英国ロイヤル・オペラ来日公演 モーツァルト : 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(指揮 : アントニオ・パッパーノ / 演出 : カスパー・ホルテン) 2015年 9月13日 NHK ホール

英国のロイヤル・オペラ (所在地の名を取ってコヴェント・ガーデンともいう) が、5年ぶり 5度目の来日中である。今回の演目は、この「ドン・ジョヴァンニ」(東京で 3回、兵庫で 1回) と、ヴェルディ中期の傑作「マクベス」(東京で 4回) だ。昨日の「マクベス」による幕開けに続き、今日が「ドン・ジョヴァンニ」の初日。ちょうど昨日の午後、広上 淳一の指揮で N 響の定期演奏会がこの NHK ホールで開かれたので、その終了後に舞台がしつらえられたのであろう。ホールの入り口には、このような装飾が。
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海外オペラの引っ越し公演には莫大な費用がかかり、もちろんチケット代だけで賄えるわけもないので、企業からの寄付金が絶対不可欠なのであるが、日本も好況の片鱗が見えたかと思うと暗雲が立ち込めるという状況が続いているので、なかなかこの規模のオペラハウスの引っ越し公演は、難しくなってきているのではないだろうか。それでも、行ってみると大概満席になっていて、喋っている来場者たちの会話に耳を傾けてみても、なかなかのオペラ通が沢山集っていることが分かる。ヨーロッパでオペラを見る楽しみは、その劇場にいる瞬間だけではなく、その前後にもあるわけで、この巨大な体育館のような NHK ホールで見るオペラの味気無さには毎度毎度、忸怩たる思いを抱くのであるが、まあそれでも、ヨーロッパから中身がやってくること自体は、大いに意味のあることであり、なるべく足を運びたいと思う。

さて、コヴェント・ガーデンでの「ドン・ジョヴァンニ」は、1962年以降、6つのプロダクションが制作されており、私は今回そのうちの 3つめのプロダクションを見ることになる。1992年に現地で見た、ヨハネス・シャーフの演出 (ハイティンク指揮、トーマス・アレン主演。尚、同じ年の日本公演でも同じプロダクションが上演された)。2007年にやはり現地で見た、フランチェスカ・ザンベッロの演出 (パッパーノ指揮、アーウィン・シュロット主演。このウルグアイ出身のバリトン歌手は、あのスーパー・ソプラノ、アンナ・ネトレプコとその後結婚するのだが、私が見た日、ネトレプコはドンナ・アンナ役で出演していたにもかかわらず、第 1幕終了時に降板して代理が歌ったのをよく覚えている。もしかして妊娠していたのか?!)。今回のプロダクションは、昨年初演されたばかりの新しいもの。演出家のカスパー・ホルテンは、1973年コペンハーゲン生まれのデンマーク人で、2000年から2011年までデンマーク王立歌劇場の芸術監督を務めたとのこと。指揮のアントニオ・パッパーノは、2002年からこのオペラハウスの音楽監督を務める名指揮者だ。両親はイタリア人だが英国で生まれている。知らないうちに Sir の称号をもらっていたようだ。今や名実ともに英国を代表するイタリア人指揮者だ (?)。正直言うとこのコヴェントガーデン、格式の高いオペラハウスの中では、オーケストラが必ずしも上質とは言えないのだが、私の経験では、このパッパーノが指揮するときだけは、いい音で鳴るのである。
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今回の主役は、イルデブランド・ダルカンジェロ。日本での知名度は高くないが、この「ドン・ジョヴァンニ」は当たり役のようで、ザルツブルク音楽祭でエッシェンバッハが指揮した演奏の DVD もあれば、ネゼ・セガン指揮のマーラー・チェンバー・オーケストラの CD でも歌っている。確かに今日の演奏でも、歌い込んだ、危なげのない感じは分かったが、さて、何か新たなドン・ジョヴァンニ像に気づかせてくれる次元まで達していたかといえば、ちょっとクエスチョン・マーク。ただ、この容貌なので、この役のイメージには合っているとは言えそうだ。
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ほかの歌手では、ドンナ・アンナのアルビナ・シャギムラトヴァ (ひえー、長くて覚えられないよ。ウズベキスタン出身)、ドンナ・エルヴィラのジョイス・ディドナート (アメリカ出身) はなかなかに表現力があると思ったが、ツェルリーナのユリア・レージネヴァ (ロシア出身) だけは、声は出ているものの、およそ可憐なツェルリーナ的ではなく、何やら情念が感じられる歌いぶりで、私としてはちょっと敬遠させて頂きたい。それから、忘れてはならないのが、ドン・オッターヴィオのロランド・ビリャゾン (メキシコ出身) だ。
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もともと、偉大なる 3大テノールに続く存在として大きく期待を集めた歌手であったが、その彼が、ドン・オッターヴィオという、このオペラで最も存在感の希薄な役柄を歌うとは、実に嘆かわしい!! 小柄ながらドミンゴに似た声質の彼の舞台は、かつて MET やこのコヴェントガーデンで何度も接したものだが、確か声帯にポリープができたとかで療養していた期間があるので、少し芸風が小さくなってしまったのか。今回の舞台では、声は確かにヴィリャゾンの声で、大きな不満もないと言えばないのだが、やはり本来であれば王道を行くべき人。このような役を歌っていると、それに慣れてしまうのではないか。是非、テノールの大役での活躍を期待したい。

さて、今回の演出は、大変に凝ったものであった。舞台には 2階建ての建物が 3棟、密着して建っているが、両端が離れて、真ん中の部分が回転するようにできている。それですべてのシーンを賄うという点では、経済的かもしれない。ユニークなのは、この建物自体がスクリーンのようになり、そこに様々な色や文字 (ドン・ジョヴァンニの女性リストであるらしい)、また模様などが表れ、意表を突く。
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プログラムに記載されている演出家のメモによると、ドン・ジョヴァンニは想像力豊かな人物であるがゆえに、自らの悪行に恐れをなしており、妄想を抱いたり、彼が征服した女性たちを幽霊として幻視したりする。以下のシーンではドン・ジョヴァンニの独白が歌われるが、そのイメージはなかなかに強烈だ。
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この映像は決して音楽を邪魔することはなく、演出としては嫌味なしに見ることができた。もし議論の余地があるとすると、やはり最後のシーンではないか。ここでは騎士長はドン・ジョヴァンニを地獄に引きずり込むことはなく、閉ざされた壁を前にドン・ジョヴァンニはひとり取り残されてうずくまってしまい、そのまま舞台に残っている。そして、ほかの登場人物たちのアンサンブルによる最後の曲は、舞台の真ん中にドン・ジョヴァンニを残したまま、両袖で歌われるのだ。これについて演出家は、ドン・ジョヴァンニのような人間にとって究極の罰は孤独であって、舞台にひとり取り残されたドン・ジョヴァンニを見せる方が、地獄の炎を赤々と示すよりもずっと意味のあることだと語っている。なるほど一理ある解釈だが、いずれにせよ、終曲で周りの人たちが能天気に歌うように音楽ができている以上 (これも世の中では評判悪いのだが)、ちょっと無理があるような気がする。このあたりがオペラ演出の難しいところである。

さて、最後にパッパーノだが、自らフォルテピアノ (チェンバロより一歩ピアノに近づいた楽器) を弾きながらの指揮で、特に早い場面での音楽の煽りが充実していた。オケの編成はコントラバス 2本の小さなものであったが、迫力に不足する場面は特になかった。本当に優美な音が出ていたかといえば、その点は若干不足があったかもしれないが、モーツァルトでもこの作品にはデモーニッシュな雰囲気が必要であるので、その点はまあよいのではないだろうか。

総じて、なかなかに楽しめた公演であった。


by yokohama7474 | 2015-09-14 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)