松本 筑摩神社、若宮八幡社、弘法山古墳、松本市立考古学博物館、牛伏寺、牛伏川階段工、馬場家住宅、半地下工場跡、おまけ : 釈迦堂遺跡博物館

松本に来るたび、周囲をいろいろと観光して回っている。この場所は内陸であるにもかかわらず、古代から文明の栄えたところで、縄文時代の遺跡から古墳、古寺まで、興味深い場所が目白押しだ。

もちろん松本のシンボルは、国宝松本城。素晴らしい。
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ただ、今回は少し違った松本をご紹介しよう。この街の奥深さを実感できるはず。では、重要文化財のオンパレード。最初は、筑摩 (つかま) 神社。本殿は 1439年の建立。松本市内最古の建物である。現在は修復中で残念ながら見られないが、深い森の中にあるこの神社の佇まいには、思わず衿を正したくなる。この本殿、いわゆる戦前の旧国宝で、戦後重要文化財になったわけであるが、最近の評価でいきなり重要文化財になった建築物よりも、ずっと以前からその歴史的評価が高いということだ。ちなみに拝殿も 1610年の建立で、県宝に指定されている。
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これが拝殿。
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本殿は修復中だが、旧国宝との碑が立っている。
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この狛犬は明治のものらしいが、苔むして威厳がある。
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と、歴史に思いを馳せていると、こんな張り紙が。おいおい、こんなところでドローンを飛ばしている奴は誰だ!! それとも、まだ誰も飛ばしていないけれど、予防策として貼ってあるだけか???いきなり現代に呼び戻される (笑)。
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さて、気を取り直して、そこから 500m ほど南に進もう。住宅街の中に、もうひとつの重要文化財がある。若宮八幡社本殿だ。ごく小さいものだが、桃山時代の貴重な建築で、1670年に松本城の鎮守社を当地に移築したものと言われている。
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さて、ここから幹線道路に出ると、何やらこんもりとした丘が見える。これこそ、古代の昔からこの地の聖なる場所であったところ、弘法山古墳だ。この名前はもちろん弘法大師に因んだものだろうから、この地にも弘法伝説があるものと見える。
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ここは桜の名所らしく、こんな道を通って行くことになる。桜の頃はさぞや見事だろう。
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おっと、行く手に小高い場所に続く階段が見えてきた。あの先に一体何があるのか。ワクワクする情景だ。
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そして、急にどぉーっと開ける視界。この場所は 1974年に発掘調査が行われ、全長 66m の前方後円墳であることが分かった。被葬者は不明であり、年代にも諸説あるが、ことによると、なんと 3世紀にまで遡る可能性あるとのこと。それにしてもこの展望、素晴らしい。
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実はここには前にも一度来ていて、その時は一点の曇りもない晴天だったので、本当に素晴らしい高揚感を覚えた。古代の王も、この丘から日本アルプスを見晴らしたものであろうか。ふと、この丘自体が人工のものであったらどうしようという妄想にとらわれる。まさかそんなことはないだろうが、それにしてもこの眺めは何か特別なものだ。この内陸部に君臨した王とは、一体どのような人物なのか。ここからほど近い松本市立考古学博物館には、この地域の縄文遺跡やほかの古墳からの出土品と並んで、この弘法山古墳からの出土品も展示されている。発掘調査当時の興奮を伝える新聞記事もある。「信濃の王者、何を秘める」なんて、ロマンがあるなぁ。なにやらワクワク感がずっと続いているのである。
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ところで、このような装身具や鑑が出土しているのに、遺骨はなかったそうだ。もしお宝目当てで盗掘したなら、遺骨には目もくれず、鏡やガラス玉こそ持って行くだろう。なぜに遺骨を持ち去ったのか、大変に興味がある。英雄の骨に神通力があるという伝承でもあったのだろうか。

さて、さらに山に入って行こう。古代からこの地で深い信仰を集めてきた、牛伏寺 (ごふくじ) だ。実に、聖徳太子の創建と伝わるが、このユニークな名前にはユニークな謂れがあるのだ。唐の玄宗皇帝が妻楊貴妃の菩提を弔うため、使いが大般若経を積んで善光寺に向かう途中、この地で牛が伏してしまったという。その際に寺は牛伏寺と名前を変えたとのこと。なんとスケールのデカいこと (笑)。鬱蒼とした山の中、オゾンを胸いっぱいに吸うと、何か神秘的なことが起こりそうな気がしてくるから不思議だ。
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境内も、なんとも言えない清々しさ。石段の下に 2頭の牛の像があり、皆が撫ぜるのであろう、テカテカしている。
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さてこの寺には、貴重な仏像が何体も伝わっている。重要文化財だけで 7体。宝物館で拝見するそのお姿は極めて古様で、平安時代まで遡るであろう。すなわちこの地は、縄文、弥生から古墳時代、さらにそれ以降も、人が生活して信仰を守り続けた、文化豊かな土地なのである。尚、本尊十一面観音 (重要文化財) は秘仏なのであるが、飾ってあった写真を見ると、奈良・法華寺の十一面観音との共通性が気になった。法華寺像の極度の洗練には劣るものの、なかなかの雄作である。確か 2年後に開扉と書いてあったはず。是非見にきたいものだ。
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本堂にあたるのだろうか、大悲閣は、堂々たる建物だが、しめ縄がしてあるあたり、神仏混淆の名残が見受けられる。実際、このような山の中では、自然に対する畏敬の念が生まれ、それは神とも仏ともつかないという感覚が、日本人にあるのである。掛けられた絵馬には、江戸時代のものも見受けられ、人々の信仰が脈々と続いていることが分かる。

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さて、牛伏寺を後にして、さらに少し山の中に行くと、これまた大変ユニークな重要文化財を見ることができる。その名は、「牛伏川 (ごふくがわ) 階段工」。
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これは一体何か。実は寺の横に牛伏川という川が流れていて、数百年前から頻繁に氾濫を起こしていたらしい。それを、フランスの技術を使って段々を作り、治水に成功したというのがこの設備なのだ。これは近代の産業遺産というだけでなく、見た目がなんとも美しいのだ。周りの自然と溶け込んで、四季折々の姿を見せるらしい。豊かで清らかなこの水、それをコントロールする人間の技、その調和が実に素晴らしく、しばし立ち去り難い感動を覚える。重要文化財指定もむべなるかな。
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現地に飾られている、完成当時 (1918年の写真)。うーん、感動的だ。人間ってすごい。
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尚、この牛伏寺川、少し下ったところでダムになっている。この階段工を見たあとでは、これも何やら美しく見える。
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さて、次は日本の民家で重要文化財指定を受けているところを訪ねよう。馬場家住宅。1851年に主屋が建てられ、1859年に付随する建造物が建てられた。馬場家は、もともと甲州の武田の家臣であったが、武田氏滅亡後、この地に移って来たらしい。大変立派な佇まいだ。
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おっと、このポスターは何だ。「武井咲ちゃんも来たよ!」と書いてある。あ、これは、理系ミステリー作家、森 博嗣の「すべては F になる」のドラマ化だ。この作家の小説は幾つか読んでいて、この原作もなかなか面白かったが、へー、こんなところでロケしたわけですな。せっかく歴史に思いを馳せているのに、ちょっと気が散るなぁ (笑)。
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さて、まだもうひと踏ん張り。私がバイブルと崇める山川出版社の県別「歴史散歩」には、このような記述がある。2箇所から抜粋しよう。

QUOTE

金華山の北斜面の地下に、アジア・太平洋戦争末期に名古屋航空機製作所 (現、三菱重工株式会社) が、零式戦闘機を製造するために疎開工場として建設を進めた地下工場跡が未完成のまま残っている。工事は 1945 (昭和 20) 年 4月から敗戦までの 5ヵ月にわたって行われ、強制連行された朝鮮人や日本人が多く動員された。
・・・・・・
弘法山から東へ約 300m くだると、県道松本塩尻線にでる。すぐに右に分かれて中山霊園につうじる道の右斜面一体は、金華山地下の地下工場の延長として建設された半地下工場跡があり、朝鮮人と中国兵捕虜が工事に動員された。

UNQUOTE

実は、以前にもこの 2つの場所を探しに来たことがあった。日本が戦争末期にいよいよ追いやられて切羽詰まった状態で、それでも戦闘機を建造して戦いを続けようという悲痛な思いで切り拓いた場所。しかも、朝鮮人・中国人を多く動員したという、いわば歴史の暗部である。似たような話は、同じ長野県でも松代市に現存する大本営 (天皇を含めた国家の中心機能を、ここの洞窟に移転しようとしたもの) にもあって、そこは一般公開されているので、私も行ったことがある。その点、この松本の戦争遺跡は、そのような管理にはどうやらなっていないらしい。車で、上述の後者の中山地区のそれらしいところを徐行してジロジロ探してみたが、木が深すぎて埒が明かない。こんな情景だ。
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今回も万策尽きたかと思って天を仰いだが、ふと思い立ち、スマホで「松本 半地下工場」と検索したところ、なんと、以下のような松本市のホームページに辿り着いた。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/kurasi/tiiki/jinken/heiwa/sennsouiseki.html

これによると、上記の記述の前者、金華山近くに、里山辺地区に軍事工場の記念碑が立っているという。運転しながらスマホをかざし、散々細い道に迷い込んで試行錯誤しながらも、苦労してついに見つけました。これです。
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この辺り、今は何の変哲もない郊外 (とはいえ、松本市街地から車で 10分か 15分程度) であるが、歴史を考える上で非常に重要な遺跡が、人知れず埋もれていることが分かった。そのような忌まわしい戦争遺跡を、隠蔽することなくホームページで公開している松本市は、さすがに文教都市である。今回の松本訪問では、古代のロマンから始まり、最後は戦争遺跡にまで辿り着いたが、松本で音楽を聴こうという人なら、せっかくの機会に是非このような寄り道をしてみることをお奨めする。人生、寄り道から学ぶことがいかに多いことか。様々な人の営みがあるからこそ、その土地土地の持ち味が生きて、訪れる人を幸せにしたり、思慮深くしたりするのである。ただ座って音楽を聴いているだけでは分からないことが、このような場所に足を実際に運ぶことで、鮮明に見えてくるように思う。

さて、番外編として、都内から松本までドライブする際に通る中央高速に沿った場所にある、山梨県の釈迦堂サービスエリアから歩いて行ける博物館を紹介しよう。このサービスエリアは、縄文時代の遺跡の上にできているらしく、その遺跡からの出土品、実に 5,599点 (これを「約 5,600点」としない実直さが好ましい 笑) が重要文化財に指定されていて、下りのサービスエリアから少し高台に上ると、博物館で出土品の実物を見ることができるのだ。土器だけでなく、夥しい数の土偶も出土している。中央高速の途中で古代に思いを馳せるというのも、なかなかオツなものだと思いますよ!!
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by yokohama7474 | 2015-08-31 01:23 | 美術・旅行 | Comments(0)