大植 英次指揮 東京フィル 2015年 9月21日 オーチャードホール

今月の東京フィルの演奏会では、既にご紹介したイタリアの若手、アンドレア・バッティストーニに加えて、大植 英次が指揮台に立った。
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大植は 1956年生まれだから、今年 59歳ということになる。気力溢れる指揮ぶりにいつも圧倒されるが、既に還暦近しと思うと、少し複雑だ。3年前に大阪フィルの音楽監督を辞任してからは、東京のオケにも時折登場するようになったが、この東京フィルの指揮台にも何度も立っている。特にこの楽団でポストを有しているわけではないようだが、2014年 3月の、楽団創立 100周年を記念してのワールド・ツアーの指揮者として、ニューヨーク、マドリッド、パリ、ロンドン、シンガポール、バンコクで公演したとのこと。今回の演奏会では、その際のプログラムのひとつである、ブラームスの 2曲の交響曲、第 3番ヘ長調作品90 と、第 4番ホ短調作品98 という、逃げも隠れもできない曲目が採り上げられた。会場に展示してあるポスターがこれだ。写真はニューヨーク公演の模様である。大植にとってニューヨークは、かつて名門ミネソタ管の音楽監督として何度も訪れ、高い評価を得た街。きっと期するところ大であったことだろう。
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さてこのブラームス、表現意欲という点では申し分ない演奏であったと思う。大植らしく、大きな感情のうねりにまかせて時にテンポを煽り、3番も 4番も、第 1楽章の大詰めではオーケストラの空中分解寸前というところまで追い込みをかけて、それがなんともスリリングであった。特に 4番は、充分に燃焼しないと作為的に聴こえてしまうところ、オケの集中力に助けられて、充実した音が鳴っていたと思う。その一方、改めて思うことには、ブラームスの交響曲ほど、音色の美しさを求める音楽はない。演奏の質が高まれば高まるほど、さらに緊密で艶のある音が聴きたくなる。日本のオケ全体の底上げがされて、もはや欧米のそこそこのオケのレヴェルを超えてしまっているのは素晴らしいが、これからはさらに、音の密度が求められて行くものと思う。それには優れた指揮者の力が必要である。このブログで時折触れている通り、西洋人のエラい指揮者につき従っている時代は過ぎ、ともに音楽を作り上げて行くパートナーとしての指揮者こそが必要で、その中には同胞人もいるべきだ。大植のような指揮者こそ、これからの日本のオケのさらなる向上に必要な人であると思う。ただその一方で、日本の箱庭に閉じこもるのではなく、欧米での活躍も続けて欲しい。

さてこの大植 英次、よく知られている通り、稀代の名指揮者レナード・バーンスタインの晩年の弟子にあたるが、その実質的な日本デビューについて少し書いてみたい。1990年、バーンスタイン最後の来日の際、札幌で PMF (Pacific Music Festival) が初めて開催され、御大バーンスタインは、そこでの学生の指導と、一連のロンドン交響楽団との演奏会を行う予定であった。札幌でのシューマン 2番のリハーサルの情景と本番は、感動的な映像ソフトとして永遠に残されているが、まさに死を直前にした巨匠の健康状態が、思わぬ副産物を生み出したということを、25年経った今、つくづく思う。ひとつは PMF 音楽祭の継続で、今年のゲルギエフ指揮による演奏会は、以前このブログでも取り上げた。もうひとつは、この大植 英次と、それから佐渡 裕が活躍の場を得たということだ。大植は当時全くの無名であったが (その 5年前、バーンスタインが企画・参加した広島平和コンサートでも指揮していたことを後で知った)、バーンスタインがロンドン響を指揮したサントリーホールでの演奏会で、2曲目に置かれた自作の「ウエストサイド物語」のシンフォニック・ダンスが、当日突然大植の指揮に変更されたのだ。よく覚えているが、その場には天皇・皇后両陛下も臨席され、バブル期のことでもあるから (笑)、巨匠の演奏に聴衆の期待が盛り上がっていたところ、突然の指揮者交代、しかも名前を聞いたこともない日本人の登場に、会場はあからさまに落胆の雰囲気が支配した。ところがその演奏たるや、まさに瞠目すべき素晴らしいもので、そのリズム感やダイナミックな盛り上げは、その後の大植の活躍を思うと当然であったのであろうが、大変に驚いたものである。それは 1990年 7月10日のこと。その後バーンスタインはタングルウッド音楽祭でボストン響とベートーヴェン 7番等を演奏した後、10月 3日に死去したので、まさに巨匠の人生最後の日々であったわけだ。ところが、そのときの報道においては、主催者側の不手際を責める論調が支配的で、代役を立派に果たした大植のことに触れた記事を見た記憶がない。それゆえ、世界の片隅の川沿いの住居からの発信ではあるが、ここで当時の新聞記事をお見せすることで、歴史的検証をしてみたい。バーンスタインは本当に死に瀕しており、大植は素晴らしい演奏をしたのに、それらに触れた記事がないことは嘆かわしい。以来私は、マスコミの言うことをうのみにせず、自分の耳と価値観で、あらゆる芸術に接しようと心を決めたのであった。

たまたまスキャナーが故障しており、新聞の切り抜きを写真に撮って掲載するので、見にくいかもしれないが、何卒ご容赦を。これは、大植の代役の翌日、7月11日の朝日新聞の記事。一応大植の名前はあるが、騒動を揶揄するようなトーンである。
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これは 7月15日の日経新聞の記事。ここには「日本の若手指揮者」としか書いていない。
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次は 7月18日の朝日。本文の中に大植の名前も見えるが、「バーンスタイン騒ぎ」という見出しの語る通り、この代役の件や曲目変更の件、そもそもチケット代が高い件などをあげつらい、おもしろおかしく書いている。肝心の大植の演奏がどうだったかについては一切記述なし。
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最後は、8月 2日の日経。主催者側が近く新聞にお詫び広告を掲載することになったとある。野村證券がスポンサーであったので、当時よく話題になった「メセナ」の先行きに不安が示されている。実際に起こったことは、その後日本はバブル崩壊を経験し、苦難の道を歩むことで、確かに日本の企業の文化支援は全体的に減少したが、野村證券はウィーン・フィルの来日の継続的なスポンサーシップなど、特筆に値する「メセナ」を行った。
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もちろん、予言者ではない普通の人間のしていること、結果論で語ることは慎みたいが、大きなプレッシャーの中で見事な演奏を成し遂げた大植のことを一顧だにしないマスコミは、視野が狭いとの批判を受けてしかるべきであろう。なので、音楽を聴くときには、何よりも自分の感性を信じることこそが大切であり、私にとっての大植英次は、その象徴のような存在であるのだ。


by yokohama7474 | 2015-09-23 09:55 | 音楽 (Live) | Comments(8)
Commented at 2015-09-27 13:12 x
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Commented by yokohama7474 at 2015-09-27 18:36
コメント誠にありがとうございます。インターネット時代になり、様々な情報が飛び交う中、ますます何を信じるべきかについて自らの信念を持つことが重要であると実感しました。お差し支えなければ、追ってまたご連絡申し上げたいと存じます。
Commented at 2015-09-28 17:01 x
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Commented by yokohama7474 at 2015-09-29 00:26
素晴らしいことですね。是非別途ご連絡致しますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
Commented at 2015-10-09 01:11 x
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Commented by yokohama7474 at 2015-10-10 21:29
素晴らしい言葉ですね。何度も反芻してしまいました。私にその背景が分かるわけもないのですが、いろいろ調べてみると、どうやらリラ・プレカリアというルーテル系のキリスト教団体がモットーにしているようですね。ドイツで尊重されているのには、そんな理由もあるのでしょうか。

  バッハは神の言葉を与えてくれた、
  モーツァルトは神の笑いを与えてくれた、
  ベートーベンは神の熱情を与えてくれた、
  神は音楽を与えてくれた、わたしたちが言葉なしで祈れるように(作者不詳)。

本当に素晴らしい言葉だと思います。
Commented at 2015-10-11 01:33 x
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Commented by yokohama7474 at 2015-10-15 00:42
興味深いお話ですね。ドイツ音楽の深みを感じます。
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