3つめは、主人公とその友人たち 2名である。換言すれば、主人公が相手とシチュエーションを変えて、延々と口論する。その合計だけで、30分は優に超えているだろう。そのいずれもが圧巻なのだ。プログラムを読むと、基本的に書かれたシナリオ通りの演技を俳優にさせたとのことだが、彼らの口論の様子はあまりに長く、また作られた感じがしない自然な流れなので、相当部分即興ではないかと思ったのだ。これを演技としてできてしまうトルコの俳優たちは恐るべきではないか。もちろん、監督のインタビューでも、一部は即興で足したと言っているので、特に主人公とその妹のシーンなどは、即興の部分がそれなりにあるように見受けられるが。いずれにせよ、人生を圧縮した瞬間がこれらのシーンに詰め込まれていて、看過できないリアリティがあるのだ。

ここで使用されている音楽は、シューベルトの最後から 2番目のピアノ・ソナタ (第 20番イ長調D.959) の第 2楽章。シューベルトは晩年 (と言っても、たかだか 38歳だ!!)、曲を肥大化させる傾向があり、ピアノ・ソナタの分野では、最後の第 21番変ロ長調 D.960 が、本当に底知れぬ深淵を覗くような音楽であるのに対し、同じ死の年、1828年に書かれたこのソナタは、少しは分かりやすい要素を持っている。この映画で使われているのは、第 2楽章の冒頭のテーマであり、中間部で感情の炸裂があるのであるが、その部分は周到に避けられている。これはこれで、人生の機微を淡々と描くこの映画にふさわしいとも言える。プログラムの監督インタビューによると、かつてブレッソンの「バルタザールどこへ行く」という映画 (1966) で使われていた由。私の世代ではブレッソンは、最後の作品「ラルジャン」にぎりぎり間に合ったくらいで、この作品については知識がない。まあそれにしても、海外のマスコミにはマニアックな人がいますなぁ。

この作品の呵責なさはまさに特筆すべきものがあるが、脚本においてはチェーホフやドストエフスキーに負うところが多いらしい。監督自身、チェーホフの 3作に着想を得ているとの発言があるが、特定はしていない。プログラムに寄稿しているロシア文学者の沼野 充義は、そのうち 2作にしか言及していない。ということは、残る 1作は自分で探すしかないということか。

誠にトルコ映画、恐るべしである。

by yokohama7474 | 2015-07-25 23:53 | 映画 | Comments(0)