ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」(演奏会形式) シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2015年 9月 6日

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バイロイトでティーレマンの指揮する「トリスタン」を見てから、ええっと、もう何ヶ月経ったかなぁと思って冷静に考えると、な、なに? まだ 3週間半だ。あっれー、随分昔のような気がするが、まだ 1ヶ月も経っていないわけである。それなのに、また「トリスタン」の全曲だ。今回の演奏は、読売日本交響楽団が、その常任指揮者、フランス人のシルヴァン・カンブルランと挑む、演奏会形式だ。1週間を挟んで 2度の公演があるが、チケットは完売。相変わらずの日本人のワーグナー好きが実感される。私はド M ではないので、別にこれに行かなくてもよいのだが、まあ行きがかり上しょうがない、行くことにした。うむ、実際には松本での小澤指揮のブラームス 4番の日程とダブってしまったのだが、躊躇なくこちらを選んだ。やっぱりド M なのかなぁ・・・。

さて、会場には、新国立劇場の音楽監督でワーグナーを得意とする指揮者、飯守 泰次郎や、音楽評論家数名、いつも見かける一連のコンサート常連おじさんたち、それから、先のバイロイト旅行で見かけた人たちも含めて、東京中のド M が大集合だ。今月の東京での演奏会では、まず注目度 No. 1 と言ってよいだろう。

シルヴァン・カンブルランは、1948年生まれ。南西ドイツ放送響 (バーデン・バーデン & フライブルク) の首席指揮者として、主に現代音楽の分野で頭角を現したが、そのレパートリーは広く、読響とも、2010年の常任指揮者就任以来、古典から前衛まで、あらゆる音楽を手かげている。このポニーテールが特徴。
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実は彼は現在、シュトゥットガルト歌劇場の音楽総監督も務めていて、今回の「トリスタン」は、その劇場での主役歌手を招聘してのもの。シュトゥットガルトには行ったことがないが、この歌劇場はなかなか面白そうだなとは思っていて、今回の演奏会は、日本でポストを持つ一流指揮者の海外の活動の一端が日本に紹介される機会ととらえることができるであろう。

演奏会形式でオペラを上演する場合、少し舞台装置や照明や歌手の演技がある場合もあるし、純粋に音楽だけの場合もある。今回は、ステージ上は通常のオーケストラコンサートよりも照明を落とし、オケはまるでピットにいるかのように、各譜面台に照明をつけての演奏。但し、舞台装置や特殊な照明の類は一切なし。歌手の演技も、視線を合わせるとか、ちょっと死んだマネとかいう、最小限にとどめられた。まさに、正面からワーグナーの音楽に取り組もうという姿勢が明確だ。

これまでカンブルランの指揮には何度も接していて、情緒的でないタイプであることは分かっていたが、その一方で、オケを鳴らすことには長けているので、ワーグナーの楽劇には適性があるものと期待していた。結果的には、その期待は、まずは充分に満たされたものと思う。前奏曲では音の粘りは最小限に、但し弦に対して管が反応する際の細かい神経の使い方は傾聴に値するものであった。読響も、まだ私の耳の底に残っているバイロイトのオケの響きと比較するとさすがに酷であるが、官能性溢れる音楽をニュアンス豊かに演奏したと言えるであろう。この曲、ほかのワーグナーの曲もそうであるが、とにかく言葉が途切れる瞬間が少ないので、指揮者は流れを作るのが大変であって、始終動き続けることになるのだが、このカンブルラン、若干スコアを見る時間の割合が高いようにも思われたが、的確な指揮ぶりではあった。第 2幕の途中で指揮棒を置いて素手で指揮していたのは、長丁場の 2重唱で、オケをうまく流すためであったろうか。歌劇ではなく楽劇とワーグナー自身が呼んだ通り、歌もさることながら、オーケストラのパートが重要なオペラであり、その意味で、読響の演奏は充分作品の要求を満たしたと思う。

一方で歌手はどうか。圧巻であったのは、マルケ王役のアッティラ・ユンである。
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韓国人のバス歌手だが、欧州各地で活躍しており、バイロイトの常連でもある (去年なら、ハーゲンを歌っていたらしい。ということは、やはりこの人も、ジークフリートを、背後からではなく、正々堂々 (?)、正面から金属バットで殴り倒したのだ 笑)。その存在感は素晴らしく、このオペラ、マルケ王の登場する 2つのシーンがとりわけ重要な意味を持っているように思えてくるから不思議である。実際、第 2幕と第 3幕の幕切れ近くでマルケ王の歌う内容は、主役 2人の陶酔と対局にある、物事に対処すべき大人がわきまえているべき分別と、悲劇を浄化する寛大な人間性を表しており、これがなければこのオペラ、全くスカスカなものになってしまうということに、改めて気づかされた。凡庸なバス歌手なら、単なる説教で終わるところ、ユンは、作品の新たな面に気づかせてくれた。

ブランゲーネを歌ったクラウディア・マーンケは、帰宅してから気づいたことには、今年のバイロイトの「指環」でフリッカを歌っていた歌手ではないか!! おー、なんということ。全く分からなかった。では今日の主要歌手 5名 (クルヴェナルまで含めて) のうち 2名が、あの最低演出の経験者か。なにせ、このマーンケさん、今回のプログラムの写真がこんな爽やかなのに、
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バイロイトではこんな感じでしたから。
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本当にオペラ歌手とは大変な職業である。ところで、このバイロイトの「指環」、最低最低と言いながら、最近少し懐かしく思い返すときがある。後追いながら、演出のコンセプトについての解説なども読み、はぁそういうことだったのかという点もないではない。ただ、一度最低と評価したものは、そう簡単に評価を変えてはいけません。ということで、相変わらず最低という整理にしておこう。

話がそれてしまったが、このブランゲーネは、それほど驚くような出来でもなかった。そうなると主役の 2人であるが、イゾルデ役には、もともとシュトゥットガルトで歌ったらしいクリスティアーネ・イーヴェンが病気のため、レイチェル・ニコルズという歌手に変更になった。この名前、聞き覚えがある。多分コヴェントガーデンで聴いたことがあるような気がする。代役で出てきた割には、譜面も見ずに堂々たる歌唱ぶりであった。まずは及第点といえよう (エラそうですみません)。

最後に、トリスタン役のエリン・ケイヴィスであるが、全曲危なげなく歌ったものの、正直なところ、音程、声量とももうひとつであった。まだ若い歌手なので、これからまだ成長して行くのであろう。私は時折思うのだが、本当にオペラ歌手、特にワーグナー歌いを職業に選択しなくてよかった。あれだけ長いドイツ語を覚えてちゃんと歌うなんて、人間業とは思われない。だから、こんな曲を全曲歌えるだけで、本当は拍手喝采なのだが・・・。

聴き終わった感想を一言にするなら、「やはりワーグナーの演奏会形式上演は、長い!!」というもの。この「トリスタン」は、ストーリーが単純であるため、演技があってもなくてもよさそうなものだが、やはりそうではなく、舞台があって初めて音楽が生きると思うのだ。このオペラのストーリーがいかに簡単か、例を採って説明すると、第 2幕の要約はこうだ。
 ブランゲーネ「イゾルデ姫、お気を付けを」
 イゾルデ「いいのいいの。あ、トリスタン様ぁ」
 トリスタン「おー、愛してる愛してる、イゾルデがボクか、トリスタンがキミか分からないくらい」
 イゾルデ 「Me, too」
 メロート「おっと、不倫現場発見!!」
 マルケ「なんちゅうことしてくれんねん」
 トリスタン「お詫びにわざと切られまーす」
これだけの内容を、実に 80分かけて延々歌い続けるのだ。どうですかねこれ。ちょっと長すぎやしませんか!! それから、演奏会形式ということで、歌手は時折水分を補給しながらの歌唱であったが、例えば、第 3幕大詰め、いよいよイゾルデが最後の絶唱、「愛の死」に入る直前に、侍女ブランゲーネが強く呼びかけるシーンがあるのだが、「イゾルデ様! 愛しい姫様! 忠実な侍女の言うことが聞こえませんか?」とド迫力で詰め寄るとき、イゾルデ役の歌手が、それを一切無視して、「さあいよいよ最後よ」とばかり水分をチュウチュウ吸うのを見て、ブランゲーネが、「おい、聞いとんのかい、ワレ!!」とイゾルデをドツくのではないかと、見ていてハラハラしたものだ (笑)。

冗談はさておき、バーンスタインがバイエルン放送響とこのオペラをライヴ録音したとき、確か、各幕で 1回のコンサートであったはず。1日のコンサートで全曲は、ちょっときつかったというのが本音。但し、聴き通す忍耐を持った人間にとっては、なかなかに充実した内容であったと言ってよいと思う。次は舞台で見たい。

by yokohama7474 | 2015-09-07 01:03 | 音楽 (Live) | Comments(0)