歌舞伎 神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし) 2015年11月15日 国立劇場

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今、東京の国立劇場で、「神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし)」という歌舞伎がかかっている (11/26 まで)。これは、昔多摩川の渡し場があった矢口という場所にまつわる物語。時は南北朝時代。鎌倉幕府を倒すのに功績のあった武将、新田 義貞の二男、義興 (よしおき) が父の遺志を継いで足利尊氏の没後に挙兵、鎌倉を目指す途中で多摩川を渡る際、敵の奸計に陥って矢口渡にて命を落とす。ところがその後、義興の亡霊が祟りをなしたので、その御霊を鎮めるために神社が建立される。この物語はもともと「太平記」に記述があるが、この歌舞伎が扱うのは、その義興暗殺を巡る人々の後日譚であり、中でも義興の旧臣、由良 兵庫之助 (ゆら ひょうごのすけ) の物語が強烈なインパクトを持つ。上のポスターがその兵庫之助。演じるのは当代の重鎮、人間国宝 二代目 中村 吉右衛門だ。
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さて、この数年、私はなんとしてもこの演目が見たかったのである。それゆえ、今回の上演を知って狂喜乱舞した。それには明確な理由がある。本公演のプログラムに載っている、矢口渡近辺の現在の写真は以下の通りだ。
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むむ、この写真、どこかで見覚えがないか。おっと、なんとなんと、このブログのタイトルに掲げている写真と、何やら雰囲気がそっくりだ。・・・ま、それが理由 (笑)。ここに住んだのも何かの縁。いろんなご縁を大切にしないといけません。

この歌舞伎、作者が面白い。福内 鬼外 (ふくうち きがい) という、節分の豆まきのような人を食ったこの作者の正体は。
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そう、江戸のマルチタレント、平賀 源内 (1728 - 1780) だ。医者であり蘭学者であり洋画家であり、オランダから入ってきた静電気発生装置であるエレキテルを日本で復元した人物としても知られる。一説には、上記の新田義興を祀る新田神社 (東京有数のパワースポット。後述) から、祭神である義興の霊験を広めて欲しいとの依頼を受けて執筆されたとも。実は源内は、今はどこの神社でも初詣のときに売っている破魔矢 (当初は矢守と称した由) を考案した人物で、どうやらそれもこの歌舞伎の内容と関連がある模様。芝居を書いてその関連グッズを売る、商売上手な、なかなかのアイデアマンだ。ともあれこの作品、人形浄瑠璃として 1770年に江戸外記座で初演され、1794年に江戸桐座で歌舞伎として初めて上演された。この歌舞伎としての初演時の役者を、あの写楽が何枚か描いている。おぉなるほど、写楽が活躍した 10ヶ月 (1794年 5月から 1795年 3月にかけて) という短い間に、ちょうどこの作品が歌舞伎として初演されたのですな。但し、写楽デビュー時のあの強烈な大首絵ではなく、それほどインパクトのない全身像だ。とはいえ、主役級ではなくこれらの脇役までも肖像画がいわばブロマイドとして売りに出されていた江戸時代の演劇文化の成熟ぶりには驚きを禁じ得ない。
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さて、国立劇場は建物や雰囲気自体は古いものの、いつも歌舞伎を見る昔ながらのワクワク感を感じさせてくれる場所だ。歌舞伎座がいろいろな歌舞伎の場面場面を上演するのに対し、こちらはいわゆる通し狂言が多い。しかも、上演にあたって詳細な資料を作成して一般にも販売するのだ。やはり国立だけあって、歌舞伎を日本固有の貴重な文化遺産として後世に伝えて行こうという意志が見えて、なんとも心強い。あ、それから、チケットの値段も歌舞伎座よりも安いのです (笑)。駐車場もあって、今回のように休憩を入れて 4時間半近い上演でも、なんと駐車料金 500円。皇居を望む都心の一等地であることを思うと、嬉しい限り。
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そして今回は、大田区が舞台の作品ということで、こんなコーナーも。
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地元民なのに、なぜか嬉々としてこのようなグッズやお菓子などを買っている家人を横目で見て、物品の販売というものは、平賀源内流に、何かにあやかるとか、言葉を選ばずに言えば、便乗するということが大事なのだなと思い至った次第。そういえば、東急多摩川線沿線 (蒲田、矢口渡、武蔵新田・・・) にはこの歌舞伎のポスターがあちこちに貼ってあるが、地元民の皆様は国立劇場に足を運んでいるのだろうか。余計なことながらちょっと心配だ。

さて、本題に入る前に寄り道しすぎですね。そろそろ作品について書きましょう。今回上演されたのは以下の 4幕。
 序幕 : 東海道 焼餅坂 (やきもちざか) の場
 二幕目 : 由良兵庫之助 新邸の場
 三幕目 : 生麦村 道念 (どうねん) 庵室の場
 大詰 : 頓兵衛 住家 (とんべえ すみか) の場
実はこれらの場の中で比較的頻繁に演じられるのは、最後の「頓兵衛住家」だけで、序幕は 109年ぶり、二幕目は 100年ぶり (前回、1915年に兵庫之助を演じたのは、初代中村吉右衛門)、三幕目は実に 119年ぶりとのこと。従って、今回の上演は歴史的なものなのだ。とりわけ二代目吉右衛門にとっては、齢 70を超えて、初代からちょうど 100年後に同じ役を演じるというのは、いかにも感慨深いことだろう。

序幕では、義興の奥方である筑波御前 (中村 芝雀) と家臣、由良兵庫之助の妻、湊 (中村 東蔵) が、来るべき新田家再興のために、生き別れになった義興の遺児、まだ幼い徳寿丸 (とくじゅまる) を探す旅に出ている。駕籠かきに言い寄られるのを巧みに切り抜ける (笑えるシーンあり) が、そのならず者の駕籠かきたちは、修行者に扮して背中に背負う行李にその徳寿丸を隠して落ち延びる新田の家臣、南瀬 六郎 (みなせのろくろう) に標的を替える。六郎は足を傷つけられながらも、このならず者たちを片づける。
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二幕目がこの演目の最初の大きな見どころだ。由良兵庫之助は、新田家滅亡ののち、敵方の足利家に寝返って生き延びている。その新たな屋敷にたまたま旅の途中の筑波御前と湊がやってきて、思わぬ再会を果たす。湊は夫の裏切りをそしるが、兵庫之助は知らぬ顔。そこに徳寿丸を守る南瀬六郎もやって来るが、それを目撃した悪党の密告を受けた足利の重臣、竹沢 監物 (たけざわ けんもつ、中村 錦之助) がズカズカと入り込んで来て、兵庫之助の足利への忠誠を示すため、六郎と徳寿丸の首を出せと要求。六郎とは大立ち回りになる。
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その果てに、六郎は自害。そして兵庫之助は、幼い徳寿丸の首も平然と切り落として竹沢に渡す。ところがこれは実は兵庫之助と六郎の仕組んだ作戦で、敵の目をあざむいて徳寿丸になんとしても生き延びてもらい、お家再興を託すための大芝居であったのだ。六郎はそのために命を落とした。では、徳寿丸は・・・。実は首を斬られたのは、兵庫之助の実の息子であったのだ。真実が分かってからも、兵庫之助、筑波御前、湊の間には長いやりとりがあり、お家のためにわが子までもを手にかける兵庫之助の忠誠心と、必死にお家のためと自分に言い聞かせながらも幼いわが子の犠牲に断腸の思いを抱く湊、そして夫婦に深い同情を抱きながら凛とした態度で徳寿丸に期待を寄せる筑波御前と、それぞれの姿が描かれる。見応え充分の場面であるが、中でも兵庫之助が、「お家のためなら子供の命くらいなんでもないわ」と豪語して呵々大笑し、それが抑えた号泣へと変わって行くあたりの吉右衛門の芸には、鬼気迫るものがあった。ところで、この設定、どこかで見たことがある。帰宅して調べると、5年前に文楽で見た、「菅原伝授手習鑑」の寺子屋の段であった。設定はほぼ同じで、追われている幼い主君を守るために、わが子を身代わりとして殺す話だ。この「菅原伝授手習鑑」の初演は 1746年だから、この「神霊矢口渡」より前だ。だが、大らかな時代のこと、このような剽窃ならいくらでもあったのだろう。もしかすると中国あたりの説話にルーツがあるようなことなのかもしれない。実は、同じような設定でこのような極限の悲しみを表現すると、歌舞伎よりも文楽の方が強烈な表現になると思う。人間が演じると、よくも悪くも、人の声と仕草でリアルな感情が表されるところ、絞り出すような謡と物言わぬ人形の動作という組み合わせになると、現実を超えた感情表現が可能になる。なので私も文楽のこのシーンの臓腑をえぐる深い悲しみを、体のどこかで覚えていたものだ。またその一方で、このような吉右衛門の大見得を見ると、歌舞伎ってやっぱりいいなぁとも思ってしまうのだ。よっ、大播磨!!
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三幕目と四幕目は話としては続いていて、義興の弟、義岑 (よしみね、中村 歌昇) が登場する。ここでは義岑は、あまり頼りにならないやさ男という描かれ方をされているが、道心という托鉢僧に出会い、彼が実はもと新田家の旗持ちであることを知る。そして義岑は家の再興に向けた決意を固め、ちょうど兄が命を落とした多摩川の矢口渡まで来るが、そこで日が暮れたため、同行している傾城うてな (中村 米吉) とともに渡し守りの頓兵衛 (とんべえ、中村 歌六) の家に一夜の宿を願い出る。ところがこの頓兵衛こそ、兄、義興の舟に細工をして謀殺した張本人。そして運命の皮肉か、頓兵衛の娘、お舟 (中村 芝雀) が義岑に一目ぼれ。親への義理と愛する人への思いの板挟みになり、ついには義岑を逃がしてしまうお舟。頓兵衛は義岑殺害をたくらみ、夜半に床下から刀で攻撃するが、手負いになったのはなんと自分の娘。その後父娘の争いが続き、最後にはお舟も力尽きるが、頓兵衛も、川の中から現れた義興の亡霊 (中村 錦之助) に矢で喉を射られて絶命する。
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ここにも見せ場が沢山あり、歌舞伎の演劇としての成熟度を思い知るのであるが、興味深いのはお舟の行動だ。これも、どこかで見たことないだろうか。そう、ヴェルディの歌劇「リゴレット」だ。もちろん「リゴレット」には最後は亡霊は出てこないものの、殺されるモンテローネの呪いという設定になっている点、共通点はある。「リゴレット」の初演は 1851年で、その原作、ヴィクトル・ユゴーの「王様はお楽しみ」はもちろんそれより前だが、この「神霊矢口渡」よりは確実に後だ。これは偶然の一致なのか、それともユゴーがどこかで歌舞伎のストーリーを知るきっかけがあったのか、興味は尽きない。もしかして、ユゴーが平賀源内を盗作??? まさかとは思うが、想像するとこんなに楽しいことはない。

このように、見どころ満載の演目であるので、大田区民であろうとなかろうと、一見をお奨めする。

さて、せっかくなので、新田次郎、いや違った、新田義興を祭神とするパワースポット、新田神社を紹介しておこう。東急多摩川線の武蔵新田駅から、徒歩で 3分というところだろうか。決して大きくはないが、なんとも言えずそこだけ空気が澄んでいるような気がするのだ。
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この本殿には、今回の「神霊矢口渡」のポスターが貼ってある。義興さんもさぞご満悦であろう。
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それからここには、霊木のケヤキがあり、よく人が木の回りに手をあててパワーを吸引している。
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そして外壁には、神社の来歴の長い説明が。実は今回、同じものが国立劇場の 2階ロビーにも展示されている。
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それから近辺でもう一箇所、興味深い場所をご紹介しよう。
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なになに、やぐちのわたし、とんべえじぞうそん・・・。そうだ。この歌舞伎で悪役として登場する渡し守、頓兵衛の名前がつけられた地蔵様だ。こんなふうに既に磨滅が激しく、何やらただならぬ気配。
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これは、頓兵衛が義興の暗殺に加担したことを悔いて、その菩提を弔うために祀ったという言い伝えがある。実際のところは頓兵衛は架空の人物であろうし、歴史的な根拠は何もないのであるが、このようなお姿になっても未だこの世に留まって時代の移り変わりをご覧になっている地蔵さんに、人々が日々抱く様々な悔恨の思いの受け止め手としての信仰が集まったと思うと、心に迫るものがある。

新田義貞なら教科書にも出てくるが、義興の名前は、たまたまこの新田神社を訪れた人くらいしか知らないと思う。それでも、今でもこの土地に残る伝説と、その場所に漂うただならぬ雰囲気に触れると、長い時間の人々の生活が偲ばれよう。大田区民の皆様はもちろん、そうでない方も、今回の貴重な上演から、そのような歴史に思いを馳せてみませんか。ついでに大田区特産物も、よろしく!!

by yokohama7474 | 2015-11-17 00:47 | 演劇 | Comments(0)
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