うらめしや~、冥途のみやげ展 東京藝術大学大学美術館 / 谷中全生庵 幽霊画コレクション

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酷暑の季節から一変して、鬱陶しい雨が続いて肌寒いかと思うと、気まぐれのように日差しが少し戻り、そしてまた雨へと移る最近の気候には、本当に気が滅入る。まあ既に 9月なので、炎暑の夏は過ぎているわけだが、何やらひんやりする怪談噺やホラー映画等、もう少し楽しみたかったような気がする。そんなわけで、この展覧会には早く出かけないといかんと思いつつ、ぎりぎり 8月の終わりの肌寒い日 (笑) に行くことになったので、ちょっと残念なことになってしまったが、やむなしとしよう。

題名で明らかな通り、これは幽霊画の展覧会である。既に多くの方がご存じであろう、初代三遊亭圓朝 (1839 - 1900) が収集した幽霊画コレクションが東京・谷中の全生庵というお寺に所蔵されていて、これはその圓朝コレクションを中心とした展覧会である。もともとは 2011年の夏に開催予定であったところ、東日本大震災の発生によって延期となり、ようやく今年開催の運びとなったものだという。さしもの幽霊たちも、現実に起こった悲惨な大規模天災の前に、出番を差し控える必要があったわけである。幽霊が人を怖がらせるには、人間の側にもある一定の平安がないといけないのだろう。

さて、初代三遊亭圓朝は、幕末から明治にかけて活躍した落語家であるが、ちょうど彼の活躍した時代は、社会の急激な変化の中で、人々の価値観も大きな変化を余儀なくされた頃。言文一致運動で知られる二葉亭四迷が「浮草」を書く際に、圓朝の落語を参照にしたというから、まさに現代の日本語の基礎を作った人ということになる。もっとも、その圓朝が昨今の若者の日本語を聞いても、同じ言葉とは分からないかもしれないが (笑)。これは、鏑木 清方描くところの圓朝像 (国立近代美術館所蔵)。重要文化財指定で、今回の展覧会の図録に載っているが、私が行ったときには展示されていなかった。明治のプロフェッショナルの頑固さと品格をうまく表現した素晴らしい作品ではないか。今回の展覧会には、圓朝愛用の湯呑やパイプ、湯タンポ等も展示されており、かつて生きた名人の息吹を感じることができて興味深い。
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圓朝は人情噺と怪談噺を得意にしており、この幽霊画コレクションは、後者の百物語に因んで百幅の幽霊画を収集し始めたものとかつては言われていたらしい。ところが、実際にコレクションとして残っている 50作品の中には、圓朝の死後加えられたものもあることが近年になって分かってきたとのこと。私が行ったこの日には、確か 24作品が展示されていた。幽霊画と言えば、足のない白装束のイメージがあり、それを最初に描いたのが円山 応挙であるというのが定説である。このパターンの絵が、圓朝コレクションにもある。
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私には応挙はどうも、優等生的な作品が多いイメージがあり、あまり好きな方ではないのだが (弟子の蘆雪の方が好みだ)、正直、幽霊画においても、これはあまりインパクトのある方ではない。圓朝コレクションには、本当に怖い絵が幾つかある。例えばこれなどどうだろう。伊藤 晴雨の「怪談乳房榎図」。凄まじい怨念が張りつめている。伊藤 晴雨は、いわゆる「責め絵」で知られる (いや、一般の人は知らないだろうが 笑) 画家で、随分以前に芸術新潮で特集していたのを興味深く読んだものだ。凄惨なのだが、どこかに人間味があるように思われる。分からない人もおいでかもしれないが・・・。
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あるいは、圓朝関連の本の表紙になっている、この「夫婦幽霊図」はどうだ。作者不詳だそうだが、お願いだからそんな目で見ないでよと言いたくなる怨念が描かれている。
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この展覧会では、この圓朝コレクションだけではなく、浮世絵に描かれた幽霊や、その他の幽霊画 (これには、落合芳幾や河鍋暁斎や月岡芳年のこわーい作品も含まれる) がまだまだ展示されており、見ているうちに段々寒ーくなってくる (クソっ、炎暑だったらなぁ・・・)。暁斎の幽霊画二点。おーこわ。センス抜群ですな。
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そんな中、珍しい展示物がある。これだ。
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このグロテスクな面は、落語家二代目 柳亭 左龍 (1859 - 1914) が「四谷怪談」上演時に実際に使用したものである由。この落語家はよほどお客を驚かす名人であったのか、恐ろしい場面で、この仮面をかぶった弟子を客席に出したらしい。これはビックリでしょう。高座の語り口にビクビクしていると、突然こんな顔のお化けが客席を徘徊すると、それは怖かったはず。客席からのヒーヒーいう悲鳴が聞こえるようだ。よく見るとあまり精巧にできていないのも、返って味わい深い。これらはいわば舞台の小道具で、使い捨てに近いものなので、よくぞまあ現在まで残ったものだ。早稲田演劇博物館の所蔵。

さて、美術館を出ようとすると、この圓朝ゆかりの寺、全生庵で幽霊画展が開かれているとの案内が。ここ芸大から谷中は目と鼻の先。随分以前に一度行ったことはあるが、久しぶりに行ってみるとするか。炎暑ではないことを残念だなどと言っていたものの、今となってはこの薄曇りが幸いして、歩いても行けるではないか。これぞ超自然の存在のお導きというものか。

さて全生庵に着いてみると、お、やってるやってる。幽霊画展。
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中に入って数えてみると、そこには 26点が。ということは、先に見た 24点と併せて、全 50点を鑑賞したこととなる。まあ縁起物ですからね、よかったよかった。邪悪な霊の絵を見ることが、逆に邪悪なものを祓ってくれるのではないか、と勝手な納得をし、全 50点を収めた画集を購入。今後落ち込んだらそれでも見て気勢を上げることにしよう。

本堂の裏には墓地が広がり、巨大な観音像が立っている。8月のギラギラした日差しが・・・映っていませんが、まあ、雨が降っているわけではなく、過ごしやすい天気ではありました。
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これが圓朝の墓。さほど大きくないが、先の肖像画を思わせる、きっちりした佇まいだ。
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そしてこの寺にはもうひとつ、偉人の墓所がある。幕末の三舟のひとり、山岡 鉄舟だ。と言いながら何をした人やら、恥ずかしながらあまり知らないので調べてみると、幕臣で、江戸無血開城の前に、駿府で西郷 隆盛と単独会見するなどの貢献があったらしい。維新後は静岡県や茨城県で要職にあり (前者においては清水 次郎長と懇意だったらしい)、また、明治天皇に侍従として仕えたとのこと。実はこの全生庵は、維新に殉じた人たちの菩提を弔うため、この鉄舟が建立したものである由。なるほど、寺にとっては開祖に当たるわけだ。通りでこのような立派な墓が残っているわけだ。
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幕末・明治の動乱で人心は疲弊したであろうが、近代に至って時が経つにつれ、都会は賑やかになって闇が減り、日常生活においても合理的な考え方が発展して行っただろう。その一方で、科学や近代文明では説明できない不思議な現象への興味や畏れが根強くあったことから、怪談噺や幽霊画が人気を博したものであろうか。それは、人間の営みがかたちを変えながらも、実は心理的要因には不変のものがあったということであろう。墓の下の圓朝は、自分のコレクションの幽霊画を見て怖がっている現代の人々に、「もっと怖がれ。それが人間であることの証だぞ」と諭しているのかもしれない。


by yokohama7474 | 2015-09-05 01:36 | 美術・旅行 | Comments(0)