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シカゴ・ウェストン・コレクション 肉筆浮世絵 - 美の競艶 上野の森美術館

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11月下旬。上野の東京都美術館でモネ展を見た。その内容は既に記事を書いた通りで、大変に素晴らしい展覧会だったのだが、朝、開館後間もない時間に出掛けたにも関わらず、会場内は押すな押すなの大混雑。どっと疲れを感じてしまった。美術館を出て、ようやく解放された気分で上野公園をそぞろ歩き、せっかくの機会なのでほかの美術館も回ってみようと考え、ふと目に付いたのがこのポスター。ああそういえばこんなのもあったねと思い、どうせそんなに混雑していないだろうから、ちょっと息抜きに覗いてみるかと考えたのである。美人画の展覧会は、まあそれほど悪くないだろうと気軽に入ってみたが、確かに会場はすいていた。ガラガラと言ってもよかった。ところが、そのガラガラの館内で、寸刻も経たないうちに私の背筋は伸び、心は高揚し、衝撃を受けることとなった。忘れられない素晴らしい美との出会い。一体どのような内容であったのか。

この展覧会は、個人コレクションとしては世界有数の規模と質を誇るシカゴの日本美術収集家ロジャー・ウェストン所蔵の肉筆浮世絵約 130点からなる。江戸初期から明治に至る、50人以上の絵師たちの作品が展示されている。浮世絵と言えば色鮮やかな版画を思い浮かべるのが通常だが、ここに並ぶ作品はすべて肉筆画。もちろん版画の浮世絵も素晴らしいが、肉筆ともなると世界で一点しかないわけで、そこには画家の真剣勝負の軌跡が明確に残っているものだ。また、保存状態のよい浮世絵は、日本国内よりも海外に残っているケースが多いようだ。それは、西洋人が浮世絵の美しさに感嘆したために、その価値に相応しい敬意を持って大切に維持保存したという事情によるものだろう。日本人はどうも自分たちの持てる能力を客観的に評価することを苦手としていると思われてならない。最近では少し変わってきているようにも思われるが、でもやはり、浮世絵展よりモネ展の方が圧倒的に人気が高い点を思うと、やっぱりまだまだ西洋崇拝は根強く残っているのだろう。だが、よく知られているように、モネは浮世絵から多大な影響を受けているわけで、浮世絵がなければ、我々の知るモネもなかったわけである。・・・まあこの話を始めると長くなるのでこの辺で気分を切り替え、この展覧会の作品について感想を書いて行こう。

そもそも浮世絵とは、浮世、つまり現実世界の営みを描いたものであり、描かれる対象は非常に広い。もちろん版画によって一般庶民に広く普及したものであろうが、その代表的な画家と認識されている歌麿や北斎は、一方で沢山の肉筆画を残している。また、一般に浮世絵の祖と言われる菱川 師宣 (ひしかわ もろのぶ 1618? - 1694) の代表作、「見返り美人」は実は肉筆画なのである。このように、江戸時代を通して肉筆浮世絵は描かれ続けたのだが、この展覧会は、その浮世絵の源流から始まる。もともと 16世紀前半 (つまり戦国時代だ) に京都を中心とした上方で、現実世界の題材が描かれ始める。そして江戸時代に入り、寛永 (1624 - 44)・寛文 (1661 - 73) 頃には富裕な民間層の依頼によって歌舞伎や遊里が描かれるようになった。寛文美人図と呼ぶらしいが、主として寛文年間に描かれた、主として一人立ちの美人図のジャンルがある。この展覧会では、LED 照明によって極めて鮮やかに浮かび上がる寛文美人図の数々が、まず訪問者の目を射る。こんな具合だ。
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この絵も、それから以下に掲げるほかの寛文美人図も、無款なので作者は分からないが、その描き方の微細なこと、また表情の活き活きとしていること。
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これなどはなんとも粋だ。立ち女ではなく、若衆である。画賛には、狩場の鹿は明日をも知れない命ので、「戯れ遊べ夢の浮世に」とあるらしい。なんちゅう自堕落な (笑)。でも粋だなぁ。もともと江戸の侍文化 (組織を縛るという意味で今のサラリーマン文化にまでつながっている) が日本人をガチガチに抑え込んでしまう前には、こんなに自由な気風が日本、特に古い歴史を持つ上方にはあったのだ。
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これは「明形 (みんけい) 」の印があるが、画家のことはよく分からないらしい。お気づきだろうが、いわゆる版画の浮世絵で女性の顔のスタイルが画一化される前、このような表情豊かな作品があったわけだ。これは日本美術史上重要なことではないだろうか。強いてこれに近い人間的な女性の肖像画を考えてみると、遥か上代の高松塚古墳の壁画とか、正倉院御物の鳥毛立女屏風が思い浮かぶ。1,000年間流れ続ける日本的 (あるいは東アジア的) 美意識の水脈が、戦国時代から江戸初期に、突然地表に表れて来たと言えば言い過ぎになるだろうか。
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さて展覧会はその後、件の菱川師宣の登場を経て江戸で発達して行く浮世絵の変遷を辿る。これは「江戸風俗図巻」という巻物で、元禄年間というから、師宣晩年、17世紀末の作だ。さすが天下泰平の元禄期、描かれている人々の行動も勝手気ままで楽しそうなら、それを絵筆で活き活きと再現する師宣の手腕も素晴らしいものだ。
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以下の作品は、京都の西川 祐信 (にしかわ すけのぶ 1671 - 1750) の「観月舟遊図」。遊女たちが舟に乗って月見をしているところだが、この川の流れなどは、版画よりも肉筆画の方がより豊かな表現力を可能にするだろう。
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これは東川堂 里風 (とうせんどう りふう 18世紀前半、正徳・享保期に活躍) の「立姿遊女図」。この頃の立女図は懐月堂派という一派をなしていて、この画家もそこに分類されるらしい。衣類の輪郭をなんと金色の太い線で迷いなく描いている。全体的に、なんとも大らかさを感じさせるとともに、顔などは明治期以降の日本画すら思わせるモダンささえ湛えている。
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宮川 一笑 (みやかわ いっしょう 1689 - 1779) の作品を 2つ。「七福神正月図」と「鍾馗と遊女図」。この人を食った名前と、このあっけらかんとした作風を見ると、相当にユーモアのある人だったのかと思う。宮川長春を祖とする宮川派のひとりであるが、1750年に日光の修復御用の報酬を巡って宮川一門が狩野家に討ち入りするという物騒なことがあったらしく、その責によって一笑は伊豆新島に流され、そこで 91年の長い生涯を終えたという。多分、それでもユーモア感覚を忘れなかった人であったのではないか。
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奥村 政信 (おくむら まさのぶ 1686 - 1764) の「やつし琴高仙人図」。中国の琴高 (きんこう) 仙人の逸話によるが、大きな鯉に乗った遊女がなじみの客からの文を読んでいるところか。これもユーモラスな内容をきっちり描いていて面白い。
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そろそろ 19世紀に入ってきて、水野 廬朝 (みずの ろちょう 1748 - 1836) の「見立三酸図」。これも中国の逸話で、道教・儒教・仏教を代表する人物が酢を舐め、一様に顔をしかめることで、三者は違いはあるが目指すところは同じというもの。ここでは三者が、真ん中が吉原の遊女 (正面を向いている顔が珍しくも印象的)、左が芸者、右が一般の夫人になっており、甕には「醉」とある。これは酢ではなく酒であるようだ。これまたなんともユーモラスではないか。
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同じ三人の女性を描いても、それぞれに異なる画家の個性が現れる。二代目喜多川 歌麿による文化年間 (1804 - 1818) の作品、「三美人音曲図」。華やかな着物は美しいが、顔が著しく縦長になっていて、一度見たら忘れない。全体のバランスも絶妙で、絵画作品として細心の注意が払われていることが分かる。
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初代 歌川 豊国 (1769 - 1825) の 1816年の連作、「時世粧百姿図 (じせいそうひゃくしず)」、全24図がすべて展示されている。いろいろな階層の女性を描いたものだ。これなど、三味線を練習する若い女性のなんとなくだらけた感じと、後ろで飯を炊いている爺さんの真面目さの対比が面白い。
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ここで大御所登場。葛飾 北斎 (1760 - 1849) の「京伝賛遊女図」だ。この京伝とは、有名な戯作者、山東京伝のこと。彼が賛を書いている遊女の図ということだ。さささっと片づけた、筆のすさびという感じの作品だが、なんとも洒脱で、かつ実在感がある。すべての画一化から自由な、近代的な作品と言ってもよい。
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展覧会の出口近くに、最後の浮世絵師とも言われ、明治の文明開化の風景を抒情的な版画で残した小林 清親 (1847 - 1915) の珍しい作品がある。「頼豪阿闍梨」と題されている。頼豪 (らいごう) とは、平安時代の天台宗の僧侶で、園城寺に戒壇 (僧侶に戒律を授ける場所) を開設すべく天皇に直訴したところ、ライヴァルの延暦寺に邪魔されて実現せず、断食して命を絶ち、鉄鼠に化して延暦寺の経典を食い破ったという伝説があるらしい。なんとも凄まじい執念だが、この絵は不動明王が頼豪の悪事を戒めるために火を放っているところ。私が大好きな叙情的な清親はここにはなく、あたかも昔の少年探偵ものの挿絵のような作品で、これはこれで誠に面白い。
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とまあ、展示品のごく一部を駆け足でご紹介してきたが、驚くのは、どの作品も保存状態が最高で、それを素晴らしい環境で堪能できる、素晴らしい展覧会だ。考えてみれば、このブログでも採り上げているような江戸時代の画家の回顧展の場合、保存のよいものと悪いものがどうしても混じってしまって、この展覧会のように、どれを見ても最高のコンディションのものということは、まずあり得ない。また、一人の画家の画業を辿るのとは違い、有名無名を取り混ぜて様々な画家の作品を見ることで、日本美術の時代変遷や表現の幅を知ることができ、大変貴重だ。それにしても、これらの絵の来歴は様々であろうが、米国人がコレクションできるということは、美術マーケットで流通しているということなのだろうが、あるいは、一部は旧家の所蔵品がまとめて処分されたようなこともあったのだろうか。いずれにせよ、このような心あるコレクターによって散逸を免れ、大事に保存されていることは素晴らしいことであり、在外の日本美術を日本で見る機会を、是非今後も頻繁に持ちたいものだ。日本人自身が日本人の作り出した美を充分に認識し、誇りを持てるようになるべきだと思う。他者を尊敬するにはまず、己を知らなければならない。国際文化交流の意味は、自国の文化を知ることにもあると、改めて実感した。この美術館、年末年始は元日のみが休みであるようなので、この記事をご覧になった方は、12/31 でも 1/2 でも、足を運んでみられることをお奨めします。

by yokohama7474 | 2015-12-12 19:22 | 美術・旅行