ドイツ、バイロイト ワーグナー旧居 (ヴァーンフリート荘)、フランツ・リスト博物館、ジャン・パウル博物館等

前回からの続き。

ふと目が覚める。うーん、ここはどこだ。目をこすってみる。何やら案内板が。
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ん、なになに。"eu" はドイツ語では「オイ」と発音するんだよね。ええっと・・・バイ、ロイ、ス、いや、ト???? バイロイトだって?! は? Wahnfried? ヴァーンフリートって、あのワーグナーの住んでいた家だよね? どこに? えっ、目の前???
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ええーっ、これって本物のヴァーンフリートではありませんか!! いやー、やっぱり人間、強く望めば叶うのですな。あれほど来たかったバイロイトのヴァーンフリートに、本当に来てしまいました。こうなればしょうがない。早速、中に入ってみよう。
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当たり前だが、これまで映画や、ここで撮影されたコンサートの映像で見たものと同じだ。これが、昔ワーグナーとその妻コジマ (リストの娘) が暮らし、それから代々受け継がれてきた、ワーグナーの聖地なのだ。佇まいそのものは質素と言ってもよい。このサロンには、古い蔵書もズラリとそのまま展示してあり、例えばベートヴェンの作品全集 (楽譜なのだろう) もある。ワーグナー自身が見ていたものかどうかは分からないが、とにかくここにあるということは、その可能性もあるわけで、なんともゾクゾクする。
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前回の記事で扱った本を読んで、ワーグナー自身及び、バイロイト音楽祭に関係するその子孫に関しては、膨大な量の史料が残っていることを知った。19世紀の作曲家で、ここまで情報量の多い人は、ほかにいるだろうかという気がする (いや、20世紀の作曲家でもここまで多い人はいないのでは?)。そして、ワーグナーの作品もさることながら、この街の歴史を少し知った上でこの建物に入ると、額縁に収まった巨匠作曲家ワーグナーでなく、人間ワーグナーの存在感というものを、ひしひしと感じるのだ。併設の資料館にも興味深い展示品が目白押しだが、例えば、ワーグナーとコジマの日常品も大切に保管され、展示されている。
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これらを着て、ものを書いたり喋ったりし、ここで人類史上まれに見る意義深い文化生活を送っていた人たちが、この旧居の庭に、今は 2人で眠っている。ちょうどシーズン中なので観光客は比較的多いし、いろんな国のワーグナー協会から花が贈られるらしいが、でもまあ、その激動の人生を思えば、ひっそりと眠っているという言葉がぴったりくるようだ。
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また、過去のバイロイト音楽祭についての資料もふんだんだ。音楽祭が 1876年に始まって以来約 140年。途中資金難や戦争による中断もあり、3年ごとに休演するのが恒例の時代もあったが、いずれにせよ大変長い歴史だ。その長い歴史の中で、音楽祭に登場したすべての指揮者の写真が飾ってあり、興味は尽きない。常連として何度も登場した人もいれば、たった 1回のみの人もいる (我が国唯一の出演指揮者、大植英次もそのひとり)。実際に数えてみたら、75人だ。へーこの人がと思う指揮者もあれば、当然いてもよさそうなのにいない指揮者もいる。一部分、写真を撮ってみた。先日読響との演奏会をご紹介したスキンヘッドの怪人指揮者、デニス・ラッセル・デイヴィスも出演している。中断の真ん中、カラヤンの下だ。意外に目が可愛いのです。
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このヴァーンフリート荘は、1874年に建てられており、建物前の胸像はルートヴィヒ 2世だが、それも建設当時からあったことが写真によって判明する。ほかに興味深い写真は、例えば以下のもの。1945年、戦争末期にバイロイトも連合国軍の爆撃を受け、2/3 くらい破損してしまったとのことで、その痛々しい情景 (無邪気にバク転している少女の存在が余計無常感をそそる) と、連合国軍兵士 (アメリカ人だろう) が、爆撃によるものとおぼしき埃の積もったピアノを困惑気味にチェックしている (?) ところ。こういう時代を超えて、音楽祭は継続して来たのだ。
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ところでバイロイトという街、どこにあるのか、場所を確認しておこう。南ドイツ、バイエルン州の北東、ほとんどチェコとの国境に近いところに位置している。
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ある本によると、この街は、「そのままボヘミアの森に続いている」。そこで私はハタと気づいたのだ。ナチスドイツが当時のチェコスロヴァキアから奪い取った土地、ズデーテン地方 (ドイツ語圏) は、もうこのバイロイトからは目と鼻の先だ。
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ヒトラーは 1920年代からバイロイトに入り浸っており、1930年代前半の、権力を掌握する際どい過程でも、このヴァーンフリートにしばしば突然現れ、深夜や明け方までワーグナー家の面々とくつろいで過ごしたという。すなわち、ここは早くから、現実離れをした神聖な芸術だけが語られ、用意され、演奏される場所では決してなく、人々が血を流し涙を流す、のっぴきならない現実の舞台のすぐ近くに存在していたということだ。戦後の非ナチ化は険しい道のりだったが、それから 70年経った今でも、戦争と文化が危険な一線を越えてしまった時代は、まだ過去のものにはなっていない。

まあ、重い話はさておき、街歩きを続けよう。実は、あまりガイドブックには紹介されていないようだが、このヴァーンフリート荘のすぐ隣に、もうひとりの大作曲家で、ワーグナーの妻コジマの父でもある、フランツ・リストが亡くなった家があり、彼の博物館になっている。この人、作曲家としては、ピアノ作品以外にはあまり傑作は多くないものの、ロマン主義の時代を彩った悪魔的なピアニストとしてだけでも、充分に歴史に名を刻んだであろう。若い頃から沢山肖像画が残っていることから、その選ばれた人生が偲ばれる。以下、10代の肖像画 (利発そう! ハンガリー生まれなので、名前の表記が、日本人のように姓・名の順になっている)、20代の肖像画 (めっちゃイケメン!!)、そしてデスマスク (おー、しわくちゃの爺さんだ!!!) をご覧頂き、どんな特別な人間も、時の流れからは自由でないことをお感じ下さい。
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この博物館の受付のオバチャンにいくつか質問していると、実はリストはこのバイロイトで亡くなったことが分かった。1876年、75歳のときで、折しも音楽祭開催中の夏季のことだったという。そして、遺言で、音楽とは関係のない静かで質素な環境に埋葬して欲しいと言ったらしく、バイロイトの市立霊園に葬られたそうな。見せられた墓の写真では、チャペルが付随しているようで、通常人に比べれば質素ではないかもしれないが、他の多くの一般人と一緒に眠っているあたり、選ばれた者ゆえの潔さを感じてしまう。バイロイト滞在中に墓所を訪れる予定。

さてさて、実はもうひとつ隠れた博物館が数軒先にある。それは、ジャン・パウル博物館。
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ジャン・パウル (1763 - 1825) と言っても、誰それ、と思う人がほとんどであろうし、私自身も著作を読んだことはない。でも、ひとつ名前を知っている書物がある。それは、「巨人」という作品 (邦訳も出ているが、かなり分厚い本だ)。クラシックファンの方はピンと来るだろう。あのマーラーが、交響曲第 1番「巨人」の霊感を得た書物だ。そのジャン・パウル、ここバイロイトでは深く尊敬されているらしい。別の場所に、こんな石碑もある。
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そして、私自身も最近知ったばかりの、とっておきの逸話をご紹介しよう。このジャン・パウルが、奇しくもワーグナーが生まれたその年、1813年に、よりにもよってこのバイロイトで、驚くべきことに以下のような文章をものしているのだ。

QUOTE
これまで太陽神アポロは、右手に詩の才能を、左手に音楽の才能を携えて、その才能を互いに遠く離れ離れに立っている人間に向かって、常にそれぞれ別々に投げ与えていたが、正真正銘のオペラの台本が書け、同時に台本に相応しい音楽を作曲できる人物の到来を、つい今この瞬間に至るも、我々は変わらず待ち焦がれているのだ。
UNQUOTE

これはまさにワーグナーのことではないか!! ワーグナーの生まれた年に、ワーグナーが生涯その芸術を永劫に刻むことになる土地で、こんなことを予言した人物がいたとは、誠に驚きである。

余談ながら、このジャン・パウル博物館は、イギリス出身の著述家、ヒューストン・ステュアート・チェンバレンが住んでいた邸宅であるらしい。このチェンバレン、ワーグナーのコジマとの間の二女であるエーファと結婚した、ワーグナー一家のメンバーであるが、著しい人種論者で、反ユダヤ思想という点で、ヒトラーにも相当影響を与えたらしい。例のヴィニフレート・ワーグナーの伝記にも何度も登場するが、ここにも歴史の重要な一コマが存在するのだ。もしチェンバレンがエーファと結婚せず、またヒトラーが若いゴロツキの頃からバイロイトを頻繁に訪れていなかったら・・・と考えても詮無いことではあるが。今は全く異なる文学者、ジャン・パウルを記念する博物館として、チェンバレンがここに生きたということすら忘れられようとしている。

このバイロイトという街、今ではこじんまりとした佇まいだが、かつてはブランデンブルク辺境伯の宮廷が置かれていて、フリードリヒ大王の姉が嫁いで来たという歴史もあって、バロックやロココの建物が残っている。その筆頭が、世界遺産、辺境伯オペラハウスで、大変豪華な内装で知られているが、現在は 2018年まで保存改修中。残念ながら、外見と、付設の博物館の展示品のイメージのみしか体験できなかった。
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また、街中を歩いていて、旧市庁舎の奥にある文化博物館で、私のお気に入り (という表現には語弊があるが、要するに常に気になるという意味) の画家、ゲオルゲ・グロッス (1893 - 1959) の作品展を発見。飛び上がって喜び、早速鑑賞。
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このグロッスは、1920年代、30年代に、戦争の恐ろしさと貧富の差、都市にあふれる社会の底辺の人々を、皮肉にも軽妙なタッチで描いた画家。最近はジョージ・グロスとアメリカ式に呼ばれることも多いようだが、彼自身が米国に帰化したか否かは関係ない。その創作の絶頂期の活躍場所と描いている情景がドイツである以上、絶対にゲオルゲ・グロッスであるべきだ。今回の展覧会も、まさにグロッスらしい、おぞましくも哀しいブラックユーモアにあふれた作品のオンパレード。このような、全く予期せぬ展覧会との出会いもまた、楽しい。

さてさて、バイロイトでまだ訪れるべき場所はあるものの、夜のオペラに備えて一旦宿に帰ることとした。目抜き通り、マクシミリアン通りは、戦後は車道になっていたたようだが、今では石畳に戻され、歩行者用の道。今日は日曜なので、店も大方閉まっており、なんとも穏やかな雰囲気。観光客でもっているはずの街にしては、土産物屋もあまり見かけないし (ワーグナー饅頭とかワーグナー煎餅なんてありそうだと思ったが、どうやらなさそうだ)、日曜だから休むというのも商売っ気ないなぁ・・・。まあそれも、昔戦争で大きな荒波に揉まれた街の、今は大人の表情ということか。
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街には、犬を連れた人々ものんびり歩いている。また、ヴァーンフリートのワーグナー博物館の展示品にも、往年の名テノール、ラウリッツ・メルヒオールが 1931年にバイロイトでタンホイザーとジークフリートを歌ったときの写真として、多くの猟犬と戯れている微笑ましいシーンが見られた。いつの時代も、犬は人をホッとさせるものですな。特にビーグル (笑)。
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ああそういえば、先にご紹介した本を読んだ記憶だが、この写真が撮られた 1931年とは、このバイロイト音楽祭で唯一、トスカニーニとフルトヴェングラーが両方指揮台に立った年ではなかったか。本には、こんなポスターが掲載されている。そういう演奏を聴けた人たちは、なんという至福を味わったことだろうか。
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by yokohama7474 | 2015-08-10 09:30 | 美術・旅行 | Comments(0)