ワレリー・ゲルギエフ指揮 PMF オーケストラ (ピアノ : ドミトリー・マスレエフ) 2015年 8月 4日 サントリーホール

e0345320_23241074.jpg
全く、毎日うだるような暑さだが、今年から PMF の芸術監督を務めるゲルギエフが東京でコンサートを開くとなれば、バテたからだに (二日酔いという説もあるが・・・) 鞭打って、出掛けねばなるまい。PMF とは、Pacific Music Festival のこと。1990年に故レナード・バーンスタインの提唱により、札幌で始まった夏の音楽祭。環太平洋地域の若い音楽家がオーディションで選ばれ、一流の音楽家のもとで研鑽を積み、その成果を演奏会で発表するというもの。私も初回の横浜公演 (バーンスタインがキャンセルして佐渡裕が指揮をした) を聴いたし、1997年には札幌まで聴きに行き、それ以外にも東京で聴いたことが何度かあるが、25年を経てますます活発なフェスティヴァルとして盛況であるのは、なんともご同慶の至り。しかも、歴代芸術監督はまさに錚々たる面々だ。今年から芸術監督に就任したロシアの鬼才ゲルギエフは、相変わらず世界で最も多忙な指揮者のひとり。よくもまあこんな指揮者を確保できたものである。

さて、今回のもうひとつの話題は、去る 7月に行われた世界有数のコンクールであるチャイコフスキーコンクールのピアノ部門の優勝者、ドミトリー・マスレエフ 27歳の登場である。こんな若者だ。年よりもさらに若く見えますな。
e0345320_23384049.jpg
実は今知ったのだが、今回のチャイコフスキーコンクールは、モスクワだけでなくサンクト・ペテルブルクと 2ヶ所で開催され、その組織委員会の共同委員長がゲルギエフであったらしい。彼は先のソチ冬季オリンピックでも、開会式で五輪旗を運ぶロシアの要人のうちの1人であったので、あらゆる意味でロシアの中での発言力が抜きんでているのだろう。今回のチャイコフスキーコンクールでも、審査員の豪華な顔ぶれを見てびっくり。まさにゲルギエフ渾身の人選だったのであろう。中でも、ピアノ界の人間国宝、91歳のメナヘム・プレスラーが名を連ねているのがすごい。この優勝者のマスレエフは、プレスラーのお眼鏡にも適ったということか。因みに、今年はヴァイオリン部門では 1位なしだったらしい。

さて今回の曲目は以下の通り。

ロッシーニ : 歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品18
ショスタコーヴィチ : 交響曲第10番ホ短調作品93

実は曲目は二転三転していて、独奏者がチャイコフスキーコンクール優勝者であることは決まっていたものの、最初はベートーヴェンの「皇帝」が予定されていて、それがラフマニノフに代わり、またロッシーニの序曲が加わったが、最初は「セミラーミデ」だったらしい。ともあれこのプログラム、普通のコンサートより演奏時間が長めである。

一言で言うとこの若いメンバー (世界 24ヶ国・地域から 85名が選抜) からなるオーケストラは、弦には深い味わいはないがキレがあり (ビールの表現のようだネ)、管には精妙さはないが勢いがあるという感じ。まず若さの特権があって、そこにゲルギエフがさすがのカリスマぶりを吹き込むことで、なかなか面白い演奏会になった。

最初の「ウィリアム・テル」は、冒頭のチェロにいきなり不満。でも、曲が進むうちに、妙に乗ってくる演奏であった。指揮棒を持たないゲルギエフの右手が、痙攣したクラゲのようにヒラヒラフニャフニャ揺らめいて (うーん、我ながら言い得て妙だ 笑)、ギャロップを導き出していた。

ラフマニノフは、もう聴き飽きたような甘い情緒を湛えた曲なのであるが、このピアニスト、あまりその点を強調しない。打鍵の正確さ、粒立ちのよさも、いまひとつ。でもなんというかこう、幅の広い銀色の布を広げたように、派手さはないけど存在感のある音で、ある瞬間には、ぞっとするような劇性を表すのである。例えばカデンツァは自由度が高く、時折、これはこのピアニストが即興で弾いているのではないかと錯覚するような感覚があった。かなりユニークで、通常のチャイコフスキーコンクール優勝者の正当派的イメージとはちょっと異なる。やはり、プレスナーのような異才が選んだピアニストということなのであろうか。アンコールには、チャイコフスキーの小品と、ラフマニノフが編曲したメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のスケルツォを演奏したが、やはり、超絶技巧ではなく味わいで聴かせる演奏であった。さて、今後どのように進化して行くことであろうか。

メインのショスタコーヴィチ10番は、若いオケが指揮者に必死に食らいついて行く演奏で、技術上の細かい傷は散見されたものの、なにより音楽の勢いで聴かせてしまった。ゲルギエフのエネルギーは相変わらず凄い。この人、あまりに働きすぎのため、一回一回の演奏会での仕上がりが心配になることがあって、バッチリ準備した完璧な、あるいはここぞとばかり鳴り響く乾坤一擲の壮絶な演奏というよりは、次々とこなして行かなくてはならない一連の仕事のひとつという演奏に出会うこともままある。ただ不思議なのは、それでもこの指揮者がまた聴きたくなるのだ。ショスタコーヴィチの交響曲は、このブログでも過去何度か触れているが、精神の極限を表す奇怪な世界を含んでいる。この 10番でも、最初から最後まで狂気のごとく荒れ狂う第 2楽章や、激烈な盛り上がりの間に現れる、ポッカリと空に浮かんで微動だにしない雲のようなホルンのパッセージが不気味な第 3楽章等々、音楽の奇景とも言うべき場面に事欠かないが、それほど深く彫琢を施しているわけでもないのに、ゲルギエフの音楽は極めて鮮烈だ。指揮者の持ち味とは不思議なものである。

このゲルギエフ、明日は東京交響楽団との演奏会、10月にはまたまた新しい手兵であるミュンヘン・フィルと来日。また、来年には「本命」の手兵、マリインスキー歌劇場の引っ越し公演が予定されている。この短い、つまようじのような独特の指揮棒 (今日の後半で使用していたのは、これよりももうちょっと長かったと思う) で、彼だけの音楽を奏で続けて欲しい。
e0345320_00165670.jpg


by yokohama7474 | 2015-08-05 00:26 | 音楽 (Live) | Comments(0)
<< ブリギッテ・ハーマン著 ヒトラ... エドワード・ガードナー指揮 東... >>