オスモ・ヴァンスカ指揮 読売日本交響楽団 2015年12月 4日 サントリーホール

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ほぼ一週間前、11/28 (土) に、同じ指揮者、同じ楽団のコンサートに出向いた。今年生誕 150周年のフィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスの作品を、フィンランドの名指揮者、オスモ・ヴァンスカが指揮するシリーズだ。今回の曲目は以下の通り。
 交響曲第 5番変ホ長調作品82
 交響曲第 6番ニ短調作品104
 交響曲第 7番ハ長調作品105

はて。最近何やら同じような曲目を聴いたような。とぼけるのはやめにしよう (笑)。11/29 (日) に、やはりフィンランドの指揮者オッコ・カムが本場フィンランドのオーケストラ、ラハティ交響楽団を率いて行った来日公演の一環、私が以前の記事で大絶賛したあのコンサートと、全く同じ曲目なのだ。このヴァンスカが天塩にかけて世界最高のシベリウスオーケストラに仕立て上げたラハティ響を、先輩指揮者であるカムが振り、ヴァンスカは以前から関係の深い読響で同じシベリウスを演奏する。これぞまさに現代最高のシベリウス対決。東京のクラシック音楽シーンはかくも活発なのである。

前回の記事でもご紹介した通り、ヴァンスカの指揮は大変明快で、その身振りがそのまま音になったような気がする。但し、今回は 2つの理由で、正直なところ前回ほどの感動はなかった。ひとつは、やはりやはり、カムとラハティ響の超絶演奏を既に聴いてしまったこと。もうひとつは、前回のような初期のロマンティックな作品とは異なり、後期の晦渋な作品であるので、明快な指揮ぶりだけではなんともならない複雑な響きが要求されることだ。ひとつめについては触れても仕方なく、音楽家にとっては、自らの骨肉となっている音の表現に関して、有無を言わせぬ神秘な世界があることを再認識した。しかしながら、音楽は国際的なものであり、何もお国ものばかりがよいとは限らない。その意味では、今回の演奏ならではのよさも随所に聴くことができたのもまた事実。ラハティ響の記事では、5番の冒頭から 7番の終結部まであたかも一貫した音楽のように記述したが、今回の演奏では、それぞれの曲の聴きどころ、例えば 5番の終楽章の羽ばたく鳥の群れのようなめくるめく音の重なり、6番の第 1楽章でハープがリズムを刻んで舟が海原に出て行くような感じ、7番の千変万化する凝縮したドラマ性、等々が曲の個性を演出しながら幻灯のように過ぎて行き、明らかに音の密度が高まる瞬間を何度も聴き取ることができた。やはり素晴らしい演奏であったと思う。その一方で、ヴァンスカの作り出す音の線は、明快であるがゆえに、パートごとにいい音が鳴っていても、複雑に溶け合う際に、時としてほんの少し作為が目立つということもあるような気がした。いや、それとても、作為のかけらもなく自然がそのまま鳴っているようなラハティ響を聴かなければ気づかなかったことであろう。

シベリウスの交響曲について改めて思う。最も人気のある 2番や、それに次ぐ人気曲の 1番、また、ヴァイオリン協奏曲や交響詩「フィンランディア」などの初期の作品の数々は、もちろん豊かな自然を思わせる部分もあるものの、人間感情を反映した劇的な部分があるので、なじみやすいとも言えるだろう。歴史的事実であるロシアの圧政とそこからの解放というイメージも、多かれ少なかれ初期の作品にはあるだろう。それに引き替え、今回の後期の 3曲には、もちろん劇的な部分もあるにはあるが、長い盛り上がりはほとんど聴くことができない。書かれたのは、5番が 1914-15年 (1919年に改訂)、6番が 1915 - 1923年、7番が 1924年である。つまり、第 1次大戦中から両大戦間、その間の 1922年には弟を失っている。そして、7番を初演した 58歳以降、シベリウスはほとんど作品を発表しないまま、1957年に 91歳で亡くなるまで、実に 30年以上の沈黙を守るのだ (だから、シベリウスの人生においては、これら 5番以降の交響曲の作曲時期を「後期」と呼ぶのは不適当なのである)。この謎の沈黙について、通説があるとは聞かないので、謎は謎のままだろうと思うが、私の勝手な思い込みでは、やはり 2度の世界大戦を経験したことが大きな要因ではないのだろうか。フィンランドは第一次大戦後に念願の独立を果たしてからも、決して平和に過ごしてきた国ではないようだ。若い頃はロシアからの解放という政治的なメッセージを込めた曲で人々を鼓舞した彼も、抽象的な音楽の世界で祈りや高揚を描いたものの、戦争の惨禍やその後の他国との関係の中で、次第にその先いかなる音楽を人々に発するべきかが分からなくなったか、あるいは美しい自然と裏腹の人間の行いに深い絶望を抱いたのではないか。こんな光景を見てしまうと、人間の争いなど無益に思えるのも道理だろう。
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ところで今回の演奏会、荻原尚子という女性ヴァイオリニストが客演コンサートマスターであったが、そのプロフィルはプログラムに掲載されていないので調べてみると、名門 WDR ケルン放送交響楽団のコンサートマスターを 2007年から務めているとのこと。抒情的であったり、切れ切れの盛り上がりであったり、突然の疾走であったり、様々な場面を乗り切る必要のあるシベリウスの後期の交響曲で、颯爽とオケを率いていた。最近海外の名門オケで活躍する日本人が昔より減ってしまったような気がするので、今後ますます頑張って頂きたい。
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ところでこのケルンのオケの首席は、ビシュコフ以来イメージがないなと思って調べると、今はユッカ・ペッカ・ラサステだ。彼はもうひとりのフィンランド人名指揮者。そして、なんとも面白いことに、彼も以前ラハティ響の首席であり、しかもその在任期間は、今回の読響の指揮者ヴァンスカと、今のラハティ響の首席であるカムとのちょうど間である。奇遇だなぁ。フィンランドシリーズの番外編エピソードでした (笑)。


by yokohama7474 | 2015-12-05 01:53 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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