黛 敏郎 : 歌劇「金閣寺」(指揮 : 下野 竜也 / 演出 : 田尾下 哲) 2015年12月 5日 神奈川県民ホール

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これまで、機会があればなるべく日本人の手になるオペラを見るようにして来た。だが、日本のオペラを見れば見るほど、日本語が音楽に乗らないことに絶望的な感覚を抱いてきたものである。その点、黛 敏郎 (まゆずみ としろう 1929 - 1997) のオペラ 2作、この「金閣寺」と「古事記」はどちらもドイツで初演されているのでドイツ語で書かれており、私にとってはその事実だけでも、妙なくびきから離れて鑑賞できるオペラなのだ。

題名で明らかな通り、あの三島由紀夫の小説を原作としたオペラである。三島と黛は政治思想も近かったであろうし、実際に生前親交があったらしい。私にとって三島は文字通り特別な存在。学生時代にこの「金閣寺」をはじめとする新潮文庫の数々の三島作品を読んで驚愕し、文学を究極まで突き詰めると、ストーリーなどどうでもよくなってくるのだと感得した。今に至るも、例えば映画を見てもストーリーを二の次三の次と思うのは、多分この三島文学経験によるものであろうかと思われる。実際、ニューヨークとロンドンに在住していた際にも、日本から三島由紀夫全集全 36巻を携えていたのである。もっとも、谷崎潤一郎全集も一緒だったのであるが。ほとんど読めませんでしたがね (笑)。今でも本棚の、すぐ手が届くところに並んでいる。
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黛敏郎。戦後日本を代表する作曲家のひとりだ。生前はその右寄りな言動や、テレビ番組「題名のない音楽会」のスマートな司会ぶりが、むしろ実際の創作活動よりも知られていた。
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だが、日本の現代音楽を愛する人たちには常識に属する事柄として、黛は芥川也寸志、團伊玖磨とともに「三人の会」を結成し、それぞれにクラシック音楽の普及に尽力したのである。ジョン・ケージの影響を受けた初期の作品から、日本回帰を明確にした「涅槃交響曲」「曼荼羅交響曲」、いくつかのバレエ音楽まで、多様な作風で知られ、そして数多くの映画音楽 (金閣寺炎上をテーマにした市川 崑監督の「炎上」を含む) を作曲し、さらには終生ジャズを愛した人であった。そのような彼の活動の中でも、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱によって書かれ、1976年に同オペラハウスで初演されたこの「金閣寺」は、創作の頂点をなすと言ってもよいであろう。これまで日本では、岩城 宏之が 1982年に抜粋を演奏会形式で初演して以来、同じ指揮者がさらに 3回上演している。1991年、舞台上演としての日本初演。そして 1997年と 1999年に大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスが上演したもの。1991年の上演は CD になっており (今回の「金閣寺」上演に先立ってタワーレコードが限定復刻)、1997年の上演は NHK で放送された。私の場合、1991年上演の CD を聴き、1997年上演の放送を昔ヴィデオに録画したものを見、そして、1999年の舞台は実際に生で見ている。なので、今回日本で 5回目の上演となるこの作品については、それなりにイメージがあっての今回の鑑賞である。この上演は神奈川県民ホールのオープン 40周年を記念するもので、オーケストラは地元の神奈川フィル。指揮するのは、1969年鹿児島生まれの下野竜也だ。
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私は、小柄ながら精力的な指揮をする彼の音楽が大好きであり、その実演に接して期待が外れたことは一度もない。その明確な指揮ぶりは、今は亡き岩城宏之 (「初演魔」の異名を取るほど数々の現代音楽を日本に紹介し、この「金閣寺」の過去の上演をすべて指揮した人) にも共通するものがある。これからさらに一般的な人気を博して行くことであろうと思うし、この果敢な試みは大変に頼もしい。また、演出は、ドイツの名匠ミヒャエル・ハンペの弟子である田野下哲。昭和期の遺産を将来に受け継いで行く世代による意欲的な公演だ。会場である神奈川県民ホールの入り口にはこのような垂れ幕が。題字は人気書家、武田 双雲によるもの。今回は 2回のみの公演であるが、大変な金のかけようである。
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撮影禁止ということで写真には撮れなかったものの、会場ロビーには作曲者の自筆譜や今回の演出ノートが展示してあり、興味深かった。また開演前には、演出家の田尾下哲と舞台美術の幹子・S・マックアダムスが登場してプレトークを行った。この演出のコンセプトとして、美の象徴である金閣寺は展開するドラマにかかわらず常に舞台にあり、また、心理劇は金閣寺の中で行われること、コロスのような役割を果たす合唱団 (特に女声が重要) は、歌っている内容と舞台上で進行する劇を切り離すために舞台に登場せずに声だけを響かせることなどが語られた。また、会場で配布されたプログラムにも様々な情報が満載であり、演出家と指揮者の対談も掲載されている。
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この作品を見る際には、三島の原作にどこまで縛られるかという点がポイントになってくる。今般、本棚から原作 (三島由紀夫全集第 10巻) を引っ張り出してざっとオペラとの違いを検証してみたが、ストーリーの流れはほぼ原作を踏襲している。ただ、やはり三島の修辞的な文章にひとたび目を通すと、これを文学以外で表現することは全く不可能であることを思い知る。このオペラの台本は、ベルリン・ドイツ・オペラの当時の総監督、ルドルフ・ゼルナーの意を受けたスタッフであるクラウス・H・ヘンネベルクという人が英訳版から作成したもので、それなりに苦心した様子が伺える。この台本について、三島自身が目を通す機会はなかったのであろうか。黛自身が 1991年の上演に際して書いたメモの中に以下のような部分がある。

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(ゼルナーとの) 何回かの話し合いの末、結局「金閣寺」でいこうと決心したのは、1970年になってからのことである。
その年の夏、原作者の三島氏に会った私は、オペラ化の許可と、出来ることならリブレットの執筆もと依頼した。三島氏は、「俺はオペラといえば新派大悲劇調のイタリア・オペラが好きで、ゼルナー流の表現主義は性に合わないから、台本は勘弁してくれ。でも、初演の時は喜んで見に行くよ」といって許可をくれた。そしてこれが、私の三島氏に会った最後となってしまったのである。

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ご存じのことと思うが、三島の自決は 1970年11月25日だ。つまり、作家の最晩年になってこのオペラは始動し始め、その衝撃的な死のあと 6年経ってからドイツで初演されたことになる。

今回の演出は大変に手の込んだもので、演出家の思い入れのほどが随所から伝わってくる。原作よりも音楽を重視したものと言えるであろう。オペラと原作の最も顕著な違いは、原作では主人公の溝口は吃音という障害を持っていたところ、台本作家はそれではオペラにならないと思ったのであろう、右手が不自由という設定に変えている。そもそもの原作が溝口の複雑な心理を追って行く内容になっているため、オペラでも溝口はほぼ出ずっぱりで、溝口のモノ・オペラと言ってもよいくらいだ。原作でもこれまでの上演における演出でも、溝口はコンプレックスの塊で、内向的な恐ろしい人間という描き方であった。例えば、1999年の上演時のプログラムの写真をご覧頂こう。まるでアングラ芝居のチラシにようで (笑)、なんとも陰鬱だ。
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それを今回の演出では、溝口のキャラクターをもう少し逞しいものにしており、それなりに興味深い。これは父親とのシーンであるが、溝口は、まぁ爽やかとは言わないが (笑)、いろいろな場面で感情をきっちりと表に出す人間に描かれている。
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プレトークでも触れられていた通り、物言わぬ不動の美の象徴、金閣寺が、全編を通じて舞台奥に堂々たる姿を見せている。私の席は 3階であったので、この建物が黒い床に反映して揺るぎない美を創造していたのが見えて、なかなかよかった。因みにこの神奈川県民ホールは、横に長い構造であって、客席の最前列から最後列までの距離が短いので、3階のいちばん上の席でも、鑑賞には全く問題ない。私の席はたった 3,000円だ。なんというコストパフォーマンス!!
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さてこの金閣、四季折々の姿を見せるのだが、これがまた大層美しい。以下の 2枚で、見にくいかもしれないが、金閣寺のミニチュアを抱えたり掲げたりしているのは、この寺を建立した足利義満だ。幻想的で美しいシーンである。
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このオペラを予習していたとき、必ずカットされているシーンがあるのに気が付いた。それは第 3幕第 4景。歌が入らずオケだけの演奏で、京都の夜の人々の往来のシーンである。これまでの日本での演奏 4回ではすべてカットされてきた由。今回はその部分も演奏されていたので、見てみてカットの意味が分かった。ここでは沢山の人たちが鮮やかな衣装を身に着けて一斉に舞台に登場するのだ。相当予算がないとこのシーンは上演できないだろう。その一方で、今回演出家の意向でカットされたシーンがある。足の不自由な友人、柏木が尺八を吹いて、溝口にそれを渡すシーンだ。原作では、吃音という障害を持つ溝口が、実は尺八を器用に吹きこなすという設定になっているところ、このオペラでは障害は手にあるので、そもそもシーンの意味をなさない上に、ドラマの流れがここで停まってしまうと演出家は考え、カットする決断を下したという。プログラムに載っている指揮者と演出家の対談でもその点に触れられ、ドイツでの初演時には日本的なエキゾチックな要素が必要だったのでこのシーンが考えられたのかもしれないという点で両者の意見が一致している。なるほど一理ある。

この作品、聴いた感じはメシアンとオネゲルとベルクを足して 4くらい (?) で割った感じの曲だ。ただ、クライマックスに向けての盛り上がりは凄まじく、強い表現力が必要とされる。1997年の上演の際のインタビューで岩城宏之は、「オケと合唱団にはオイシイ箇所が多々あるものの、歌手の人たちはとにかく大変で、ワーグナーよりもきついかもしれない。特に出ずっぱりの溝口役の歌唱は拷問に近い」と語っていたが、まあその通りであろう。今回の歌手は二期会の人たちで、熱演ではあった。ただ、溝口役の小森 輝彦は、安定感があって立派な歌唱であったが、気の毒なことに時折オケに飲まれてしまっている感があった。また、演出家の意図によって合唱団は舞台袖で歌ったのであるが、そのせいで声がよく通らず、音楽本来の表現力が減じてしまったのはなんとも惜しいことであった。

そんなわけで、大変意義深い公演であると同時に、課題もあれこれあったと思う。是非また再演の機会を目指して欲しいものだ。

ところで最後に、このオペラとその原作で引用されている恐ろしい言葉に触れてみたい。それは、9世紀の中国の高僧、臨済 (禅宗の臨済宗の開祖) の言葉を集めた「臨済録」にある以下のような言葉だ。

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仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。

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大変に過激なこの言葉、世の中には絶対というものはなく、自らを形作るものをすべて打ち壊すほどの厳しい態度を貫いて初めて、真理を会得できるのだ、と解釈することは可能だ。だがこの言葉、自己陶酔にもつながる危険な言葉ではないだろうか。自己の弱さを転嫁する先として、永遠の美の象徴である金閣寺に火をつけるに至った溝口の心理を表していて、慄然とさせられる。また、自らの体を切り裂いてこの世を去った三島という作家の壮絶な人生感を思わせると同時に、そこにもやはり、絶望と表裏一体の自己陶酔がなかったと誰が言えようか。私は必ずしも三島の死が彼の文学の根本的な要素をなしているとは思わないし、残された作品を虚心坦懐に文学として味わえばよいと堅く信じるものの、文学の神髄には、危険な陶酔があると思う。でもそれは、文学といういわば絵空事での話。現実世界で貴重な文化財を傷つけるなど言語道断だ。守ろう文化財!!

by yokohama7474 | 2015-12-06 00:27 | 音楽 (Live) | Comments(0)