2015年 12月 13日
シャルル・デュトワ指揮 NHK 交響楽団 2015年12月12日 NHK ホール
デュトワのレパートリーの中でマーラーは、決して重い比重を占めているわけではない。だが、その華やかなオーケストラの能力の最大限の活用は、デュトワの持ち味にかなり合うのではないか。特に、世界苦を背負って絶叫するような後期の作品ではない、この 3番なぞ、かなり彼には適性がありそうだ。今回のアルト歌手はドイツ人のビルギット・レンメルト。
演奏は、期待にたがわぬ充実したものになった。いかにマーラーが日本でよく演奏されると言っても、この長い曲を終始緊張感を持って演奏するのは並大抵のことではないはず。デュトワの指揮は、「サロメ」の記事でも書いた通り、纏綿と歌うところもないし、クライマックスでテンポを落として大見得を切るところもない。楽譜が着実に音になって行くという感じだ。それが物足りないと言う人はいるかもしれない。だが、これだけあれこれのレパートリーをこれだけの安定感で指揮できる人もそうは多くないと思う。この指揮者は本当に音楽の道程がよく分かっている人だなといつも感心するのだ。今回興味深かったのは、終楽章 (第 6楽章) を、指揮棒を持たずに素手で指揮したこと。デュトワの演奏会には随分来ているが、指揮棒を持たない姿は思い出せない。これはやはり、オケから柔らかい歌を引き出そうということであろうが、このなんとも美しい楽章の、特に大詰めに向けての波のような盛り上がりを巧まずして演出していた。それからこの曲の最後では、2対のティンパニが堂々と鳴って、あたかも巨人の歩みのように巨大な響きを沸き起こすのであるが、この最後の最後の大詰めで、2対のティンパニがほんのわずかでもずれてしまうと、画竜点睛を欠くということになってしまうので、いつもハラハラするのであるが、今日は面白いものを目にした。第 1ティンパニ奏者は指揮者を見て叩き、第 2ティンパニ奏者は指揮者でなく、第 1ティンパニ奏者を見ながら叩くのだ。つまり、2人のティンパニ奏者がそれぞれ指揮者を見てしまうと、ごくわずか呼吸が合わない可能性があるところ、この方法なら、合わせることの難易度がぐっと減るからだ。おかげで、ラストの盛り上がりは大変よくまとまり、かつ感動的なものとなった。
このデュトワという指揮者、大変な巧者であるがゆえに、音作りでも非常に現実的な方法を取るように思われる。上記のティンパニの例が指揮者の指示なのか否か分からぬが、その可能性は高いだろう。また、通常は切れ目なしに演奏されることでこの曲の奥行きを増すことになる第 3楽章以下も、今回は数秒ずつの切れ目があった。特に、第 5楽章の「ビム・バム」の合唱の余韻が残っている間に、あの無限の感情を湛えた安らかな第 6楽章に移る際の微妙な呼吸は、この曲の醍醐味のひとつだが、デュトワは第 5楽章が終わると合唱団を座らせ、それから第 6楽章を始めたのである。さすがに東京の聴衆はこの曲をよく知っているのであろう、そのような楽章間で咳をする人は少なかったが、もしゴホゴホ咳をされれば、指揮者のコントロール外で危うく音楽の流れが痛むところだったかもしれない。でも、これがデュトワの実務的な手腕なのであろう。気を取り直して (?) 始めた終楽章は、感傷的ではないが、充分抒情的であったのだ。このデュトワが東京のクラシック音楽シーンを面白くしてくれていることは論を俟たない。来年も 12月に N 響の指揮台に登場するが、未だ曲目は発表されていない。来年も楽しみにしていますよ。
ところで、マーラー (1860 - 1911) がこの交響曲を作曲したのは 1895 - 96年の頃。ザルツブルク近郊のアッター湖の作曲小屋で、夏休みを使って集中的に作曲した。シーズン中は指揮者として忙しかったからだ。この写真は 1892年のものなので、近い頃の肖像だ。当時まだ 32歳。ほぅ、そんなに若くは見えませんがね。