村野藤吾の建築 目黒区美術館

この展覧会が開催されていることは知っていた。だが、なかなか都合がつかずに、半ば以上諦めていた。というより、既に意識の中からほとんど消えていた。ところが、世の中には不思議な巡り合いというものがある。ほんの 2日前、金曜日の夕方近くのこと。仕事で日本橋を訪れ、面談先のオフィスを探すのに若干手間取り、迷っているうち、なぜか気になる古いビルが目についた。そこでそのビルにいそいそと近づいて、そこに出ていた説明板を読んだのだ。そこには、「近三ビル」という建物名と、その設計者、村野 藤吾の名前があった。・・・おお、そういえば!! このビルのことは知らなかったが、村野が日本を代表する建築家であることくらいは知っていて、青天の霹靂のようにこの展覧会のことが脳裏をよぎった。ようやくこの展覧会を訪れることができた今日は、奇しくも東京での展覧会の最終日。まあ別に、村野の魂に導かれたなどという大げさなことを言うつもりはないが、街中でも常にアンテナを張り、捨て目を利かせることの重要度を思い知るとともに、ちょっとした情報収集、また、頭の隅に引っかかった記憶というものの組み合わせが、文化の諸相を味わうためには意義を持つのだということを再認識した。
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村野 藤吾 (むらの とうご、1891 - 1984)。その名前は、例えば丹下健三や黒川紀章や磯崎新や、はたまた安藤忠雄ほどの知名度はないかもしれないが、数多くの庁舎やホテル、デパート、オフィスビル等々を手掛けた、文字通り日本を代表する建築家である。
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長命であったこともあってか、彼の手がけた作品は数多く、この展覧会では、その一部について模型が展示されている。東京に現存する建物のうち、知名度の高いものの模型を 3つご紹介しよう。まずは、旧日本興業銀行本店、現在のみずほ銀行だ。写真の右端下部の曲線が大変有名である。
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それから、有楽町駅のすぐ横にある読売会館。もとそごうで、今はビックカメラになっている。ご存じの方も多いはず。
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これは日本生命ビル。以前このブログで、ロッシーニのオペラ「ランスへの旅」(おお! そう言えばまさに今日このあとすぐ、BS プレミアムで放送だ!! なんという偶然!!!) の記事で触れた、日生劇場を含む。
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村野の作品の中には、戦後の建築物として初めて (丹下健三設計の広島平和記念資料館と並んで) 重要文化財に指定された、1953年築の広島の世界平和記念聖堂も含まれる。私は行ったことがないが、写真で見る限り、ヨーロッパ的な造形感覚も感じさせながら、コンクリート打ちっぱなしのモダニズムも併せ持つ、興味深い建築だ。
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一方、私がたまたま発見した近三ビルであるが、正式名称は森五商店東京支店といい、1931年の竣工で、村野のごく初期の建築のうちのひとつ。このような、現在の目から見れば何の変哲もないように見えるビルであるが、逆に言うと、既に築 80年以上を経て、未だ街中に溶け込んでいる点にその先進性が感じられる。何より驚くべきなのは、あのドイツ人建築家ブルーノ・タウト (日本に何度も滞在し、桂離宮の簡潔さの美を大絶賛してその世界的な再評価を実現した人物) が、たまたま通りかかって (私と同じではないか!! 笑) このビルを褒めたということ。より正確には、「婦人の友」誌における「ブルーノ・タウト氏と東京を歩く」という企画の中で、このビルのことを「日本の伝統と現代的価値との驚くべき融合」と述べた由。うーむ、昔の女性雑誌の特集ってそんなに高級だったのか・・・。

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村野の年譜を調べてみると、1933年にはタウトの来日記念講演会で、「日本に於ける折衷主義の功禍」という講演をしているので、世のタウトブームも、彼の知名度向上には大いに貢献したのではないか。また、このビルは今も現役で、このようなサイトもあって興味深い。
http://www.sanko-e.co.jp/read/memory/kinsan

さて、あれこれの村野の作品群を見ていて思ったことがひとつ。我々の国には、1300年も前からの建造物が幾つも残っているものの、近世に至るまでは、社寺建築のみ現存しているわけで、それ以前の宮殿や民家は時代を乗り越えられなかった。もちろん、木造で建造物を作り、これだけ天災の多い国であるし、戦国時代もあったので、やむないことではあるものの、では将来に目を向けて、現代建築は何百年も残るのだろうかと考えたとき、建築自体の強度は古い木造建築よりは強いはずでも、オフィスビルや大規模ホテルなどが何百年残るとは思えない。村野の作品でも、例えば私が直接知っていた、そごう大阪店だとか、磯子の丘の上に建っていた横浜プリンスなどは、今はない。前者は老朽化によって、後者は再開発によるマンション建設によって、取り壊されてしまったわけだ。確かに、そのような規模の建築を、本来の実用目的から離れて文化財保存することは、現実的に考えて無理だろう。では、その一部のみを移築し、明治村よろしく昭和村とか平成村とか称して保存するような日が来るのであろうか。さらに視野を広げると、既に 100年以上の歴史を持つニューヨークのエンパイア・ステイト・ビル、クライスラー・ビル、ロックフェラー・センターなどは、この先一体どうなるのであろうか。私がここで心配してどうなるものでもないのだが、芸術の一分野としての建築の評価とは、「かつてこんな建物がありました」というかたちで継承されるのか、あるいは偉大な建築家たちの業績も風化して行ってしまうのだろうか。

せめて近三ビルは、当分の間現役で頑張って欲しい。その説明板を見ることで、ある文化の一側面に気づく人間が、ほかにもいるであろうから。

by yokohama7474 | 2015-09-13 23:30 | 美術・旅行 | Comments(0)