ヨーヨー・マ チェロ・リサイタル (ピアノ : キャサリン・ストット) 2015年10月27日 愛知県芸術劇場コンサートホール

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現存のクラシック音楽の演奏家で、一般的に最も名の知られた人は誰か。私はそれは、ヨーヨー・マではないかと思う。その根拠となるひとつの逸話を紹介しよう。私の会社の先輩で、自分でギターを弾いたり英語の歌をシャウトしたり、あるいはドラムの練習をしている人がいる。仮に名前をエルヴィスさんとしておこうか (あ、日本人です)。このエルヴィスさん、クラシック音楽にはとんと縁がないのであるが、ある時飲み会の席で私に、こう訊いてきた。
 エルヴィス「ええっとなんだっけあの、ヨーヨー・マが弾いてる楽器」
 私「はぁ。(意外なことを訊くなぁと思いながらも) ストラディヴァリウスは数が少ないでしょうから、アマティでしょうかね」(注 : もちろん昔の楽器製作者の名前である)
 エルヴィス「???? (目を白黒させて) いや、そうじゃなくてさ、なんかもっと簡単なさ」
 私「??? じゃあ、ストラド?」(注 : もちろんストラディヴァリウスの省略形である)
 エルヴィス「いやー、そうじゃなくてさ、あのほら、チェロキーじゃなくてさ」(注 : チェロキーはもちろんジープの一種である。あ、もちろんアメリカの先住民族に由来する)
 私「?????? まさか、チェロ???」
 エルヴィス「あ、それそれ!! チェロだよ!!!」
話のオチは、このエルヴィス氏、かわいい娘さんが年頃になり、チェロを弾く男とつきあっているということを言いたかったのだが、それにしても、チェロという楽器名を知らない人でも、ヨーヨー・マの名前は知っているというこの衝撃! ちなみに、調べて分かったことには、ヨーヨー・マの弾いているチェロは、1733年ヴェニスのモンタニアーナと、1712年製のストラディヴァリウス (ダヴィドフ) であるとのこと。あ、エルヴィスさんには関係なかったですね (笑)。

さて今回の来日公演では、同じプログラムで東京、名古屋、大阪を回るのだが、上のチラシにある通り、「待ちに待った正当派リサイタル」とあって、しかもご丁寧に、「正当派」が大きなフォントになっている (笑)。それだけ彼の音楽活動に「正当派」でないものが多いということになるだろう。実際、私が前回彼の演奏を聴いたのは、去年、アムステルダムであったが、それはシルクロード・アンサンブルのコンサートであった。これはなかなかにアクロバティックな団体であり、演奏は素晴らしいものの、有名なヨーヨー・マを聴けると思って私の誘いに乗ってしまった日本人駐在員は、「ソロで全然弾かずに、ズルしている」と、かなり不機嫌であった。でも確かにそれは当たっていて、来日公演でも、デイヴィッド・ジンマンとかマリス・ヤンソンスの指揮するオーケストラの公演 (その中には、後半の曲目であるブラームスの交響曲でオケの一員として演奏するというおふざけもあったりしたが) のソロを除けば、ピアソラのタンゴであったり、アーリー・アメリカンの「アパラチア・ワルツ」であったり、クレーメルや内田光子との室内楽であったりしたわけで、ある時にはバッハの無伴奏チェロソナタ 6曲全部を 1日で弾いたこともあったが、いわゆるピアノ伴奏者を伴っての通常リサイタルは滅多になかったはず。それが今回、日本で実現する。つい先日還暦を迎えたと聞いてびっくりだが、放蕩息子の帰還と言えば言いすぎか。最近さすがに年取ってきたとはいえ、このような笑顔を見ると、放蕩息子にでも高いチケット代を払おうという気になってしまうから不思議だ。
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さて今回の「正当派」曲目は以下の通り。
 「アーク・オブ・ライフ」組曲
 ショスタコーヴィチ : チェロ・ソナタ ニ短調作品40
 ソッリマ : イル・ベッラントニオ
 フランク : チェロ・ソナタ イ長調
正当派と言いながらも、かなりの変化球だ。最初の「アーク・オブ・ライフ」は、バッハ / グノーの「アヴェ・マリア」とシューベルトの「アヴェ・マリア」の間に、シベリウス、ゲーゼ (という作曲家のタンゴ)、ドビュッシーを挟むという、いわば小品のミックスサンドである。なんでも、彼の最新アルバムからの抜粋である由。こんなジャケットだ。
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2曲目のショスタコーヴィチは、1934年の作品で、同じ作曲家の後年の 2曲のチェロ協奏曲よりも素直に響くが、ヨーヨー・マとしてはこれまで録音をしていないのではないだろうか。休憩を挟んだ後半の 1曲目は、1962年生まれのイタリアの作曲家の作品であるが、もともと映画音楽である由。そして最後のフランクのチェロ・ソナタ。むむ、そんな曲あったっけ、と思われる方はクラシックをよくご存じだ。これは、以前のヨーヨー・マのアルバムに含まれていた、同じ作曲家の有名なヴァイオリン・ソナタの編曲版だ。・・・こうして見ると、やはり正当派とは少し違うと思うが、この音楽家の遊び心と真摯な態度の両立が、いかにもという感じがする。

私の独断では、彼のチェロは、ひたすら音楽の表面を艶やかに滑って行く。どこまでも表層的だ。このような表現は、古くからのクラシック・ファンには我慢ならないかもしれないが、この軽さこそがヨーヨー・マの名前がこれだけ有名な理由であろうと私は思っている。チェロは、暗く沈澱するのではなく、ひたすら明るく、この楽器にありがちな陰鬱な声ではなくむしろ高い声で、どこまでもどこまでも歌う。ほかのどの演奏家とも違う、ヨーヨーだけの歌だ。ある意味での大衆性を帯びているとも言えるだろう。でもそれは、内容がないという意味ではなくて、強い表現力を持って聴き手を圧倒する音楽なのである。そこに聴こえてくるのは、能天気な明るさではなく、人生に限りがあることを充分認識した上での、つまりは哀しみを内に込めた上での、決意ある明るさであると言えるだろう。だから彼はどんな音楽を弾いても、聴き手を退屈がらせることはないし、また一方で音楽を不必要に高級ぶったものにもしない。私がこれまで聴いてきた彼の音楽は全く変わることなく、今回も人々を魅了したのである。1曲ずつどうのこうのと批評する気にはならない。彼のリサイタルは、最初から最後まで、大きな弧を描いて、一点の曇りもない。

伴奏のキャサリン・ストットは英国人で、ヨーヨー・マとは既に 30年間、ともに演奏して来ているらしい。余計なことを語らず、チェロの邪魔をしない一方で、明確なタッチで音を流れさせる技術は一流で、単なる伴奏者にとどまらない、素晴らしい音楽家であると思った。アンコールも非常によい呼吸で、チェロの定番中の定番、サン・サーンスの「白鳥」、ガーシュウィンのプレリュード 1番、そして 3曲目は私の知らない曲だったが、チャイコフスキーの作品であろうから、新アルバムに入っている「感傷的なワルツ作品51-6」であったろうか。

さて、最後は少しだけマニアックな話題で締めくくろう。このヨーヨーの最初の録音とは何か。こんな Wiki の項目がある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Yo-Yo_Ma_discography
これによると、それはジェラルド・フィンジという英国の作曲家のチェロ協奏曲だ。このサイトには 1978年録音とあるが、リンクを開くと、正しくは1979年の録音であることが分かる。今から 36年前、ヨーヨー・マ 24歳のときということになる。実は私は最近この CD を入手して聴いてみた。
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当然のことと言うべきか、驚くべきことと言うべきか、この CD には、私たちがよく知っているヨーヨー・マが既に存在している。大して面白い曲ではないが、そこでの表層的で艶やかなチェロの音は、曲そのものを超えて大変な生命力で聴き手に迫ってくる。伴奏はヴァーノン・ハンドリー指揮のロイヤル・フィルという、英国を代表するコンビであり、そこには英国音楽の世界市場でのマイナー性が炸裂 (笑) しているのであるが、その中をひたすら突き抜けるチェロ、それが若き日のヨーヨー・マの演奏だ。きっと若い日から確信があったに違いない。自分の音楽が世界に向けて発信され、その音楽が正当派であろうとなかろうと、人々の心に響くことを。まあ、その彼とても、まさか自分の名前が楽器の名前よりも有名になるとは夢にも思わなかったであろうが (笑)。今後も多彩な活躍を期待しましょう。

by yokohama7474 | 2015-11-02 00:28 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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