2015年 11月 14日
メイズ・ランナー 2 砂漠の迷宮 (ウェス・ボール監督 / 原題 : Maze Runner The Scorch Trials)
世の中の 2作目の苦労は、1作目のヒーローやヒロインの活躍をいかに新鮮味を持って続けるかということや、新たな展開にどのくらい説得力があるかという点にあると思う。想定を拡散しすぎてリアリティを失うものや、とってつけたような展開で観客を白けさせる映画がいかに多いことか。その点、幸いなことにこの映画は、そのような轍を踏む愚から逃れている。まあ、内容を詰め込み過ぎという批判をする人はいるかもしれないが、では、あなた自身がこれより面白い展開を考えつくだろうか。私は完全に脱帽だ。これは一言、面白い。
前作の感想とオーバーラップするが、有名俳優を一切使わない中で、それぞれの役者の顔が本当に生きている。脱出する若者たちに関しては、前作で、沈思黙考する黒人リーダーや、いかにも鼻っ柱の強い白人や、そのとろくささが同情を誘う太っちょは、既に亡い。すなわちここで生き残っているのは既にして Best & Brightest のみである。
演出は今回も素晴らしいと思う。劇中で、主人公トーマスの、「もう走るのはうんざりだ (I'm tired of running)」というセリフがあるが、それは観客にとっても全く同じ感覚。とにかく、これだけ主役たちが走りまくると、見ているこちらも息切れするのだ。それゆえ、こんな目に遭っても、もしかしたら走らずに済むと思うとほっとするかもしれない (笑)。
巧みな演出のもうひとつの例として、細部へのこだわりを挙げておこう。主人公たちが砂漠を逃げて彷徨い歩くとき、食事はどうしているのだろうという思いが頭をかすめるが、それへの答えは劇中に一切出てこない。それなのに、窓ガラスを割って逃げるシーンでは、窓枠に残ったガラスの破片で怪我をしないようにと、わざわざ窓枠に毛布をかけるのだ!! 多分人間は、本当に追われているときには、そんなことを考える余裕もないはず。だからこれは映画の嘘だ。嘘が嘘としてスムーズに流れるか否かが、よい映画を判断するひとつの条件。よって私はこのシーンを見て快哉を叫んだのだ。
まあそれにしても、これだけ変化の激しい展開をよくぞ一本の映画に押し込めたものだ。もともと三部作のこの映画、次回が最終編となり、この映画は露骨にそれを予告して終わる。さて、前回予言をしたこの私も、この後の展開は分からない。分からないながらも、適当に考えてみようか。主人公たちは敵陣に乗り込み、なんとか仲間の復讐を果たすが、そこにはまた新たな真実が。その真実とは・・・。うーむ。どうしよう。地球そのものが何者かの支配を受けており、疫病の蔓延もそれからのサバイバルも、絶対者の思うがまま、というのはどうだろう。今回はあまり自信はないが・・・。