進撃の巨人 エンド・オブ・ザ・ワールド (樋口 真嗣監督)

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先月 1作目を見た実写版「進撃の巨人」、今回はその続編 (現時点での完結編???)、「エンド・オブ・ザ・ワールド」である。見てみると、実際にこれは最初の映画の純然たる続きであって、本来ならまとめて 1編とすべき内容だ。一言で言ってしまえば、正体大暴露大会と、特撮怪獣映画への接近。その先に見えるのは、「これは連載マンガなのだ」という、映画好きにとっては軽い失望だ。

私は幼少の頃からそれほどマンガが好きであったわけではないが、それでもジャンプとかチャンピオンとか、ある場合にはサンデーまでも毎週読んでいた時期がある。その経験上、連載マンガは続けば続くほど、「実はこうでした」「本当はああでした」という設定に遭遇することになることがままあることを知っていて、それが私をマンガから遠ざけた一因にもなっている。最初は普通のスポ根ものだったものが、途中から宇宙の生成に関わる気宇壮大な物語になることもある (笑)。もちろん、「あしたのジョー」のような例外的な古典もあるわけだが、出版社側も読者の興味を惹きつけ続けるために、作者にいろいろと要求するのだろうな、と想像してみたりもする。

現在も連載中の「進撃の巨人」を読んだことがない私としては、純粋に映画としてこの作品を評価するしかないのだが、第 1作に出てきた巨人たちのヴィジュアル面での強いインパクトが、この作品では失われている。それもそのはず、この作品では、巨人たちに襲われる一般市民は登場せず、政府の一部の人たちと、巨人の打倒及び、巨人たちが外界から入ってくる壁の穴を塞ぐ使命を帯びた人たちだけが登場するからだ。もともと謎に満ちた巨人の出現は既に過去のものとなり、ストーリーは、「実は」「実は」のオンパレードに入って行くことになるのだ。そしてその「実は」は、正直に言おう。ちっとも面白くない。そのひとつの理由は、閉ざされた世界の秘密に関してどうのこうのと言われても、リアリティが全くないし、今実際に世界で起こっていることの方が、よっぽど "the end of the world" にふさわしい。この映画の設定から、例えば日本が置かれた実際の位置の比喩と見るのも不可能ではないかもしれないが、そんな説教はこの映画で聞きたくないよという人がほとんどだろう (笑)。

この映画の中で、大昔のものとして出てくるジュークボックス (あ、現在でも既に大昔のものですね 笑) から流れてくる音楽は、確かにいろいろなところで耳にしたことがあるオールディーズだ。スキーター・デイヴィスの歌う、"The End of the World"、邦題は「この世の果てまで」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=b0cPsOa0Lfc
この曲は 1963年のヒット曲らしいが、雰囲気としては、昔デイヴィッド・リンチが使った「ブルー・ベルベット」のようなシュールな不気味さもあり、映画の中ではそれなりに効果も出ていた。だが、歌詞を見てみると、「なぜ太陽は昇り続けるの、なぜ波は岸に寄せるの、なぜ鳥は歌い続けるの、なぜ星は輝くの・・・。世界の終りが来たことを知らないの?」と来るところまではよいのだが、その後、「あなたはもう私を愛していないのに」とか「あなたの愛を失ってしまったのに」と来るのだ。要するに失恋の歌である。簡単に言ってみれば、「オマエにはもう飽きた。失せろ」と男から蹴りを入れられた女が、「ガビーン」とばかり、世界が真っ白になる、そういう状況を歌っているのである。飽くまで個人的な状況だ (笑)。とすると、この映画での使い方は、いかにも大仰だと言うしかないだろう。加えて、エンディングのテーマが SEKAI NO OWARI によるものだ。芸能界に疎い私でも、このバンドの名前くらいは知っているが、まさか彼らの曲を聴いて、本当に世界が終わることを考える人は、あまりいないのではないかと思う。特にこの日本では。

原作の諫山創が語るところによると、昔の東宝怪獣映画、「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966) が本作品のイメージのひとつの源泉になっている由。1作目ではそれを感じることはなかったが、この 2作目ではよく分かる。これ以上言うとネタバレになる (もっとも、原作を読んでいる人には既にネタはばれているのだろうが) のでやめておくが、この怪獣映画感覚、嫌いではないが、どうしても子供っぽくなってしまう点は難点だ。
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だが、日本には怪獣映画の伝統があるわけであって、技術の保存伝承は必要だ。伊勢神宮が式年遷宮を継続してきたのと同じである (ま、ちょい大げさですかね)。本作のプログラムには、メイキング情報もあれこれ載っていて、こんな詳しい冊子をどの映画に対しても作ってしまうのは絶対日本人だけだと確信するが、技術伝承の観点からは意義深いことだ。
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あたかも諫山少年が大昔の怪獣映画を見てワクワクしたように、今の、あるいは将来の子供が「進撃の巨人を見て影響を受けました」という時代がきっと来るであろう。それまで世界が終わっていませんように。

by yokohama7474 | 2015-09-22 20:03 | 映画 | Comments(0)
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