早坂文雄 没後60年コンサート 大友直人指揮 東京交響楽団 2015年10月10日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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東京交響楽団の「現代音楽の夕べシリーズ第 18回」と題されたコンサートは、作曲家 早坂 文雄 (1914 - 1955) の没後 60年を記念する演奏会。この生没年を見て気づくのは、昨年生誕 100周年だったということだ。同年生まれで同じ北海道で育った作曲家に伊福部 昭がいるが、昨年は伊福部の生誕 100年関連イヴェントはいろいろあったのに、早坂に関するイヴェントは思い当たらない。長命であった伊福部と、若くして亡くなった早坂。同様に映画音楽を手掛けたとはいえ、大衆にアピールする「ゴジラ」を書いた伊福部と、黒澤、溝口といった巨匠監督に曲を提供した早坂。この違いはいかんともしがたい。従って今回のような機会は、早坂という作曲家の真価を考える上で、大変貴重なものであった。また演奏の質も特筆すべきもので、昭和時代の日本の文化遺産の価値を再認識する機会ともなったのである。

以前何かの本で読んだか、あるいはテレビで見たのかもしれないが、早坂の早すぎる死を巡って、黒澤明と溝口健二の間で諍いがあったと記憶している。今、記憶を辿りつつ、西村 雄一郎の名著「黒澤明・音と音楽」や、黒澤、溝口それぞれの作品を紹介する本を書棚から持ってきてひっくり返しているのであるが、どうも該当の情報が見当たらない。黒澤の「七人の侍」が (ちょうど伊福部が音楽を担当した「ゴジラ」と同じ) 1954年の公開。黒澤の次作「生き物の記録」(1955) の制作途中で早坂は亡くなっているが、その前後に早坂は、溝口の映画では、「近松物語」(1954)、「楊貴妃」(1955)、「新・平家物語」(1955) と立て続けに担当している。確か黒澤が、「近松物語」で溝口が早坂を酷使したので早坂が死んでしまったとなじったという話ではなかっただろうか。もっとも、なじられた溝口自身も、早坂の翌年、1956年に世を去っているのであるが。

もしこれらの邦画にイメージのない方が読んでおられれば、チンプンカンプンの話かもしれない。その場合は、このように認識されたい。日本映画の黄金時代、天才監督に従って音楽・音響設計をしたこの作曲家は、映画音楽の一時代を築いたのみならず、絶対音楽の分野でも傑作を残したものの、結核に侵されて41歳でこの世を去ったのだと。また、この時代には、分野を超えた芸術家たちの高度な共同作業があったのだと。それから、日本が生んだ最高の芸術音楽の作曲家とみなされる武満 徹が、音楽を独学で習得したと言いながら、実は唯一師と仰いだのがこの早坂文雄なのだと。

この日演奏された曲目は、すべて早坂の作品で、詳細は以下の通り。
 映画「羅生門」から 真砂の証言の場面のボレロ
 交響的童話「ムクの木の話し」(アニメーション映像付き)
 交響的組曲「ユーカラ」

最初の「羅生門」の音楽は、この映画を見たクラシックファンなら一度見れば忘れないと思う。You Tube にも音声のみながらアップされているので、ご興味ある方はご一聴を。明らかに、有名なラヴェルのボレロの模倣である (この頃、著作権は大丈夫だったのか???)。
https://www.youtube.com/watch?v=1y_-0r5cgBM

ご承知の通り、「羅生門」(1950) は黒澤の代表作のひとつで、真砂というのは、この映画で京マチ子の演じている役柄。こんな感じだった。
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黒澤明という監督の音楽の趣味は後年に至るまで明らかで、いわゆる西洋の名作への敬意が如実であると思う。いや、音楽だけではなくて、文学の上でも、シェイクスピアやドストエフスキーという歴史上のビッグネームを発想の源泉にしているケースが多い。いわゆる名作主義とでも言おうか。映画マニアの武満徹が「乱」で黒澤に映画音楽を提供したとき (これが初めてではなく、その前に「どですかでん」で組んではいるが、「乱」とは全く毛色の違う作品だ)、マーラーの「巨人」の第 3楽章の葬送行進曲に似た音楽を強要されて困ったという話も、いかにも理解できる。ただ、早坂と黒澤の関係は、まさに火花散る芸術家同士の格闘であったのだろう。これは以前テレビで見たことを明確に覚えているが、「七人の侍」の中で、旗が強い風にはためいてバタバタバタと強烈な音を立てるシーンは、早坂の発案によるものだったという。映像と音楽のせめぎあいについて、鋭敏な感覚を持った作曲家であったようだ。
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今回は横道にそれてしまうことが多いが (笑)、ここで本来の話題に戻そう。2曲目に演奏されたのは、終戦後間もない 1946年に東宝教育映画部が制作したアニメーション映画第 1作、「ムクの木の話し」に早坂がつけた音楽だ。大変珍しいオリジナルの白黒アニメーション映像 (20分程度) が後方客席に設置されたスクリーンに投影され、それに合わせて生演奏がなされるという趣向。戦時中の言論統制を批判した内容で、森の中のムクの木の回りの豊かな世界が、怪物によって一面の氷と化してしまうが、女神が光を放ってその氷を溶かすというもの。当日のプログラムには、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を思わせるとあるが、同じ作曲家のほかのバレエ音楽、つまり「火の鳥」と「春の祭典」を連想させるシーンもあり、それから、露骨にラヴェルの「マ・メール・ロワ」の模倣も聴かれた。当時としては演奏困難なスコアだったのではないか。実は、本編のクレジットに記載された演奏者は、上田 仁指揮の東宝交響楽団 (つまり、この映画は無声映画ではないところ、この演奏会では映像だけの投影を行ったということだ)。おっと、このオケはその名の通り、映画会社の東宝の専属のオケか。そうなのであろうが、より大事なことは、この東宝交響楽団が、今回の演奏団体、東京交響楽団の前身なのだ。しかも、このオケは、この映画の制作と同じ1946年の設立であるようだ。この映画はまさに、戦後すぐに新たな文化的挑戦がなされたときの記念碑的な存在であったのだろう。興味は尽きない。

そして、この日のメイン、交響組曲「ユーカラ」。ユーカラとゆーからには、もとい、言うからには、早坂が幼少の頃を過ごした北海道におけるアイヌの伝説をテーマにしているのであろう。実際その通りなのであるが、そのような標題は実はあまり重要ではなく、この 50分を要する大作において渦巻く音響に虚心坦懐に耳を傾けることこそが重要だ。なにせ、冒頭のプロローグではクラリネットソロが 3分以上、全く無伴奏で演奏するという異例の事態に始まり、メシアンを思わせる神秘的な音響が随所に聴かれるのだ。この曲は 1955年に日比谷公会堂で、やはり上田 仁指揮の東京交響楽団によって初演されたらしいのだが、その演奏に聴衆として居合わせた武満徹は、「これは早坂さんの遺言のようだ」と言って、声を出して泣いたということだ。果たして、病弱な体をおして過酷な創作活動を続けた早坂は、その 5ヶ月後にこの世を去ることになる。

この「ユーカラ」、上記の通りの名曲で、何度も聴き返すだけの価値があると思うのに、なかなか演奏機会に恵まれない。ところが私は以前にも一度、この曲の生演奏を聴いていて、それは今ライヴ CD にもなっている、1986年の山田 一雄指揮日本フィルの演奏だ (前座でベートーヴェンの 5番が演奏され、山田が熱狂のあまり指揮台から平場のステージに落ちてしまったことを鮮明に覚えている 笑)。今回の演奏会前にその CD を引っ張り出して予習して行ったのだが、この録音時から約 30年、日本のオケの進歩は顕著であると、つくづく思う。今回の東響の豊麗な演奏を聴くと、山田のライヴ録音は、残念ながらどこかにすっ飛んでしまうと思う。指揮者の大友も、永遠の爽やか青年のようなイメージだが、これまでに何度も素晴らしい生演奏に接している私としては、さらにアグレッシヴな活躍を期待したいと思ってしまうのだ。
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今回の演奏会でもうひとつ興味深かったのは、客演コンサートマスターを迎えていたこと。なんと、長らく東京フィルのコンサートマスターを務める荒井 英治だ。
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昔から変わらない人である。最近ではモルゴーア・クァルテットという弦楽四重奏団を組織し、自身大好きであるらしいプログレ (ッシブ・ロックです。念のため) の編曲物も、バリバリにこなしている。このジャケット、ご存じだろうか。
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そう、キング・クリムゾンの「キング・クリムゾンの宮殿」のジャケットのパロディで、このモルゴーア・クァルテットのメンバーたちの顔写真のパーツを組み合わせて作っているのだとか。私も持っているが、大変に面白いアルバムだ。ご存じない方は少ないと思うが、念のため、オリジナルのジャケットは以下の通り。ちょっと視線の向きが違いますな (笑)。
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ええっと、何の話でしたっけ。そうそう。客演コンサートマスターだ。面白い試みだと思うので、東京のオケの水準をますます高めて行くためにも、これからも見てみたいし、日本の文化遺産の価値を日本人自身が再発見することにつながればなお結構。次の機会を楽しみに待っています。


by yokohama7474 | 2015-10-17 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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