オリヴァー・ナッセン指揮 東京都響 (ヴァイオリン : リーラ・ジョセフォウィッツ) 2015年 9月24日 東京文化会館

今日も東京文化会館はほぼ満員だ。それもそのはず、あのオリヴァー・ナッセンが東京都交響楽団を指揮するのだから。あの、誰もが知る大巨匠、オリヴァー・ナッセンだ。
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えっ、知らない? ではなぜ、今日の演奏会はこんなに混んでいるのだ? 因みに曲目も極めてスタンダードな、誰もが知る以下のようなものだ。

 ミヤスコフスキー : 交響曲第10番ヘ短調作品30
 ナッセン : ヴァイオリン協奏曲作品30
 ムソルグスキー (ストコフスキー編) : 組曲「展覧会の絵」

えっ、どれも知らない? 「展覧会の絵」の編曲はラヴェルだろうって? うーん。

・・・もちろん冗談である。英国人で主に作曲家として知られるナッセンであるが、新橋であろうと渋谷であろうと自由が丘であろうと、道行く一般の方々 100人に訊いて、知っている人はよくて 1人か 2人だろう。また、これらの曲目のひとつでも実際に訊いたことのある人は、やはり同じくらいの率ではないか。私の疑問は、それなのになぜこの演奏会が、かくも盛況なのかということなのだ。もしかして東京は、知らないうちに世界ナンバーワンの教養大国 (?) になったのか???

オリヴァー・ナッセンは 1952年生まれのスコットランド人だ (ということは、昨日行われた日本とのワールドカップラグビーの試合を日本で見たのかもしれない)。ご覧の通り大きい体で大らかに見えるが、書く作品はいわゆる現代音楽である。「かいじゅうたちのいるところ」という童話を原作とするオペラで一応知られてはいるものの、まあ一般の知名度は高いとは言えないだろう。私は、よくロンドン・シンフォニエッタとの演奏を FM で聴いたものだし、アナログ時代から彼のディスクを買う機会もあり、例えば 1998年にサイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団と来日してマーラー 7番を演奏したとき、前座でナッセンの交響曲第 3番が日本初演されたが、そのときも手元にある自作自演のアナログレコードで曲を予習して行った記憶がある。また、何かのシンポジウムで武満徹 (ナッセンとは親しい友人だったはず) たちと一緒に登壇し、質問は何であったか覚えていないが、「僕自身が子供だからね。あっはっは」と陽気に笑っていたことを思い出す。作品が大好きというわけではないのだが、その外見と作る音楽のギャップを楽しみたい、そんな作曲家 / 指揮者である。今回のポスターは以下の通り。
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左上の赤い部分に、この演奏会の意義が記されている。
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とのこと。20年前の都響のプログラムを調べてみたが、私自身はそのときの演奏を聴いた形跡はない。だが、なぜだか気になるオリヴァー・ナッセン。もともと大きな人だったが、さらに大型化しており、膝でも悪いのか、杖をついて舞台に登場、座って指揮をする。面白いのは、その杖を指揮台の後ろの柵にひっかけ、指差し確認してからよっこらしょとスツールに腰かけるのだ。これが指揮台の写真だが、杖をかけるところ (柵の横棒の2本目、左寄り) に灰色のラバーが巻かれているのがお分かりになるだろうか。
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今日の 1曲目は、ロシアの作曲家で、実に 27曲もの交響曲を書いたニコライ・ミヤスコフスキー (1881 - 1950) の、交響曲第 10番 (1927年完成)。この作曲家、ひとえにその交響曲の数の多さから、オーケストラ・ファンの中ではそれなりの知名度がある。でも、実際にその作品に接する機会は非常に稀だ。でも私自身は、何を隠そう、何年も前から16枚組のミヤスコスフキー交響曲全集を持っているのだ。しかも指揮があのエフゲニ・スヴェトラーノフ。なかなかにマニアックだ。だが、加えて何を隠そう、今回のコンサートの予習のために初めてボックスを開け、まずこの第 10番を聴いてみた次第 (笑)。これを機会に、少しずつ聴いて行きたい。で、この曲は、20分ほどの手頃な長さだが、上の写真の解説にある通り、プーシキン原作の叙事詩「青銅の騎士」と、ベヌアという画家の挿絵から霊感を得て書かれた曲。ナッセンの言によると、「まるでチャイコフスキーがシェーンベルクの時代まで生きていたかのようです。・・・この曲はまさに、革命後のロシア 1920年代に花開いたモダニズムの短くも魅力的な時代の所産であり、驚くべきサウンドを聴かせてくれます!」とのこと。なるほど言い得て妙だ。ロシア・アバンギャルドは、私が生涯をかけて研究して行きたいテーマのひとつ。モソロフという面白い作曲家もいたし、絵画でもフィロノフとかマレーヴィチとか、詩人ではマヤコフスキーとか、もちろん演劇のメイエルホリドとか、いろいろ興味あるが、ここでは省略する。今回のミヤスコフスキーの 10番、正直、曲としてはそれほど面白いとは思えない。だが、冒頭の低弦をはじめとする都響の相変わらずの充実ぶりには驚嘆した。

2曲目はナッセンのヴァイオリン協奏曲を、カナダの女流、リーラ・ジョセフォウィッツが弾いた。
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ニューヨークで彼女の演奏するプロコフィエフの 2番のコンチェルトなど聴いたことを思い出すが、非常に鋭い現代的タッチで演奏する人だ。その意味では、このナッセンのコンチェルトにはふわさしい演奏家である。2001年の同時多発テロ後に書かれた曲で、中間部には哀歌が含まれるが、ナッセンの作る叙情は決して感傷的にはならず、美しいのだが、その時間はあまり長続きしないのだ。全体として、ある意味スタイリッシュなテイストに貫かれた曲だが、ワクワクドキドキという感じにはならない。ジョセフォヴィッツは全く難なく演奏をこなし、アンコールには、サロネン (こちらは超一級の指揮者として知られるが、作曲活動もずっと続けている) の、「学ばざる笑い」という無窮動風の曲を、これまた見事に弾きこなしていた。

さて、後半の曲目は、ムソルグスキーのピアノ曲を原曲とする有名な「展覧会の絵」だが、普通演奏されるラヴェルの編曲ではなく、往年の名指揮者、レオポルド・ストコスフキーの編曲によるものだ。ストコフスキーは、有名曲にあれこれ手を加えて派手な演奏効果を狙ったとして、異端視されることもあるが、私は結構好きで、マイナーな放送録音からの CD など、せっせと集めている。この「展覧会の絵」の編曲は、自分で指揮した録音もあり、また、今日の指揮者ナッセンがクリーヴランド管と録音している。あ、調べてみると、最近では若手のホープ、山田和樹も録音していますね。この編曲の特色は、ラヴェルの行ったキラキラしたフランス風の華麗な音への昇華ではなく、オリジナルのロシア性を強調するもの。なので、「テュイルリーの公園にて」と「リモージュの市場」というフランスの光景を表した曲は省かれている。また、ラヴェル版では冒頭、トランペットが朗々とプロムナードのテーマを吹いて颯爽と始まるところ、この編曲では弦楽合奏だ。その他、いろいろ興味深い相違点やまた共通点もあるが、正直申し上げて、ラヴェル版が耳になじんだ身には、さほど面白いとも思えない。もちろん、ストコフスキー自身の録音も聴いていてよく知っているが、なるほどと思う場面もある反面、「どうやってラヴェルと違うことをしてやろうか」という意地に、若干辟易する。しかしながら、今日の演奏でひとつの発見が。終曲の最終和音、これってマーラーの「復活」へのオマージュではないのか。ストコフスキーは声楽付の大曲を得意としていて、マーラーではこの 2番「復活」や 8番、またシェーンベルクの「グレの歌」などを早くから手掛けていた。ストコフスキーの志向する音楽のイメージが、少し広がったような気がする。それから、ここでは都響の金管にびっくり!! 素晴らしい音で鳴っていましたよ。恐らくは指揮者が演奏の出来に満足したせいであろう、「卵の殻をつけた雛の踊り」が、急遽アンコールとして演奏された。

とまあ、長々と書いているが、今日の 3曲、奇しくも「曲としてはあまり面白くない」が共通点になってしまった (笑)。それにもかかわらず、なんとも後味のよいコンサートであったのは、ひとえにナッセンの人柄と、それに都響の充実した音のおかげであろう。実は帰り道の電車でふと見ると、都響のあるセクションの首席奏者の方が乗っているではないか!! 私は、先週土曜日の名誉の負傷によって未だ早くは歩くことはできず、また、途中で小腹が減ってオヤジの集う立ち食いそば屋に寄ったりなどしたが、それにしても、舞台から下りて着替えた演奏家が聴衆と同じ電車に乗るとは、なんとも素早いこと (笑)。でも、あのような壮麗な演奏に参加しておいて、何事もなかったかのように郊外の私鉄電車で家路につくなんて、格好いいなぁ。同じ沿線であることも分かったし、引き続き都響のマニアックなプログラムに期待が止まりません!!

by yokohama7474 | 2015-09-25 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)