伝説の洋画家たち 二科100年展 東京都美術館

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二科会は昨年設立 100年を迎え、それを記念したこの展覧会が、東京、大阪、久留米で開催されることとなった。二科会の主催する二科展は、現在でも日展と並んで一般にも名前の知られた公募美術展であり、よく芸能人の作品が入選したとかで話題になっている。私自身は、何展がどうのということはあまり興味がなく、古い作品であれ新しい作品であれ、自分が面白いか否かという点でしか見ないのでお気楽なものだが、人のいるところ流派があり派閥があり対立があるわけで、政治家はもとより、医者だろうが弁護士だろうが学者だろうが、はたまた芸術家であっても多かれ少なかれ、少なくとも日本ではそのような集団との関わり方が常に問題になるということになっているようだ。

ともあれ、上のポスターに名前が並んでいるような画家たちは、二科会の会員であったか否かは (よしんば会長であったとしても)、今となってはあまり重要なことではなく、その作品を坦懐に見ることだけが唯一のアプローチの方法と言うしかないだろう。少なくともここで言えることは、まさにポスターの謳い文句は誇張でもなんでもなく、伝説的な画家たちの名前がズラリと並んでいて、少なくとも日本の洋画史を辿る上では、二科会について知識があろうがなかろうが、なんとも楽しい展覧会だ。過去 100年の出品作から、96人、132作品が展示されている。ざっと数えてみたところ、96人のうち、私の知っている名前はせいぜい 40人ほどであろうか。その意味では、新たな画家との出会いの場にもなったと言える。

以前、岸田 劉生 (本展でも彫刻を含めて 3作が出品されている) のでろり論について、日本画側からその類似性を考えたが、日本の初期の洋画には、どうしてもその、でろり感がついて回るように思う。今回も会場を歩きながらそのようなことを思っていたが、ふと目に飛び込んで来た作品の色彩の軽やかさにハッとしたのだ。
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これは、カジミエシュ・ジェレニェフスキというポーランド人画家 (1888 - 1931) の、「春」という作品。1920年の作で、東京藝術大学の所蔵となっている。実は二科展には早くから外国人の出品も時折あり、ピカソやマティスという大家の作品も出品された例がある。もっともそれらは、これら大家と知遇を得た二科会の会員が依頼して作品を送ってもらったという経緯によるものであり、彼らがわざわざ日本にやってきて出品したわけではない。それに引き替え、このジェレニェフスキは、1918年に来日し、有島 生馬、石井 柏亭らの勧誘により、1924年に二科会の会友に、1931年には会員となっている。もっとも、会員になった年は、彼が死去 (ナポリでの客死) した年なので、たまたま会員になった後に死去したのか、死去したから会員にされたのか、判然としない。ともあれ、今となっては無名なこの画家の持っている色彩の自然な明るさは、やはり日本の空気の中ではなかなか生まれて来ないものだと思うが、いかがだろうか。

ところが、実は日本の画家にも、ヨーロッパ人に負けない明るい色彩の持ち主がいた!! 坂本 繁二郎 (1882 - 1969) だ。本展では 4点が出展されている。有名な馬の絵も 1点あるが、ここでは牛の絵 (「海岸の牛」1914年 --- 100年以上前だ!) と、女性の肖像画 (「帽子を持てる女」1923年) を紹介しよう。ところでこの画家、作品の繊細さと、同郷同年生まれで名前の漢字も一文字共通している、青木 繁からの連想で、なんとなく早死にしたのかと思ってしまうが、85歳の天寿を全うしている。晩年の作品はよく知らないが、少なくともこれら若い頃の作品を見る限り、日本人離れした (嫌いな言葉だ・・・どの民族が描いたかなど関係なく、絵画として優れているという意味で、この言葉を使おう) 才能であると思う。
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日本人離れという意味では、佐伯 祐三 (1898 - 1928、よく知られているようにパリで客死) などもやはりそのように評価できるだろう。また、長谷川 利行 (1891 - 1940、最後は三河島の路上でのたれ死に) の感性も、アカデミズムとは無縁の生命力を持つ。このような画家たちも出展した二科会という公募展の広がりを実感することができる。以下、佐伯の「新聞屋」(1927) と、長谷川の「酒売り場」(同じく 1927)。
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また、画家の広がりという点で、これまた意外な 2人を紹介しておこう。このブログによくコメントをくれる旧友、杜の都さんに敬意を表して、藤田 嗣治の異色作、「町芸人」(1932、平野政吉美術財団蔵・・・戦争画に取り組む以前に既に繊細さをかなぐり捨てた作風に、一般的に流布した藤田のイメージとは異なるものを読み取ろう) と、杜の都さんがコメントで触れていた、松本 竣介の「画家の像」(1941、宮城県立美術館像・・・名古屋で見た「立てる像」と似ている面もありながら、色使いが違い、またこちらは家族と一緒である点に何か意味がありそうだ)。
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また、今回初めて知った画家もいろいろあったが、1点選ぶならこれだ。吉井 淳二 (1904 - 2004) の「舟をつくる」(1968)。鹿児島の画家で、この作品も名門ラ・サール学園の所蔵である。1989年に文化勲章を受けているので、今まで知らなかった私が無知なのだろう。この作品、あたかも天平彫刻のような確信に満ちたモデリングで、誇張することなく生命の力を巧まずして表現していて、素晴らしい。
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さて、最後にやはり、「お、こんなところで」と思わせてくれた、大御所の絵に触れておこう。ほかならぬ安井 曾太郎 (1888 - 1955) だ。「玉蟲先生像」(1934)。英文学者、玉蟲 一郎一 (たまむし いちろういち・・・なんという個性的な名前!!) の肖像である。なんだかほっとしますね。大御所が安泰でいて初めて、若手が暴れる素地ができるのだと、改めて思った次第。
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Commented by 杜の五十路 at 2015-09-05 22:06 x
恐縮です。
見たかったけど、明日で終わりなのね。
藤田の中南米シリーズをまとめて観るには、平野コレクションですね、ホント。
一緒に過ごした女性で時期を区切ると、彼のやりたかったことが見えてくるような気がします。
《秋田の行事》も、マドレーヌさんと死に別れた後の瞬発的パワーで描きあげたものだそうですよ。
なんと、あさってまで、仙台三越の催事場で、フジタの作品約50点を含む洋画、版画、リトグラフなどの即売会が開かれています。私は、フジタが晩年に好んで描いた子どもの絵が好きなので、いつか、小品でいいから部屋に飾りたいと思っているのですが。○○万円から○○○○万円までと、大変な御値段がついておりました。目の保養止まりです。
Commented by yokohama7474 at 2015-09-05 22:14
ふーむなるほど。藤田ファンにとっては平野コレクションは必見ということですな。因みにこの展覧会、9月12日から11月1日まで大阪市立美術館、11月7日から12月27日までは石橋美術館 (久留米) で開かれるので、出張または家族旅行という手はあるのでは?
Commented by 杜のフジタ-ファン at 2015-09-05 23:15 x
ちなみに、玉蟲という姓に見覚えがあり、手元の本をめくったら、一郎一さんは、玉蟲左太夫の息子で、夏目漱石の後がまで旧制松山中学の教員を勤め、後に仙台の旧制二高の校長となった人。安井曽太郎の絵は退職記念に描かれたもののようですね。
左太夫は、仙台藩士として、幕末の万延元年に、日米修好通商条約の批准書を届ける遣米使節の随員として、アメリカの政治文化に触れた人。建国の父、ワシントンの生家はどこにあるか尋ねたら、そんなこと知るか、とアメリカ人に言われて、民主主義のなんたるかを悟ったという逸話を残しましたが(日本憲政史に名を刻むべき人物だと思います)、一郎一が生まれた直後の明治2年、時代の狭間で切腹を申し付けられ世を去りました。
今でも仙台では割と見かける苗字です。
Commented by yokohama7474 at 2015-09-06 00:41
そうそう、この方、松山での漱石の後任という説明は見ましたが、仙台ゆかりの人とは知りませんでした。今でも玉蟲さんってそんなにいるの? 土地に歴史ありですなぁ。
by yokohama7474 | 2015-09-05 12:03 | 美術・旅行 | Comments(4)