名古屋 揚輝荘 / 覚王山 日泰寺

名古屋とその近辺には、近世から近代の文化遺産がいろいろある。もちろん、明治村のような大規模な場所もあり、犬山城のような国宝建造物も存在する。だが名古屋市内にも、見どころはあれこれあるのだ。この地区が、近世の三英傑を生み出したのみならず、近代における産業発展に寄与して来たことを実感する。今回はそのような場所のひとつをご紹介する。前から行きたかった、揚輝荘 (ようきそう) だ。名古屋市千種区にあり、駅で言うと、地下鉄東山線の覚王山駅が最寄りだ。名古屋以外の人には聞きなれない場所かもしれないが、誰もが知るデパート松坂屋の初代社長、伊藤 次郎左衛門 祐民 (いとう じろうざえもん すけたみ 1878 - 1940) が築いた別邸だ。
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伊藤次郎左衛門家とは、江戸時代から続く名古屋の商家で、祐民はその第 15代。尾張藩御用達の呉服屋であったが、先代 祐昌のときに銀行も開設。伊藤銀行はのちの東海銀行の前身のひとつであるという。祐民は 1909 (明治 42) 年に渋沢栄一を団長として行われた渡米実業団に、その伊藤銀行の取締役として参加。その際に米国で見たデパートに刺激を受け、翌 1910年に株式会社いとう呉服店を設立し、名古屋の栄地区に新たなデパートとして開店した。既にその 3年前、東京の上野に、いとう松坂屋を開店していたが、その店舗も 1916年に洋館として改装した。

この揚輝荘の造営は 1918 (大正 7) 年に開始。移築と新築、改築を続けるうちに皇族、華族、文化人などが頻繁にやってくるようになった。すべての完成を見た 1939 (昭和14) 年には、実に一万坪の敷地内に 30以上の建物が立ち並び、池泉回遊式庭園とともに威容を誇っていたということだ。今ではその 1/3 程度の規模の敷地であるが、よく復元・管理され、非常に興味深い場所になっている。今では北庭園と南庭園に分かれていて、北庭園は特別に申し込まない限り庭園内の散策のみ、南庭園は聴松閣という建物に入ることができる。その聴松閣、このような外見をしている。ハーフティンバーの山荘風外見をした迎賓館だ。
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車寄せの前では、虎が伸びをしている。なんでも、中国南北朝時代、西暦 488年の銘があるとか。うーん、さすがに複製をおみやげとして中国から買ってきたということでしょうか。
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中に入ると随所に工夫が凝らされており、純日本風でもなければヨーロッパ風でもない、不思議な折衷感覚満載だ。内部は写真撮影 OK というのも嬉しい。最初の部屋に、往時の揚輝荘の広大な敷地のジオラマがある。定期的に係員の案内があって、その説明を聞きながら観覧すると大変に興味深い。
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1階の食堂は今は喫茶店となっているが、ノミの跡をあちこちに残した荒々しいながらも手の込んだ作り。作り付けの食器棚には「いとう」の文字が。
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面白いのは暖炉で、いろいろな古い瓦をはめ込んである。左側には京都の東寺、右側には、こちらは既になくなってしまった西寺の瓦があるほか、唐招提寺や興福寺や善光寺の瓦。飛鳥時代の瓦。また一際大きい瓦には、豊臣の桐の紋が。伏見城か聚楽第の瓦か???
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2階に上がる。豪華な装飾はないものの、細かい細工があちこちに見られる。書斎や応接室はシンプルながらモダンなデザイン。中国風装飾の部屋もある。
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さて、面白いのは地下 1階だ。ここは完全にインド風の作りになっているのだ。この揚輝閣は各国からの留学生を受け入れていたらしく、インド人留学生が壁画を描いた。まあ、日本のアジャンターとまでは言いませんが、大変にエキゾチックですな。
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なんでも祐民自身、1934年にインド・東南アジアを旅行していて、地下をインド風に設計したのは彼の指示によるものらしい。小さいながら舞台もあり、この場所は今でも講演会等に使われているようだ。また、カンボジアのアンコールワット風の装飾もある。狭い地下空間だけに、ちょっと日常と違う感覚に襲われる。
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さてこの聴松閣の中には、祐民の実業活動についての資料があれこれ展示されているのが、それを見ている間、私の中に何やらもぞもぞ動く記憶がある。さて、一体なんだろう。「いとう呉服店」・・・。松坂屋の前身・・・。聞いたことがある。そして私の目に飛び込んできたのがこの写真だ。
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あっ、東京フィルではないか‼ このオケが数年前に創立 100年を迎えたとき、実は日本最古のオケであることを知った(N 響ではないのだ)。尾高忠明の指揮でシェーンベルクの「グレの歌」を 100年記念で演奏しようとしたところ、震災で延期になったのだから、2011年のことだ。ということは、この東フィルの前身、いとう呉服店少年音楽隊の結成は 1911年か。上の写真は、東フィルの演奏会のプログラムで見たことがある。大オーケストラのルーツが呉服屋の少年音楽隊とは、なんとも面白いではないか。そして私の脳の中のモヤモヤも、これで解消だ。

さて、揚輝荘を出て、マンションの横を通り、北庭園へ。その脇に、何やら苔むした大きな石が。半分埋もれているが、おおこれは、松坂屋のロゴではないか。昔は庭園のどこかに置かれていたものであろうか。
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さて、これが北庭園の入り口。「揚輝荘」の名前の入った空色のヴェストを着ている方々は、この文化遺産を管理する財団の人たちだろう。皆さん大変親切で、私が解説本 (1,300円) を買おうとすると、「えっ、いいんですか?」と訊かれてしまった。「あ、いや、自宅でもっとゆっくり勉強したいので」と、なぜかこちらがしどろもどろになってしまった (笑)。
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この庭園は非常にきれいで、維持管理も本当に大変だと思う。無料で散策できるのだが、入るだけでお金を取ってはいかがでしょうか。その価値はあると思う。
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この北庭園の中心的な建物は、伴華楼 (ばんがろう) だ。もちろんバンガローのもじりを建物名にしている。鈴木 禎次 (すずき ていじ 1870 - 1941) の設計になるもの。この建築家の名前は聞いたことがある。夏目漱石の義理の弟で、名古屋地区では鶴舞公園の噴水や、豊田喜一郎邸などを設計した人だ。
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この建物の中には事前申し込みなしには入れないが、覗いてみると、伊藤祐民の胸像などがある。
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庭園はさほど広くないが、いろいろな建造物がある。豊彦稲荷は、松坂屋本店にある稲荷と同様、もともと京都の仙洞御所にあった稲荷社を勧請したもの。
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池に浮かぶこの屋根つきの橋は白雲橋。修学院離宮の千歳橋を模したものという。
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この橋は通行止めになっているが、入口すぐの天井に墨で龍の絵が描いてあるのが見える。これは伊藤祐民自身の作と言われているが、前回の辰年、ということは 2012年のカレンダー用に撮影した人が、龍の顔を逆さまにすると王冠をかぶった女性の顔に見えることを発見。ユーモアのセンスがあったという祐民ならありうると地元中日新聞で報道されたらしい。うーん、どうでしょうか。私にはただの偶然に見えます (笑)。
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それから、池のある場所からは、隣接する日泰寺の五重塔が、ちょうど橋のたもとに映って見える。曇っていて見えにくいが、天気のよい日はさぞやと思われる。
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このように見どころ満載の揚輝荘であるが、昔の実業家のスケールに改めて感じ入る。保存は大変だと思うが、財団の方々、陰ながら応援しております。1,300円で買ってきた解説本も読みますよ!!

さて、上述の通り、この揚輝荘のすぐ隣には、ユニークな寺がある。その名も、覚王山 日泰寺。1900年に当時のシャム国から日本に贈られた仏舎利 (釈迦の骨) を安置するため、1904年に創建された (その時の名前は日暹寺。にっせんじと読み、暹はシャムのこと)。1949年、シャムのタイへの改名に伴い、寺名を日泰寺と改めた。この仏舎利というのは、もともと仏教の塔というものはそれを安置する目的の建造物を起源とするので、大体が水晶だったりするのだが、なんでもこの仏舎利は 1898年に北インド、ピルラーワーで英国人ウィリアム・ペッペが発掘したもの。骨壺に刻まれた古代文字の解読で、本当の釈迦の骨と判明したとか。へぇー、その経緯など詳しく書いた本などあれば読んでみたい。ともあれこの日泰寺、そのような経緯による近代の創建なので、日本で唯一、宗派のない寺なのだとか。山門は改修中だが、平成 9年に建てられたという五重塔もすっきりと美しい。
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そしてご本尊も、仏舎利と同時にタイから贈られた古い仏像である。近年になって、タイ語で釈迦牟尼仏と書いた額が奉納された。大きな本堂には荘厳な雰囲気が漂う。尚、本尊の左右には高山辰夫の壁画が飾られている。
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様々ある名古屋の顔、なんとも興味深いではないですか。

by yokohama7474 | 2015-12-13 23:21 | 美術・旅行 | Comments(0)