大田区観光協会主催 東海道五十三次 品川宿~川崎宿

以前、9月20日付の記事で、大田区が企画した街歩きをご紹介したが、それから約 1ヶ月。やはり大田区が主催する別のツアーに参加した。その名も「東海道五十三次 品川宿~川崎宿」。ここで気づくのは、品川宿は今で言う品川区であろうし、川崎宿は川崎市であろう。大田区はその間に位置する。東海道の出発地点はいわずと知れた日本橋。最初の宿が川崎宿になる。このツアーは、東海道の間の宿 (あいのしゅく) であった大田区の地域を歩いて回ろうというもの。但し今回は前回より長い 7km の道のりを 2時間半かけて踏破する。9月よりは日差しは弱まっているとはいえ、天気予報によると、汗ばむような気候とのこと。無事歩き通せるだろうか。ひとつの注意点は、前回のように途中で足を故障することがないようにすることだ。それに関しては誰のせいでもなく、私自身の責任だ。今回歩くのは以下の白地図に記載されているエリア。
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分かりにくいかもしれないが、JR 大森駅を出て、第一京浜 (国道 15号線) に沿って南下して歩き、最後は京急蒲田駅近くにある PIO (大田観光プラザ) で解散というもの。待ち合わせの大森駅は、ご覧の通りなかなか栄えている。
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今回も、定年後のボランティアとおぼしきガイドの方が案内して下さる。そうそう、申し忘れたが、このツアーの定員は 30名。応募が 54名あったというから、ほぼ 2倍の競争率を勝ち残っての参加ということになる。さて、歩き始めてすぐ。大森駅のすぐ近くで早くも解説だ。一体ここに何があるというのか。これだ。
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これ、道路の横に三角形の中州のような場所があり、その回りをぐるりと囲む部分だけ茶色い道になっている。一見するところ、意味のない場所に見える。これは一体何なのか。答えは、昔の路面電車のターミナル。以下の地図の左端、旧国鉄の線路の横に、わっかのようになった場所が見えるが、それがこの場所なのだ。
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なるほど。土地の記憶というものはそう簡単に消えないのですね。ブラタモリならここで往年の路面電車が CG でガタガタ動き出すところだろう。

さて、そこから商店街を抜けて、鷺 (おおとり) 神社へ。それほど古い神社ではなく、江戸時代の創建らしいが、昔から酉の市 (とりのいち) が有名らしく、今でも大賑わいになるらしい。
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それから第一京浜に出て、密厳院というお寺へ。今回のガイドの方は相当なベテランで、懇切丁寧な解説が非常によかったが、難を言えば、時々説明内容が奔放に発散することで、このときもお寺を通り過ぎてしまい、気が付いて戻ったものだった (笑)。まあ一応私は目的地が分かったので、グループが行き過ぎたのを尻目に、先に写真を撮っていたのであるが (笑)。
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ここでも見ものはふたつ、ひとつは、あの有名な八百屋お七に関するもの。このお地蔵さんだ。
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八百屋お七は、僧侶 (とは限らないのかな、創作の世界では) に一途な恋をし、火事が起これば恋人に会えると思い込んで放火をして、死罪になった少女。西鶴の「好色五人女」に採り上げられ、その後いろいろな歌舞伎や浄瑠璃を通して非常に有名な存在になった。私は学生の頃駒込に住んでいたので、その駒込で本郷通りに面した吉祥寺という寺が、お七ゆかりの寺であることはよく知っている。その寺は彼女が恋人と出会ったところと言われているそうで、今でも駒込吉祥寺には、彼女と恋人吉三の比翼塚なるものがあるのであるが、調べてみるとどうやらそれは史実ではない可能性が高いらしい。まあいずれにせよ、駒込はこの大森界隈からは随分と遠い。ここ密厳院にあるそのお七ゆかりの地蔵とは、一体いかなるものなのだろうか。寺にある説明板は以下の通り。
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鈴ヶ森刑場跡はここからそれほど遠くないが、一夜にして飛来したという伝説が、この切ない恋に殉じた少女の怨念を感じさせて、なにやら凄みがある。ご覧の通り現在でも千羽鶴が奉納されているということは、このお地蔵様に願を掛ける人たちが多いということだろう。250年を経て未だ力を保つ霊験あらたかなお地蔵様である。

もうひとつこのお寺で見るべきは、この阿弥陀様だ。
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これは何かというと、実は庚申 (こうしん) 塔なのだ。江戸時代の風習で庚申講というものがあり、その本尊として祀られたもの。人間の体内には三尸虫 (さんしちゅう) という虫がいて、庚申 (干支のひとつ) の日、人間が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告に行くという道教の考えに基づき、庚申の日には夜通し眠らずに勤行や宴会をした。その本尊は、多くは青面金剛 (しょうめんこんごう) だが、このように阿弥陀を祀る例があったとは知らなかった。1662年に作られており、大田区で二番目に古い庚申供養塔であるそうな。まあそれにしても、徹夜で宴会をする口実としてはなかなか手が込んでいて (笑)、江戸時代の人たちの心の豊かさに思い至る。この磨滅した阿弥陀様も、夜通し続く人々のさんざめきに微笑んでおられたのではないだろうか。

さて次に向かったのは、磐井神社。実に貞観元年 (859年) 開創という古い神社で、その際、武蔵の国の八幡社の総社に定められたという。江戸時代には将軍も何度も参拝したらしい。
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ここには面白い石が二つある。写真撮影は許されなかったが、石に烏のかたちが浮き出た烏石 (うせき)、それに、転がすと鈴のような音を立て、鈴ヶ森の地名の由来となったという鈴石である。いずれも今は屋内に保存されているが、何やら霊的なムードが満点だ。また、この神社の前、第一京浜沿いに、磐井の井戸というものがある。昔はここも神社の境内であったらしい。
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古来東海道の旅人たちに重宝され、霊水と言われてきたとのこと。というのも、ここは昔は海のすぐ脇であったにもかかわらず、この井戸からは真水が出たことによる。ただ、土地の伝説で、この井戸の水を飲む人が心清ければ真水、そうでなければ塩水になると言われているとのこと。一度一般に解放して、人々の心の汚れ具合を試してみるというのはどうでしょうかね。

それからまた第一京浜に沿って歩き出すことになったが、上記の通りそのあたりはいわゆる大森海岸。明治の頃には花街となり、芸妓を置く大きな料亭が立ち並んでいたらしく、それは昭和まで存続した。この写真は、その中のひとつ、料亭 福久良 。なんという規模!!
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その料亭のあった場所には今、会社かマンション ? とおぼしき建物が建っているが、よく見ると、この石垣や奥に見える石組は、当時の料亭のものを残しているのであろう。知らなければ何の気なしに通り過ぎてしまうが、やはりそれぞれの土地には記憶が宿っているのである。
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その並びには、今でも大きい構えの天ぷら屋さんがある。創業明治 30年。以前からここを車で通る度に気になっていた場所だ。磐井神社の中にある稲荷社に、明治の頃の寄進者とおぼしき個人や企業の名前が彫ってあったが、この天仲はそこにも名前があった。
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さてそれからしばらくはものも言わずに歩き、見えてきたのがこの分岐点。
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この右に湾曲している大きな道路が第一京浜であるが、左側の道、一方通行でこちらからは車では入れない道が、旧東海道なのだ。現在の名称は美原 (みはら) 通り。もともとは北原・中原・南原で、三原通りという名前であったものが、いつの時点でか、漢字が変わってしまったもの。
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正直、昔日の面影はほとんど残ってはいないが、多分道幅は昔ながらのものなのであろう。また最近では、江戸時代から続く老舗であれそうでない店であれ、ちょっと江戸風な看板を出すようになっており、それはそれで情緒があるというものだ。
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よく知られている通り、この大森界隈は、もともと海苔の養殖でにぎわっていた。これが最盛期の養殖場と加工工場の写真であるが、その規模には驚かされる。たかが海苔と思うなかれ。
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この美原通りは 1.5km ほど続いているが、途中で小さな橋がある。これはするがや橋 (または内川橋) と呼ばれるもので、昔この橋のたもとに、駿河屋という茶屋があったらしく、ここから左に行けば羽田の方に続いているらしい。この駿河屋、浮世絵にも描かれている。
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この駿河屋が有名なのには理由がある。鶴屋南北の作になる歌舞伎「浮世柄比翼稲妻 (うきよづかひよくのいなずま)」で、白井権八が、「お若けえの、お待ちなせえまし」と呼び止められるのが、この駿河屋の前なのだそうである。この芝居は観たことがないが、現地を見てしまった以上、いつの日にか鑑賞したいものだ。大田区の説明板、以下の通り。
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さて、もう結構歩いてきたので、少し足が疲れているが、同行の年輩の方々が大変元気なので、負けてなるものかと、(目の前の障害物には充分注意しながら) 歩幅も大きく、歩き続ける。そして辿り着いたのが、旧大森区役所跡。大森区は昭和 7年にでき、その後蒲田区と合併して大田区となった。当時の建物は現存せず、今はその場所に大森警察署が建っているが、その建物の横手に面白いものがある。ひとつは西南戦争の、もうひとつは日清戦争の戦没者慰霊碑だ。前者は 1877年、後者は 1894年の勃発なので、いかに古い石碑であるか分かる。両方とも山縣有朋の揮毫になるものだが、大森と何か縁があるのであろうか。
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さて、東海道を辿る旅であるからには、どこかに道しるべのようなものがあってもよいものではないか。このあたりで唯一それがあるのが、第一京浜から東に少し入ったところにある日蓮宗の寺、大林寺だ。
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これが道しるべであるが、日蓮宗の宗徒の手によるものだけに、南無妙法蓮華経と刻んである。大田区には、以前もこのブログで紹介した本門寺という日蓮宗の聖地があり、その本門寺への道を池上道と呼んだらしく、この道標はその池上道にもともとあったものらしい。
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さて、ここから残りは 2kmとのこと。実はこの後に訪れたのは、梅屋敷跡と薭田神社であって、実はこれは前回 9月20日のウォーキングツアーで既に見たので、ここでは省略する。

東京には東海道の面影はほとんど残っていないことを再確認することにはなったものの、土地の記憶は確実に消えずに残っていて、人々がそれを守ろうとしていることに感銘を受けた。特に街道は、人々が行き交う場所であっただけに、人の息吹が活き活きと感じられることを実感した。美原通りなどは、特に目的なくぶらぶらしても面白そうだ。また天気のよい日に散策することとしよう。今回は負傷もなく、無事帰還しました!!


by yokohama7474 | 2015-10-26 00:56 | 旅行 | Comments(6)
Commented by ぬかるみん at 2015-11-24 08:28 x
はじめまして管理人様
ぬかるみんの管理人ぱるぴろと申します
映画007は二度ど死ぬのロケ地調査をしているのですが
福久良さんでロケが行われた可能性が高いとの情報をいただいているのですが資料が乏しくもしよければ福久良さんの写真リンクと共にお借りできないでしょうか?勝手な事を申しますが一度ご検討よろしくお願いもうします。
Commented by yokohama7474 at 2015-11-24 23:21
> ぬかるみんさん
コメントありがとうございます。はぁー、そうでしたか。「007は二度死ぬ」では日本のあちこちでロケが行われたそうですが、大森海岸の料亭でまで撮影された可能性があるのですね。勉強になります。記事のリンクなり写真の転用はもちろんご自由になさって下さい。ただ、私の載せている福久良さんの写真は、案内の方が掲げているものなので、充分鮮明ではありません。もしかすると、大田観光協会にお問い合わせ頂ければ、もとの写真なり、あるいは何か関連情報を取得頂けるかもしれませんね。一度お試しになってはいかがでしょうか。
Commented by ぬかるみん at 2015-11-25 21:10 x
管理人様へ
快く承諾下さりお礼申し上げます有難うございました
大田区観光協会さまへ早速アポを取らせていただきましたが
掲載なされている写真は観光協会の持ち物ではないそうなので
一度お調べし返答という形となりました。
あとご存知かも知れませんが一応書かせて頂くと
劇中アサヒビールのネオン看板が大きく映り込むシーンも
アサヒビール大森工場の物という事も現在判明しております
今は閉鎖されてイトーヨーカドーになっているらしいですけども。
これを機会に自分は大阪なのですが仲良くしてもらえれば嬉しいです
またお邪魔します この度は本当にありがとうございました
ぬかるみん管理人 ぱるぴろ
Commented by yokohama7474 at 2015-11-25 21:56
そ、そうでしたか。うーむ。ほんの数十年でいろいろ遷り変わるものですね。よろしければまたお立ち寄り下さい。
Commented by ぱるぴろ at 2015-11-29 23:29 x
管理人様へ
ぬかるみんの管理人ぱるぴろです
大田区観光協会様さまからおそらくガイドさん経由
だと思うのですが連絡を取り資料が送られてきましたので
必要ならばお送りさせて頂きたいのですがどうでしょうか?
ご足労ですが自分のブログへ管理人様と分かるよう
捨てアドでよいのでアドレスとコメントをよろしくお願い致します
もし必要でなければそのまま無視してください。
Commented by yokohama7474 at 2015-11-30 00:16
再度のご連絡ありがとうございます。資料をご入手されたとのこと、よかったですね。資料は私には特にお送り頂かずとも結構ですが、お心遣い誠にありがとうございます。よく調べると、東京には興味深い場所が沢山ありますね!
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