ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 (ピアノ : エマニュエル・アックス) 2015年11月22日 サントリーホール

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この演奏会は、これまでの東京交響楽団とその音楽監督、ジョナサン・ノットの演奏会の中でも、最も凝りに凝った内容を持つものではなかろうか。上のポスターにもあるが、曲目は以下の通り。

 リゲティ : ポエム・サンフォニック (100台のメトロノームのための)
 バッハ (ストコフスキー編) : 甘き死よ来たれ BWV.478
 リヒャルト・シュトラウス : ブルレスケ ニ短調 (ピアノ : エマニュエル・アックス)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第 15番イ長調作品141

ポスターに引用されているノットの言葉は、「21世紀に生きる私たちにとって、過去に残された宝石のような作品を集めてみました」というもの。これはどういう意味なのか。それを考えるきっかけは、やはりポスターに記載されている楽団からのメッセージに秘められている。いわく、「リゲティ : ポエム・サンフォニックは開演時間前 (開場時) から演奏が始まっておりますのでぜひお早めにご来場いただき、珍しい演奏をお楽しみ下さい」とのこと。むむ、一体これはどういうことか。

言われる通り、開場時刻にホールに入った人たちが見た光景はこれだ。本当はステージをそのまま写真に撮ろうと思ったのだが、係の女性に撮影禁止と注意されたため、ロビーのモニターを撮影したもの。
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誰もいないステージ上、左右に何やら白い物体がところ狭しと並べられている。これは何かというと、メトロノームであるのだ。1曲目に置かれたリゲティの「ポエム・サンフォニック (100台のメトロノームのための)」(1962年作曲) は、作曲者言うところの「リズムによるひとつのディミヌエンド」である。つまりここでは、文字通り 100台のメトロノームがそれぞれ違った速さに設定されていて、コチコチ音を刻んでいるのだ。当然その音は千差万別で、あたかも滝の音に耳を澄ますと聞こえてくる、細かい流れのぶつかりあいのようだ。そしてこれらのメトロノームはひとつまたひとつと停まって行き、最後には 1台がコットンコットンと時を刻むようになる。その時までには指揮者もオーケストラも舞台上に登場しており、あたかも死に瀕した人物の心臓の鼓動のように響くメトロノームに耳を傾ける。そして、最後のコトッという音とともにメトロノームが静まり返ると、おもむろにバッハの「甘き死よ来たれ」の荘厳なメロディが始まる。その題名は、メトロノームの表す死のイメージにぴったりであり、東京交響楽団の紡ぎ出す音は、静けさがそのまま伸びて行くような絶妙な効果を表している。そしてさらに、バッハの演奏が続いている間にピアニストが登場、そのままリヒャルト・シュトラウスの「ブルレスケ」の演奏に入るという趣向である。その効果は絶大であるが、この 100台ものメトロノームは、コンサート終了後、一体どうするのか。心配ご無用、川崎市内の中学校に寄贈されるそうだ。なんともしゃれたことをする。知恵者ノットの面目躍如だ。

この日ピアノを弾いたのは、現代を代表する大ピアニスト、エマニュエル・アックスだ。
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1949年生まれなので、今年 66歳。まさに油の乗り切った巨匠である。ただ、巨匠然としたところはなく、ご覧頂けるように親しみやすい人柄のようで、先日の内田光子のリサイタルでも客席に姿を現し、休憩時間にはチェロの堤 剛と談笑して、写真撮影したがる人の要請に応じて、肩を組み合ったりしていたものだ。しかしながら、この大らかな外見にもかかわらず、その音楽は透明な水のようになめらかで美しい。今回演奏されたリヒャルト・シュトラウスの「ブルレスケ」は、作曲者 20代の作品で、それほど感動する内容ではないものの、このような達者なピアニストにかかると、素晴らしい表現力を感じることができるから不思議だ。ノット指揮するオケも、切れ味鋭い演奏で、曲の本質をよく表していた。このアックスは、ヨーヨー・マやパールマンともよく共演していて、てっきりアメリカ人かと思いきや、今の国籍はアメリカでも、もともとポーランドの出身らしい。アンコールにはそのポーランドが誇るショパンのワルツ第 3番作品34-2が演奏され、その抒情が人々の胸を打った。素晴らしいピアニストだ。

休憩後のショスタコーヴィチ 15番 (1971年作曲) は、これぞノットの指揮で聴いてみかたった曲だ。ロッシーニの「ウィリアム・テル」やワーグナーの「指環」、「トリスタン」の引用など、聴けば聴くほどに謎めいた曲である。もともと現代音楽の演奏でその名を高めたノットは、非常に見通しのよい音楽作りで、謎は謎のまま、但し緩急を巧みにつけて様々な思いを聴き取ることのできる秀逸な演奏を展開した。本当に東響の演奏能力は大したものだ。これだけ奇妙な曲を説得力をもって演奏するには、各奏者が自分のポジションをよく把握してバトンを渡して行く必要あると思うが、実際にそのリレーがうまく行っているのを聴くと、こちらまで嬉しくなってくるものだ。私はこのショスタコーヴィチの最後の交響曲の神秘的な終結部が大好きだ。弦がたなびく雲のように弱音で響いている中、打楽器がチャコポコチャカポコと、まるで深い霧の中に静かに消えて行くような音楽で、政治に翻弄されたこの作曲者が最後まで外すことのなかった仮面が、霧の中で不気味に微笑んでいる。ここでは、実に 7人の打楽器奏者が同時に、かつ静かに演奏しているのだが、その音のいずれもが必要だ。ノットの指揮のもと、最後までオーケストラはプロの技で応えた。

プログラムにノットのインタビューが掲載されているので、少しご紹介しよう。まずこの演奏会のテーマは、「生と死」であること。しかも、ヨーロッパとは異なり東洋では、生と死は円環を描いてつながっている。そこに細かいリンクを持ち込むこととしたと。そのリンクとは、打楽器。最初のリゲティのメトロノームに始まり、「ブルレスケ」ではティンパニが活躍、そして最後のショスタコーヴィチでは、上述のように、打楽器が最後を看取るのである。ショスタコーヴィチ 15番については、以下のように語っている。

QUOTE

ショスタコーヴィチはもちろん大好きですが、これをうまく演奏するのは大きな挑戦です。これまでに第 4、第 5、第10も指揮していますが、第15番は最も興味をそそりますね。これが彼の最後の交響曲だという作曲家の意識が伝わってきますし、開かれた風景が目の前に広がっていくのです。繊細であり、きわめてパーソナルな部分もある。そもそもこの作品が語ろうとしているものが何であるのかは明確ではありません。- むしろ、これまで経験してきた人生が意味することを確定できない、定義できないというのがこの作品の強みだと思います。

UNQUOTE

なるほど、やはり謎を謎のまま描こうとしていたようだ。それにしても、今回のような特殊なプログラムで、これだけ充実感をもって演奏できる指揮者を、東京にいながらにして頻繁に聴けることはなんという幸せか。外来オケの名曲シリーズも結構だが、このような意欲的なコンサートが、真の意味で東京の文化生活を豊かにしているのである。2026年までこの地位を継続することになっているノット。これからも期待しよう。これからどんな演奏を聴かせてくれるノット。
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by yokohama7474 | 2015-11-23 00:59 | 音楽 (Live) | Comments(0)