画家たちと戦争展 彼らはいかにして生きぬいたのか 名古屋市美術館

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このブログの初期に、板橋区立美術館で開かれた、画家と戦争にまつわる展覧会をご紹介したが、今名古屋で開かれている同様趣旨の展覧会を覗くことができた。ここでは、戦争の時代を生きた洋画家、日本画家、版画家 14名を取り上げ、その作品の変遷を展望することがテーマとされている。対象となっている画家は以下の通り。なかなかのバラエティだ。
 横山 大観
 藤田 嗣治
 恩地 孝四郎
 北川 民次
 岡 鹿之助
 福沢 一郎
 北脇 昇
 福田 豊四郎
 吉原 治良
 宮本 三郎
 吉岡 堅二
 山口 薫
 香月 泰男
 松本 竣介
と書いていて気づいたが、横山大観と恩地孝四郎は、展示されていなかった。期間中展示替えでもあったのか。それとも展示室を見逃してしまったのだろうか。

全体を見返して思うことには、戦争と自身の創作活動の間に深い関連のある画家とそうでない人がいるということだ。特に、いわゆる戦意発揚のために政府からの委嘱で戦争画に手を染めた画家の場合は、ほかの作品の評価がどうであろうと、戦争画の評価に引きずられているケースがあることに改めて気づかされた。東京国立近代美術館には 153点の戦争画が保管されていて (戦後米軍が接収して、同美術館に無期限貸与されているらしい)、その存在は以前から知られているものの、全貌についてはなかなか知る機会がない。いずれは全作品の展示を期待したいところだ (もちろん、近隣諸国には、その意義について充分説明できるはずだ)。今回の展覧会には、その一部が展示されており、また、写真展示も一部あった。

戦争との関わりという点で特殊な位置にいるのは、藤田 嗣治だ。その繊細な白で、エコール・ド・パリの一員として世界的な名声を博し、今でも絶大な人気を誇るその彼が、実は最も多くの戦争画を描いているのだ。今回展示されている「シンガポール最後の日」。
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ちょっと分かりづらいかもしれないが、この絵に限らず藤田の戦争画は、他の画家にないほど生々しく複雑な構図を取っている。あの瀟洒な雰囲気をかなぐり捨て、血をもって描いているという風情である。藤田はこの戦争画のおかげで戦後は大きな非難を浴び、逃げるようにフランスに帰って、かの国に帰化したのである。ただ、私は以前から思うのであるが、藤田の戦争画に、戦争賛美の要素をどのように見つけるのか、理解に苦しむ。これを見た人は、絶対にこんなところに行って命を捨てたくないと思うのではないだろうか。

一方、藤田の友人で、同じくフランスで活躍していたが、戦争を機に日本に帰ってきた画家がいる。岡 鹿之助。ただこの人の場合は、日本に帰国した以上の戦争との関わりを持たなかった。その静謐な画風は、見る人の心に沁み渡り、ノスタルジックな気分にさせる。私の大好きな「雪の発電所」が展示されていた。
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次に、福沢 一郎を取り上げよう。日本におけるシュールレアリズムの先駆者であり大家だ。1930年作の「よき料理人」の、このしゃれた味わいはどうだろう。
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このシュールレアリズムほど戦争から遠いものはなく、福沢も戦時中は転向を余儀なくされたらしい。だが、戦後すぐ、1946年作の「世相群像」を見ると、焼け跡に生きる人間たちの姿を呵責なく描いているものの、少し崩れたシュールというイメージで、この画家の逞しい精神を垣間見ることができる。
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最後にもうひとり、ナイーヴな作風がよく知られる、松本 竣介を取り上げよう。冒頭に掲げたこの展覧会のポスターになっている自画像、「立てる像」は 1942年、戦時中の作だ。このとき画家は 30歳。何か放心したような表情をしながらも、軽く左の拳を握りしめ、しっかりと両足で地面に立っている。戦局の悪化に不安を抱きながらも、生きて行く意志を静かに見せているのであろうか。彼は横浜の風景を何度も描いていて、以前、この「立てる像」などを所有する神奈川県立近代美術館で開かれた展覧会でその抒情性に打たれた作品に再会した。これも戦時中、1944年頃に描かれた、「Y 市の橋」。Y 市とは横浜市のことだ。静謐な風景であるのに、前のめりになっている男の姿が見る者を不安にさせる絵だ。戦後の 1948年、弱冠 36歳で世を去るこの画家の、ドッペルゲンガーのようにも見える。
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この展覧会に展示されていた作品は、作風は様々あれど、どれひとつとして本当の意味での戦意発揚という要素を前面には出していなかったと思う。日本の場合、マスコミは徹底的に時代に左右されて煽動役となったが、芸術家たちは決して戦争賛美の風潮にはなびかなかったということではないか。平和な時代の我々は、そのことの意味をよく考えてみる必要があるだろう。


Commented by 杜の飲んだくれ at 2015-09-04 22:55 x
松本竣介も藤田も、東北に縁の深い画家です。
宮城県美術館にも、二人の絵がありますが、松本の《画家の像》は、すっくと立つ男と傍らの妻子らしき女と、埃っぽい近代都市を描いた背景のコントラストが素敵な一枚です。
藤田が逃げたのか、故郷への愛ゆえに愛想をつかしたのか。いつか、ゆっくり語り合いたいですなぁ。
秋田の平野財団と縁ができ、《秋田の行事》その他をじっくり観る機会が何度かありました。収蔵されていた美術館が新しい場所に移ったので、また行きたいと思っています。
国立近代美術館で全戦争画展が実現するためには、乗り越えなければならない現実が山ほどありますね、今の政治情勢には。
Commented by yokohama7474 at 2015-09-04 23:28
「秋田の行事」、見てみたいですねぇ。藤田は実に奥深い、多面的な画家だと思います。久々の東北旅行、やってみたいですね。
Commented by 杜の都の牛タンパワー at 2015-09-05 07:18 x
「久々」だから、「はずみで」ではないね!、今度は。あ、そのだいぶ後に仙台で三人で食事もしましたねぇ。
Commented by yokohama7474 at 2015-09-05 08:57
おー、「はずみ」ネタ、まだ覚えていますか。もう忘れようよ (笑)。
by yokohama7474 | 2015-08-26 00:15 | 美術・旅行 | Comments(4)