シェイクスピア作 : から騒ぎ (小田島 雄志訳)

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白水 u ブックスには面白い本があれこれあるが、この小田島 雄志訳のシェイクスピア全集、全 37巻を購入してから、随分と時間が経つ。なにせ、西洋音楽や西洋絵画を楽しむには、シェイクスピアは必須なのである。あるいは映画を取ってみても、黒澤の「蜘蛛の巣城」が「マクベス」であるとか、「ウェスト・サイド・ストーリー」が「ロメオとジュリエット」であるとかいう基本形もさることながら、例えば、私が尊敬おくあたわざる女流監督、ジュリー・テイモア (一般にはミュージカル「ライオン・キング」の演出で知られる) が、マイナー作品「タイタス・アンドロニカス」を原作として「タイタス」という映画を撮ったり、あるいは、最近一体どうしてしまったのか分からずに大変残念な大天才、ピーター・グリーナウェイの「プロスペローの本」がもちろん「テンペスト」であったりすることからも、いかにシェークスピアが様々な芸術家の霊感の源泉になったかが分かろうというもの。ここで現代音楽に目を転じ、ベリオの「耳を澄ましている王様」(マゼールが世界初演) がやはり「テンペスト」であるとか、ライマンの「リア王」が大変感動的だとか、そうなってくるとちょっとマニアックなので、この辺でやめておこう。

と言いながら、実は遠い昔に、このシェイクスピア全集の第 1巻、「ヘンリー 6世」第 1部から順番に制覇しようとして、第 1巻すら読み終わることなく、挫折したきりだ。もともと芝居は好きな私であるが、脚本を書物として読むのは、どうも苦手なのだ。舞台で見ると、登場人物の判別は顔や服装や言葉で行うのだが、本になると、それが人物名になっていて、想像力を働かせるのはなかなかに酷である。これは裏を返せば、脚本を読み込めば、その作品のいろんなイメージを想像できるというもの。

この「から騒ぎ」、原題は "Much Ado About Nothing" というらしい。辞書で調べると、確かに "Ado" という言葉は「騒ぎ」「騒動」などとある。今度外人と話すときに使ってみるとするか。"W...What?!" という反応になること請け合い。そもそも日本人がそんなに高級な英語を喋るわけもないと思っているし、まあそれは実際その通りなので。ただ、この本の解説を見ると、この時代の英語では、"Nothing" は "Noting" (気づくこと) とほとんど同じ発音であったとのことで、この芝居のテーマが、「根拠のないこと (Nothing)」に基づく騒ぎであり、同時に「気づくこと (Noting)」によって始まりまた解決するということを意味しているという説もある由。

これを読むと、とどまるところを知らない言葉遊びがなんとも凄まじい。それこそ小田島訳の真骨頂なのであろうし、翻訳の苦心のほどは随所に偲ばれるのだが、実際に日本語で舞台にかかったときには、なかなか厳しいのかもしれない。まあしかし、シェークスピアのひとつの顔が言葉遊びにあることは間違いないだろうから、昔の英語の分からない身としては、このような訳からイマジネーションの翼を伸ばして劇を楽しむのも一興であろう。

それにしても、17世紀に書かれたこの戯曲、なぜにこうも人間の本質を描いているのだろう。誰かに対する信頼は、その信頼にもとるニセの情報によって簡単に覆る。高望み、から元気、有頂天という感情は、悪巧みによって、嫉妬、怒り、後悔、自己嫌悪・・・と、ほかの様々な感情にその座を譲ることとなる。この「から騒ぎ」は、さして長くもないその上演時間で、そのような人間心理をとことん描き出すのだ。そこに狂言回しも加わり、面白いことこの上ない。

ところでシェイクスピアについては、その正体が謎のままであり、そのテーマで何冊も本が出ているし、映画もいくつかある。彼の生地ストラットフォード・アポン・エイボンには 2度訪問したが、そこで目にするものも、詳細は省くが、実に面白い。そもそも英国の歴史的な場所は、ナショナル・トラストかイングリッシュ・ヘリテージが管理しているにも関わらず、ストラットフォード・アポン・エイボンの諸施設は、シェイクスピア協会か何かの管理になっていて、その事実だけで充分な事柄が物語られているのだ。実際英国では、シェイクスピアの生家が本物ではないということで、訴訟にもなったと聞く。また世の中には、なんとかこの空前絶後の劇作家の正体を暴こうと、いくらなんでもこじつけだろうという解釈をしている研究者が山ほどいるらしい。ここではその一端をご紹介しよう。以下の本に掲げられたシェイクスピアの肖像。この絵は、肩のあたりの描き方のぎこちなさから、実は後ろ向きの人物が後頭部に仮面をつけているところを描いていて、「私の正体を暴けるものなら暴いてみなさい」という意味だという説があるのだ!! いやいや、それ、考え過ぎでしょう。私には、ただのヘッタクソな絵にしか見えないのだが (笑)。
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さぁって、なぜ松本で音楽祭を聴いている途中にのんきにこんな本を読んでいるのか、答えはまた次回。

by yokohama7474 | 2015-08-30 00:41 | 書物 | Comments(0)
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