クリスティアン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル 2015年12月13日 愛知県芸術劇場コンサートホール

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もし、世界のピアニストの中で、誰をいちばん聴きたいかと訊かれたら、ポリーニにしようかどうしようかと考え、迷った末に多分この人を選ぶと思う。クリスティアン・ツィメルマン。1956年生まれのポーランド人。まさに現代最高のピアニストだ。1975年、弱冠 19歳でショパン・コンクールを制した若者は、その後 1980年代、カラヤンやバーンスタインという巨匠と次々と協演、レコーディングも盛んに行った。当時の彼の録音のジャケットはこんな感じだった。
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まさに美男を絵に描いたような若いピアニストであったわけだが、少なくとも日本ではアイドル風に騒がれたという記憶がない。その当時から、内容で聴かせる芸術家であったというわけか。実演を初めて聴いたのは、小澤征爾指揮の新日本フィルが伴奏するブラームスの 2番の協奏曲であった。その後しばらく実演に接する機会がなかったが、10年以上前になるだろうか、スイス、ジュネーヴのヴィクトリア・ホール (あのスイス・ロマンド管弦楽団の本拠地である美しいホール) で彼のリサイタルを聴いて衝撃を受けた。ブラームスをメインにしたプログラムであったが、全く軽はずみなところのないピアノに、楽器自体の限界を超えて深いところから響き出す強い音楽を聴き取ることができ、心の底から感動したのだ。それ以来、私にとって現代最高のピアニストは彼になったのである。また録音では、ショパン没後 150年を記念して彼が自らポーランドのオケを振って演奏した 2曲のピアノ協奏曲が、後期ロマン派の作品かと思うくらい強烈な表現力に溢れた凄演であった。

そのツィメルマンも、既に60歳手前。上のポスターにあるよりも、実際には白髪が多くなっており、髪も髭も、すべて真っ白だ。激しく陶酔するのではなく、静かにピアノを弾いている姿を見ると、哲学者のようにも見える。信念をもって音楽の道を進む求道者であると言ってもよい。実は私は、先月倉敷を旅行した際、ツィメルマンの演奏会のポスターを見かけた。その時点で私の持っている彼のリサイタルのチケットは来年 1月10日の横浜公演のものだったから、2ヶ月も日本に滞在して演奏旅行をするのかと、大変驚いたものだ。今回名古屋で購入したツアーのプログラムを見ると、確かに最初は 11月19日の倉敷。それから来年 1月18日の武蔵野市での公演まで、2ヶ月の間に13公演が予定されており、名古屋はその真ん中あたり、6公演目だ。クリスマスと年末年始は公演は予定されていないが、それを割り引いても、一流音楽家のこのような長期に亘る日本ツアーは異例だ。プログラムに載っている文章には、「ツィメルマンが東京にも拠点を設けて、既にかれこれ十年」とある。これはどういうことなのだろうか。彼は、通常のピアニストと違い、ツアーでも自分のピアノを持ち歩く (あ、ヴァイオリンではあるまいし、持ち歩くとは正しい表現ではないですね 笑) と聞いたことがある。確か、911 テロ後に米国の通関で彼のピアノが危険物と誤解されて破壊されたことがあって、「文化を解さないこんな野蛮な国にはもう来ない」という発表をしたと記憶する。それ以来本当に米国で演奏していないのか否か分からないが、彼ならそうしているかもしれない。そうすると、東京に拠点を設けるとは、彼が許可したピアノが東京には保管されているという意味なのであろうか。ご存じの方、教えて下さい。

ともあれ、徹底したこだわりを感じさせるのは今回の日本ツアーの曲目だ。13公演すべて、メインはシューベルトの最後のピアノ・ソナタ、第21番変ロ長調 D.960 だ。前半には、今回の名古屋を含む 3回だけは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第 31番変イ長調作品110、ほかの 10回はすべてシューベルトで、7つの陽気な変奏曲と、ピアノ・ソナタ第 20番である。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタは全部で 32曲。長いもの短いもの、陽気なもの深刻なもの、抒情的なもの劇的なもの。様々であるが、最後の 3つのソナタ、作品番号でいえば 109、110、111は、まさに孤高という言葉がふさわしい、神秘的で深遠な内容を持つ。この 3曲のどれかひとつでも弾くには、相当な覚悟が必要であろう。かつて日本でもアルフレート・ブレンデルがこの 3曲を一晩で演奏したが、儀式的と言ってもよいような厳粛な演奏会になった。今回のツィメルマンは、ブレンデルのような透明感のあるタッチではなく、もっと太い音で、ドラマを内包しながら進んで行く。そうだ、私がジュネーヴで聴いたブラームスと同じような音だ。音の流れは途切れることなく、人々の心にそのまま迫ってくるようだ。やはり晩年のベートーヴェンの名曲、ミサ・ソレムニス (荘厳ミサ曲) に作曲者が書いたという、「心から出でて心に至らんことを」という言葉を思い出す。いささか月並みな表現とも思いがちだが、このような音楽を言葉で表現するとなると、ほかに手段がない。言葉の無力を思い知る。

そして、後半のシューベルトも、まさにこの世とあの世の境のような音楽で、相当な確信がないと演奏できないタイプの曲であろう。そもそもピアノ・ソナタで 50分を要するという規模に驚く。私が初めてこの曲を知ったのは、高校生の頃、ルドルフ・ゼルキンの録音だった。ゼルキンはタイプとしては上記のブレンデルと近い、澄んだ音で聴かせた人 (特に晩年は) であったが、第 1楽章で深く沈んで行くような音楽に空恐ろしいものを感じたのをよく覚えている。もしこの曲をご存じない方に説明するとすると、以下のような感じだろう。まず、あなたは広い野原で青空を仰いでいる。安らかな思いで平易なメロディが口を突いて出る。その平易さはラジオ体操のようだ。気持ちのよい体操の時間だ。深呼吸。とその時、遠くでゴロゴロと雷鳴が響く。あなたは不安を振り切ってラジオ体操を続けようとするが、段々に気持ちが高まり、天を仰ぐ。黒雲に心乱され、叫びたくなる。でも大丈夫、ラジオ体操の時間がまた戻ってくる。あなたはじっと自分の心の中を覗き、そこにあるものを認識する。・・・孤独である。
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あ、ツィメルマンとは関係ないイメージショットに走ってしまいました。これは邪道です (笑)。ともあれ、ツィメルマンの演奏は、決して枯淡の境地というわけではない。ベートーヴェンの第 2楽章でも、シューベルトの第 3楽章でも、テンポはむしろ早めで、強い音が鳴っていた。また緩やかな箇所でも、凛とした表現力が常に存在しており、いたずらに感傷に流れることは皆無であった。これこそが彼の真骨頂だ。孤独に沈んで世をはかなむのではなく、声高に叫んで煽動するのでもない、信念のある芸術家の姿に、人は大いに勇気づけられるであろう。それこそがツィメルマンが若い頃から続けて来た音楽なのだと思う。

予想はしていたが、アンコールは演奏されず、開始から 1時間 30分でコンサートは終わった。でも、会場を後にする人たちは皆、ずっしりと重い感銘を胸に、帰路についたことであろう。人々の心にこのような感銘を与えられるピアニストが、そうそういるとは思えない。それゆえ、彼は現代最高のピアニストなのである。

by yokohama7474 | 2015-12-14 00:36 | 音楽 (Live) | Comments(0)