バトルフィールド (演出 : ピーター・ブルック) 2015年11月27日 新国立劇場中劇場

e0345320_00385802.jpg
このブログでは、度々 30年近く前の私自身の経験や、それに関する書類などが出てくるので、「コイツは一体何なんだ」と思われる方もいらっしゃるものと思う。まあそのような疑問に長々と答えるよりも、シンプルに、文化に関する趣味を続けるには 30年は別に長い時間ではないし、知れば知るほどに自分の無知を知るのだということを申し上げておきたいと思う。なぜに今回こんな話で始めるかというと、今回鑑賞したこの芝居こそ、私の 30年間に亘る悔しさを癒してくれるものであったからだ。あるいは、30年なんて短いものだと思わせてくれるものと言ってもよい。

ピーター・ブルック。今年 90歳の世界的演出家だ。
e0345320_00460341.jpg
前回の記事では 91歳の指揮者、サー・ネヴィル・マリナーを採り上げ、残念ながら来日中止になった 92歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーに触れた。また最近の報道では、9月 5日に伝説の女優、原 節子が 95歳で死去していたことが明らかになった (9・5 に 95 で逝去という偶然。もっとも、60歳の誕生日、すなわち還暦の日に逝った小津 安二郎ほどのインパクトはないが)。90代の芸術家たちそれぞれの生きざま、死にざまを考えることは誠に興味深いが、この世界的演出家の新作は、つい先だって、9月にパリで世界初演されたばかりの舞台の世界ツアーの一環であり、新国立劇場の中劇場で、11月25日 (水) から 29日 (日) まで 6公演が開かれる。これは、ブルックの演出としては日本では最も有名な「マハーバーラタ」(あの有名な古代インドの叙事詩に基づくもの) の続編をなすもので、上記のチラシにも、「あの伝説の舞台から 30年、現代演劇界の巨匠 ピーター・ブルックがふたたび『マハーバーラタ』に挑む」とある。これは一体どういうことか。

今を去ること 30年。1985年、バブルに向かう好景気の日本には、様々な文化的イヴェントが溢れていた。文化面でのひとつの中心はセゾングループで、映画館シネ・ヴィヴァン六本木や CD ショップ WAVE に、芸術書を揃えた書店 アール・ヴィヴァン、また、クリムトの「接吻」を含むウィーン世紀末の大々的展覧会をはじめとして意欲的な企画が目白押しであったセゾン美術館、そして演劇では、パルコ劇場やホテル西洋銀座にあった銀座セゾン劇場など、まさに東京の文化の牽引役であったのだ。その銀座セゾン劇場で、当時から巨匠演出家と言われたピーター・ブルックが、あの「マハーバーラタ」を上演する、しかも、休憩を入れて 9時間にも及ぶ超大作であると知って、絶対に行きたいと思ったのだ。その際にもうひとつ決め手となったことがあって、それは、脚本をあのジャン・クロード・カリエールが書いていることであった。「あの」と言っても知らない人の方が多いとは思うが、スペインのシュールレアリズム映画監督ルイス・ブニュエルの代表作の数々 (「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」とか「欲望のあいまいな対象」とか) の脚本を書いた作家である。当時からブニュエルに強く心酔していた私としては、このことはまさに、この芝居を観なければならない決定的な要因であった。ところが、チケットが取れない!! 当時はインターネットはないので、人気公演は、発売日にダイヤル式の電話で何時間もトライして、ようやくつながったときに売り切れであれば、もうあきらめるしかなかったのだ。ネットオークションも掲示板もなかったのだ (それでも、コンサートの場合は音楽誌に載る「譲ります」コーナーという最後のよりどころはあったが)。この公演もそのような事態に陥り、絶望していたところ、なんという幸運か、学生席は当日発売で、必ず一定数あるというではないか!! そこで私はカリエールが書いたこの芝居の脚本 (もちろん今でも手元にある) を読んでバッチリ予習し、ある日の朝早く、開演時間の何時間も前に、いそいそと劇場に向かったのであるが、そこで発見したのは、徹夜で並んで学生券を求める人々の姿!! 結局そんなわけで、時既に遅し。この芝居を観ることはできずに涙をのんだのである。

その後ピーター・ブルックの演出は、1991年に同じ銀座セゾン劇場でシェイクスピアの「テンペスト」を観ることができ、その簡素な舞台に大変感動した記憶がある。ミランダ役は、その後映画でも活躍した (その頃はまだ文字通りフランス人形のように可愛らしかった) ロマーヌ・ボーランジェ、キャリバンは、フォルカー・シュレンドルフの名作「ブリキの太鼓」で主役の少年を演じたダヴィッド・ベネントであった。

そんなわけで、今回、ピーター・ブルックが 90歳で健在だということも分かり、30年ぶりの「マハーバーラタ」の続編 (しかも脚本には今回もジャン・クロード・カリエールも参加) ということで、気合を入れて見に行くことになったのであるが、今回の上演時間は、なんとわずかに 70分!! これは老巨匠の枯淡の境地であるのだろうか。あらすじとして紹介されている文章を転用しよう。

QUOTE

バラタ家の一族は 2つの勢力に引き裂かれた。
それは 5人兄弟がいるバンダヴァ家と、
ドリタラーシュトラ王の百人の王子がいるカウラヴァ家であった。
どちらも恐ろしい手段を使って戦いを繰り広げ、
ついにバンダヴァ側の勝利で終わった。

戦場となった大地は、何百万もの屍体で覆われていた。
バンダヴァの長兄ユディシュティラは、大量殺戮によって勝者となったものの、
悔恨や罪悪感に苛まれていた・・・。「この勝利は敗北だ」と。
そして、過去の行為に疑問を持ち、自らの責任を解き明かそうとする・・・。

UNQUOTE

なるほど、前作の激しい戦闘のあとの世界を描いているわけだ。舞台はこのように質素なもの。
e0345320_02091466.jpg
登場する役者は、男性 3名女性 1名の計 4名。使用言語は英語。そこに、昔からブルックの芝居で音楽を担当する土取 利行 (つちとり としゆき) が、ジャンベという太鼓をひとりで叩いて伴奏するのだ。プログラム (今回の公演用に特別に編集された内容満載の本) に掲載されている役者の写真、それから、ジャンベとはどういう太鼓かというイメージは以下の通り。
e0345320_02155193.jpg
e0345320_02160412.jpg
登場人物たちはそれぞれに役柄があるのだが、見ているうちにそれはどうでもよくなってくる。というのも、これは恐らく原典の「マハーバーラタ」に含まれているのであろうか、あれこれの逸話、説話を役者たちが再現するシーンが続いていくからで、誰が誰を演じているのか分からない入れ子構造が次第に明らかになって行くからだ。役者たちは、決して普通の意味で演技力があるという感じもせず、終末観溢れるセリフ、あるいは残虐なシーンを述べるセリフであっても、淡々としたものだ。ただ時折、感情の爆発や激しい動きがないではない。そのような局面で芝居の流れをリードするのは、必ず土取のジャンベであるのだ。古代の神話の世界を扱った演劇で、しかしその世界を操る神のような存在はたったひとつの太鼓であると思われてくる。もともとジャズ奏者の土取は、既に 40年近くブルックの劇団とともに活動しており、1985年の「マハーバーラタ」と今回の「バトルフィールド」の両方に出演している唯一の人物だ。
e0345320_02225580.jpg
70分という短い上演時間であるにもかかわらず、ストーリーが抽象的であるせいか、結構長く感じる。役者たちの簡素な動きの中に、美しいバランスが形成され、見ていてなんとも清澄な気分になる。その一方で、結構笑いを取るシーンや観客を巻き込むシーンもあって、簡素な意外性が観客を飽きさせないのだ。
e0345320_02295245.jpg
e0345320_02294761.jpg
e0345320_02312451.jpg
そして最後、4名の役者たちはこのように集まって座り、世界を操る神たるジャンベ奏者、土取の方を見る。そうして激しくまた情緒豊かに鳴り響くジャンベの演奏で、全編が終了する。
e0345320_02344035.jpg
この作品を、人類永遠のテーマである平和の尊さであると素朴に決めつけてしまうのは避けたい。ここで描かれているのは、殺戮のあとの世界、単純化してしまった世界の中で、人間だけではなくあらゆる生命がその役割を持っているということではないだろうか。人間同士の戦いの良し悪しというよりももっと高い次元の話だと感じた。そして、それゆえにこの芝居は単純なのだ。すべて偉大なるものは単純である。

上述の通り、劇場で売られている特製プログラムには、様々な関連情報満載だが、せっかくなので、ピーター・ブルック自身の言葉を引いておこう。高齢のために今回、さすがに来日はしていないが、現地パリでの最新インタビューを読むことができるのは嬉しい。

QUOTE

(聞き手の、「あなたの仕事はシンプルだと形容されますね」という問いかけに対し)
私にとってレッテルを貼るというのは、何かを固定してしまうということです。私は人生すべてが動きであると思う。動きには、ゆっくりしたものも素早いものもありますが、すべて音楽のようでしょう。何の動きもない音楽など考えられないし、あるとすれば無音ですよね。音がたった一つだけある瞬間があるとすれば、それはもう音ではない。音とは、何かその前にあるもの、その後にあるものとの間で活かされるものなのです。レッテルを貼るということは、飛び回っている蝶々をつかまえてピンで留めようとするものです。蝶々は死んでしまう。私にとってこれはとても大事なことなのですが、「シンプリシティ」(注 : 単純さ) という言葉を頻繁に耳にし過ぎる。若い人たち、若い演出家たちが、それで「ああ、ピーターのメソッドがわかったぞ!」と思ってしまうのは、とても困ったことだと思います。私は 60年間、70年間を経てこの地点に辿り着いたわけですが、最初の頃は混沌としていましたよ。人生の楽しみ、苦しみ、何もかもを味わいました。ありとあらゆる料理も食べましたし、重い食事、ドイツ料理、日本食、何でも。ほんの少しずつ、自分自身で理解するために。ですから他の人には自分の道筋を通ってほしい。私にとって少なくとも 60年間、あるいはそれ以上の時間がかかったように。

UNQUOTE

うーん。簡単に単純化云々と書いてしまったが、その単純化できる境地に達するまでに、長い時間と人生経験を要した結果であって、誰でも真似できるものではないということだろう。芸術分野でなくとも、我々が生きて行く上で経験するあらゆる分野についてあてはまる、含蓄深い言葉だと思う。あ、それから、30年前に見ることができなかった芝居の敵討ち (?) をしたからと言って喜ぶのはまだ早い。その倍、60年かけて初めて物事が見えてくると、ブルックは語っているのだから (笑)。まだまだ修行が足りません。

さて最後に、とっておきの本をお奨めしておこう。この記事で何度も名前を出した脚本家、ジャン・クロード・カリエールが、あの「薔薇の名前」の原作者ウンベルコ・エーコと対談した、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本だ。もちろんこの本は、今のところ (発行された 2010年時点では) 紙の書物だが、もしかしたら今では電子書籍で読めるかもしれない (笑)。まあしかし、真の知性同士の驚くべき対話に、ページを繰るごとに気持ちが高揚するという経験は、電子書籍でも味わえるものなのだろうか。いずれにせよ、ピーター・ブルックの芝居でも観ようという知性と感性の持ち主の方には、人生における必読の書として強く推薦しておこう。
e0345320_02585522.jpg


by yokohama7474 | 2015-11-28 03:01 | 演劇 | Comments(0)
<< マルモッタン・モネ美術館所蔵 ... ネヴィル・マリナー指揮 NHK... >>