2015年 11月 15日
クリスティアン・テツラフ 無伴奏ヴァイオリンリサイタル 2015年11月14日 紀尾井ホール
実際、このテツラフのもともとのイメージと言えば、ハリー・ポッターだ。
バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
ソナタ第 1番ト短調BWV.10001
パルティータ第 1番ロ短調BWV.1002
ソナタ第 2番イ短調BWV.1003
パルティータ第 2番ニ短調BWV.1004
ソナタ第 3番ハ長調BWV.1005
パルティータ第 3番ホ長調BWV.1006
BWV というのは、バッハ作品番号である。ご覧頂けるように、この 6曲はもともとワンセットになっているわけだ。バッハの自筆譜が残っていて、その年代は 1720年。実に今からほぼ 300年も前である。但し、この自筆譜は浄書であることから、当時バッハが務めていたケーテンの宮廷ではなく、その前のワイマール時代に書かれたという説もある。いずれにせよ、今聴いても目眩がするような音の乱舞であり、演奏は至難である。バッハの生きていた頃、これらの曲を自由に弾きこなすだけの技量を持ったヴァイオリニストがいたであろうか。そもそも、ヴァイオリン 1丁で演奏する機会が、宮廷にどの程度あったのだろうか。もっとも、無伴奏のヴァイオリンのために曲を書いたのはバッハが最初ではない。日本を代表するバロック・ヴァイオリニストである寺神戸 亮の CD に、「シャコンヌへの道」というアルバムがあって、バッハ以前の無伴奏ヴァイオリンの曲を集めてある。バルツァー、ヴェストホフ、ビゼンデルという聞いたこともない作曲家に、ビーバーやテレマンの作品が録音されている。つまり、バッハがこの 6曲の無伴奏曲を書いた背景には、それだけ多くの先例があったということになるが、それでも恐らく、バッハが作り上げたこれらの作品に、作曲者自身が比類ない自信を抱いていたものではないか。一体いかなる思いでバッハがこれらの曲を書いたのか、考え始めると何やらワクワクする。
さて、テツラフの演奏は、一言、見事としか言いようがない。ヴィブラートを最小限に、推進力を強く押し出したバッハであった。それはあたかも祈りのように響き、居合わせた聴衆はそれぞれに崇高な思いを抱いたことであろう。東京以外では世界でもなかなかないような、まんじりともせずに音楽に聴き入る姿勢は、このような演奏にふさわしいだろう。もっとも、私の席の近くでかすかないびきが聞こえたような気もしたが (笑)。いや、それも含めてバッハがこの世にもたらした天国的な時間の象徴であろうか。
テツラフは既に 2度、この 6曲を録音しているはずで、既に充分自家薬籠中のものとしたレパートリーであるはずだ。それにもかかわらず、2曲目に演奏したパルティータ第 1番だけ、なぜか譜面を開いての演奏であった。とはいえ、その譜面に目をやることはほとんどないように思った。だがしかし、私の耳が悪いのでなければ、この曲でほんの数十分の 1秒、音楽の流れが停まったような気がした。テツラフはその曲の演奏が終わると、自ら譜面台をステージの袖に片づけてしまった。実際のところは分からぬが、譜面台が返って邪魔で、それがない方が集中できると思ったということか。
6曲の中の白眉は、パルティータ第 2番の最後に置かれた、有名なシャコンヌだ。この日の演奏でも、このパルティータ 2番が抜きんでていたように思う。あとは、最後のパルティータ 3番の奔放な雰囲気も素晴らしいものがあった。もちろん生演奏のことだから、数回、ほんの少し音がかすれる等の若干の不備はあったものの、その強い集中力は尋常ではなく、現代を代表するヴァイオリニストとしての面目躍如といったところであった。たった一人で舞台に立って、リズムも自分で刻まねばならないし、大きなミスがあればとりかえしのつかないことになる、その緊張感はいかばかりか。ハリー・ポッターから脱皮したテツラフは、まさに魔法を使わず自力で人々を遥かな高みに連れて行ってくれた。
このような演奏会であるから、アンコールは当然なしと思っていたところ、「パリの友人たちのために繰り返し演奏します」と舞台上からスピーチして、パルティータ 2番のアンダンテを演奏した。「パリの友人たち」とはもちろん、9/13 (金) 夜にパリで発生した同時多発テロにおいて犠牲となった、130人以上の人々のことだ。これは本当に痛ましい出来事であり、今後の世界の秩序に対する不安も煽られるのであるが、せめて音楽の力で人々の心をつなぐ機会を持てたことを幸いとしよう。
今回もまた、終演後にサイン会があった。テツラフが 2007年に録音した、今回の曲目と同じバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲の CD を購入し、そこにサインをもらった。