バイロイト音楽祭 ワーグナー : 楽劇「神々の黄昏」(指揮 : キリル・ペトレンコ / 演出 : フランク・カストルフ) 2015年 8月14日

今回のバイロイトでの滞在も、いよいよこのオペラ鑑賞で最後となった。「ニーゲルングの指環」大詰めの、「神々の黄昏」である。

ここで何度も同じことを繰り返しても本当に詮無いことと知りながら、やはり私は言いたい。ある程度前衛的な演出でト書きやもともとの台本の設定を変えることはあってもよいだろう。しかしながら、オペラの場合はどんな演出をしようが、音楽だけは変えられないのだから、その音楽で表されている事象のうち、ストーリーの根幹に関わるものは所与のものと考えるべきであろう。また、読み替えをして斬新な演出をする場合、演出家の意図を観客が容易に読み取れる (たとえ感覚的でもよいので) ようにしなければならない。なぜなら、CD や映画と違い、オペラの場合は同じ演出を繰り返し実体験することは容易にはできないし、ましてやワーグナーの大作をバイロイトのような特別な環境で見ることは、普通の人はそうそうある機会ではない。わざわざこんなに、コスト面でも大きなリスクがあって、実際の上演にも多くの制約のあるオペラなどより、自分のやりたいようにできる演劇か映画を、表現手段として選べばよいのだ。なので、もし、「観客のレヴェルが低いからオレの意図を一度で理解できないのだ」ということを考えるようなら、オペラの演出などやめた方がよい。もっとも、今回の演出家、フランク・カストルフが実際にどんな考え方の人で、どんなことを語っているのか、不勉強にして知らない。少しは誠実な物言いのできる人なのであろうか。

さて、このカストルフ版「神々の黄昏」で、ワーグナーの原作と異なる主要点は以下の通りだ。
・ハーゲンはジークフリートを背後から槍で刺すのではなく、金属バットで正面から殴り殺す。
・大詰め、火事らしきものは起こるものの、水がすべてを押し流すのではなく、ハーゲンが本物の火に向かって淋しげに両手をかざす焚き火 (って、オイオイ!!) をするところで幕となる。
その他、ジークフリートが殺される前にラインの乙女のうちのひとりと車の上で情事に至る点なども、見ていてなんとも不愉快な気分になった。そんなことをすると、主人公に感情移入できず、悲劇が成り立たないではないか。

ついでに前作、「ジークフリート」での同様の点については以下の通り。
・ジークフリートはノートゥングを鍛えるのではなくカラシニコフ銃を組み立て、当然剣を振るって鉄床を叩き切ることはない。
・ジークフリートは森の小鳥 (というより、見かけは夜の蝶だ) の誘惑を受け、ブリュンヒルデと出会う前に鳥と交わる。
・ジークフリートはファフナーを殺すのに、ノートゥングを使うのではなく、カラシニコフ銃で銃殺する (しかも音楽をかき消す大きな発砲音あり)
・ファフナー登場と同時に、大蛇というか、ワニが数匹出て来るが、ファフナーが死んだあと、大詰めでもワニが集団で登場する。なに、あのワニ?
・ジークフリートはミーメを殺すのに、ノートゥングを使うのではなく、ナイフを使って街のチンピラ風に何度も刺す。
・エルダはさすらい人 (ヴォータン) に対して突然オーラルサービスをする (さすがのワーグナーも、そんなシーンは考えもしなかったはず!! 爆笑)。
・大詰め、ブリュンヒルデを目覚めさせて愛を高らかに歌いながらもジークフリートは、森の小鳥を捕まえて屋外でコトに至る。

あーもう、書いていてまたムカついて来た。このうちの幾つかは、見ながら最初は少し笑っていたものもある。しかし、その笑いは凍り付くのが常であった。上記のうちのいくつが、演出上どうしても必要なポイントなのだろうか。私には、ただ原作を曲げることに汲々としているとしか思えない。ワーグナーにはナチ問題が関係するから、とにかくなんでもかんでも否定しようというのか? そんなことは、自分ひとりでおやり下さい。大枚はたいて日本から来た我々が、どんなに深くがっかりするか。いや、日本人だけでなく、ヨーロッパ人でも米国人でも同じこと。過激な表現を使っても、それが 4作の中で織り成すメッセージの一部を必然的に構成するならともかく、今回は 4作を通じて時間的な発展もないし、各楽劇間の演出テーマの共通性も感じられない。追って記事を書く予定の、バイロイトの街中で出会ったオジサンは、「ヨハン・ボータはデカいだろ。だから派手に動けない。なので、『ワルキューレ』だけは動きの少ない演出なんだよ」と笑いながら呆れていた。そういうこと? 演出家のメッセージは一体どこにあるのだろう。

ただ、フェアに言うと、今日の「神々の黄昏」で、ハーゲンがジークフリート殺害の決意を固め、グンターが懊悩する場面などに、演劇的なドラマ性が相当あったことは認めよう。でも、それ以外で理解不能が多すぎる!!

この演出を見ていると、段々歌手の出来もよく分からなくなってくる。ただペトレンコ率いるオーケストラだけが、相変わらず壮絶な音で鳴っていた。この劇場の場合、オケの人は舞台を見ることができないから幸せだ。舞台を見てしまったら、あんな音はきっと出せなくなってしまうだろう。終演後舞台に上がってきたオケの面々。やはり皆さんカジュアルな格好だが、充実したいい顔だ。演出家はカーテンコールには参加しなかったので、ブーの嵐が飛ぶことはなかった。
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それから、最初の 2作に合わせ、後半 2作のキャストの写真も貼っておこう。
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ところで、今日の終演後、私がバイロイトに来て一週間で、ようやく初めて雨が降っていて少し驚いたが、きっと天の神が、「おいおい、このオペラは最後は洪水で終わるんだよ。なに焚き火して終わってんだよ。しょうがない、ワシが雨を降らせて、ちゃんと結末をつけてやろう」ということで、恵みの雨をふるまってくれたに違いない。焚き火して終わる「神々の黄昏」、ありえないでしょう???

バイロイト滞在の総括は追って記事にします。

Commented at 2017-02-27 00:43 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yokohama7474 at 2017-02-27 05:56
コメントありがとうございます。大変参考になります。はい、私もその後、あれこれの解説を読んで、ここで演出家が言わんとしていることは一通り理解し、今では時々思い出して、懐かしい思いにとらわれます(笑)。考えてみれば、このような思いきった演出を世に問うには、尋常でない覚悟が必要ですよね。欧州とは歴史も日常生活も異なる日本にいると、自ずと問題意識が異なるわけで、その意味で、現地でこれを見ることができた意味はあったと思います。また是非お立ち寄り下さい。
by yokohama7474 | 2015-08-15 11:10 | 音楽 (Live) | Comments(2)