セイジ・オザワ松本フェスティバル ベルリオーズ作曲 : 歌劇「ベアトリスとベネディクト」(指揮 : ギル・ローズ / 演出 : コム・ドゥ・ベルシーズ) 2015年 8月29日 まつもと市民芸術館

この日、2015年 8月29日 (土) の朝、松本市内の某ホテルの殺風景な一室に、一生懸命「から騒ぎ」の脚本を読む一人の男性がいた。しばらく前からこの本を鞄に入れて持ち歩いていたくせに、最初の数十ページ以降全然読み進めることなく、この日の朝になってようやく読む決意を固めたらしい。折しも 8月も既に終わりに近づき、あたかもこの男性が幼少の頃、夏休みの宿題をぎりぎりになるまで放置していたことを想起させる・・・。この男性とは、ほかでもない、この私である。これまでの生涯に亘って一度も優等生であったことのない私にとって、もちろん夏休みの宿題など、最後の数日にまとめてこなすものであったし、オペラ「ベアトリスとベネディクト」の原作、「から騒ぎ」は、鑑賞当日に読むものと相場が決まっている。

いや、多少話を面白くするために言っているのであって、本気で受け取られては困る (苦笑)。その証拠に、この珍しいオペラの CD は、ベルリオーズを得意とした大指揮者、コリン・デイヴィスの録音の中古国内盤を事前にオークションで購入して、ちゃんと日本語対訳と首っ引きで鑑賞し、ばっちり予習済だ。もっとも、それとても、この上演を見に行く 3日前のことだったが・・・。ちなみにこの曲の録音は非常に限られており、バレンボイムがドミンゴを起用したものもあるようだが、既に入手困難だし、唯一は、コリン・デイヴィスが同じロンドン響と行った再録音があるが、もちろん日本語対訳などついていない。そんなわけで、この曲の予習としては、曲自体とその歌詞の日本語対訳、そして原作のシェイクスピアの戯曲と、なんとか事前に触れることができたわけだ。これを称して結果オーライという。

ともあれ、この作品、フランス・ロマン主義を代表する大作曲家エクトル・ベルリオーズ (1803 - 1869) が 1862年に完成させたオペラ・コミーク (台詞付のオペラ) である。実は、彼は晩年の 6年間は作曲活動を行っておらず、これがなんと、この作曲家の最後の作品である。それなのに、序曲を除いては、ほとんど全くと言ってよいほど演奏されないのは、一体どういうことだろうか。小澤は以前ボストンでこの曲を取り上げており、今回は久しぶりにこの 2幕物の全曲を指揮すると発表されたが、残念なことに、8月 1日に入院先の病院で転倒、腰を強打して骨折と診断され、やむなくキャンセルとなった。あーあ、せっかくこんなオリジナルの幟まで作ったのに・・・。
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会場入り口には、こんな張り紙が。
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いや実は、そればかりでない。人知れず主役ソプラノまでが降板だ。しかも、代役の歌手の紹介は、プログラムにも入っていない。
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あっちゃー、大丈夫かねこれ。まつもと市民芸術館は、鰻の寝床のように奥行きがあって、入り口からこんな動く歩道に乗って劇場へ。
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さて、会場に辿り着くと、映像で小澤征爾のメッセージが流れている。なんでも、「この度は私の全く間抜けな骨折で」(ママ) 指揮できなくて残念だ。迷惑かけて申し訳ない。1980 年にこの作品をボストンで取り上げて以来、この松本で、サイトウ・キネン・オーケストラと演奏したかったと語っている。
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不幸中の幸いは、この珍しいオペラを指揮する代役の指揮者が見つかったこと。ギル・ローズ。少なくとも日本における一般的知名度はゼロだが、ボストンで現代の交響曲を採り上げる団体、ボストン・モダン・オーケストラ・プロジェクトを立ち上げた指揮者であるとのこと。タングルウッドで学んだという点で、小澤とも縁がある (指導しているはずだが、このビデオの小澤の発言を聞くと、初対面であったようにも聞こえる 笑)。ともあれ、この珍しいオペラに触れることができる貴重な機会だ。
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今回の演出は、フランスの若手、コム・ドゥ・ベルシーズだが、彼は 2012年にここ松本で、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(山田 和樹指揮、主役イザベラ・カラヤン) の演出をした人だそうだ。私は松本でこの作品が上演された 2回とも見ているが、どちらも素晴らしかった。因みにこのベルシーズ演出の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」は、近々アラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルで演奏される由。そこでの語りは、マリオン・コティヤールだそうな。おっとそう言えば彼女はフランス人だ。

今回の上演、結果的には大変楽しいものであった。若干若さを感じさせるものの、安定した歌唱を聴かせたソリストの歌手たち。とぼけた味わいを含めた盛り上がりを、素晴らしい歌声で作り上げた OMF 合唱団。キビキビした運びとともに、抒情的な音楽に寄り添う柔軟性を見せたオケ。ステージセットはご覧の通り。この作品が保養地バーデンバーデンで書かれたことにちなんで、貴族の屋敷ならいろんなところで見かける温室の中でストーリーが進行する。
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このオペラ、原作と比べると、ごくごく単純化されている。原作では、ベアトリスとベネディクト (原作においてはこの 2人の間で凄まじい舌戦が展開するが、オペラではかなり和らいでいる) を含む 2組の恋愛模様の諸々と、狂言回しからなっていたが、ここでは、タイトルロールの 2名がメインで、あとはつけたしのようなもの。またここでの音楽は、数々の大作で派手な演出を好んだベルリオーズとにしては、大音響を欠いている。その繊細さは、作曲者最後の作品に似つかわしい。それから、ここには本当に耳をぞばだてる必要のある曲がいくつかある。例えば、第 1幕の最後に歌われる女声 2重唱は極めて美しく、オッフェンバックの「ホフマンの舟歌」の先駆であるかのように響く。ここで私は興味を持って調べるのだ。この曲と、「ホフマン物語」の間には、20年近くの差がある。実はその間にフランスで、シェイクスピアを原作とするオペラが、少なくとも 2作書かれている。グノーの代表作「ロメオとジュリエット」(1867年) と、トマの「ハムレット」(1868年。私はかつてジュネーヴでこのオペラを見たことがある) だ。これらの美しい作品は、このベルリオーズの作品の影響を受けて書かれたものではないのか。19世紀後半のパリにおけるシェイクスピア受容がよく分かる。

さて、ここで気づくことがある。このフェスティバルで昨年取り上げられたのは、ヴェルディの最後の作品、「ファルスタッフ」。今年はベルリオーズの最後の作品、「ベアトリスとベネディクト」。こうなると、来年はなんだろうか。まさか、プッチーニ最後の作品、「トゥーランドット」ではあるまいな。来年の演目を心待ちにしよう。

by yokohama7474 | 2015-08-30 23:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)