黄金のアデーレ 名画の帰還 (サイモン・カーティス監督 / 原題 : Woman in Gold)

e0345320_23262090.jpg
今公開中の映画でどうしても見たいものが少ない中、この映画がシネコンでも上映していることを知り、見に行くことにした。ところが今日12月18日は、「スター・ウォーズ」の新作の封切日である。いや、日どころか、18時30分という封切時刻まで全国一斉。私がとあるシネコンでこのアデーレの映画を見ようと思ったのはその時刻の直前で、劇場はごった返しており、ライトセーバーを構えて写真を撮る人などが実に楽しそうにしていた。混雑を蛇より嫌う私としては、まあいつかどこかでスター・ウォーズは必ず見るが、今日この時ではないだろう。ということで、集団を潜り抜けて到達した劇場は、予想に反してそれなりの入りだ。

今月の自分のブログの記事一覧を見ると、やたら金色が多いことに気づく。オペラ「金閣寺」、デュトワ / N 響の「サロメ」、美術展「黄金伝説」といった具合だ。まあそうなると映画分野でも黄金が欲しくなるということで (笑)、まさに題名に黄金が含まれているこの作品を採り上げることになった。たまたまとはいえ、黄金続きはゴージャスな感じがしてなかなか気分がいい。ところがこの映画が扱っている題材は、気分がいいどころではない。ナチがユダヤの裕福な家庭から強奪した絵画。それを法的な手段で取り戻す婦人とその弁護士の話。うーん、そういう意味では、やはり最近のこのブログで採り上げたジョージ・クルーニーの「ミケランジェロ・プロジェクト」とは見事にテーマが一致する (もちろん、ナチの暴挙への対応という方法論では大いに異なるが)。そして、私にとっては尋常でなく興味のあるテーマ。というのも、ここで扱われている名画とは、グスタフ・クリムトの「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像 I」(I とついているからには、ほかに II も存在する) なのである。クリムトは私が敬愛する画家。もちろん彼の活躍した世紀末ウィーンの文化全般こそが、私が生涯かけて研究し味わって行きたい分野であるからで、これは好きとか嫌いとかいうレヴェルの問題ではない。ともあれ、この絵画を見て頂こう。
e0345320_23442842.jpg
この記事は飽くまでも映画を対象としているので、この絵についてあれこれ語りたいのをグッとこらえて、簡単に触れるにとどめよう。この絵は現在ニューヨークのノイエ・ギャラリー (ドイツ語の Neue は英語の New という意味) に展示されているが、このギャラリーがオープンした 2006年、私はたまたまニューヨーク駐在で、もちろんこの絵を見に行ったものだ。セントラルパークにほど近い場所のごく小さいスペースだが、それほど混雑もしておらず、じっくり鑑賞することができた。この絵の来歴について、New York Times にも詳しく書かれていたが、私にとっては来歴よりも作品そのものに興味があった。もちろん、ニューヨークに移される前は、ウィーンにおける世紀末絵画の宝庫、ベルヴェデーレ宮殿に飾られていたので、その時にも何度も対面していたわけであるが。

映画は、この作品が米国にやって来るまでの経緯を、奪還に向けた行動が開始される1998年以降の状況と、主人公であるマリア (絵画のモデルであるアデーレ・ブロッホ・バウアーの姪) の幼時からナチの迫害を逃れて故国オーストリアを脱出する頃の状況とを交えて描いている。あえて言ってしまえば、半ばドキュメンタリーに近いくらいの淡々とした描き方で、戦争が巻き起こした悲劇という社会的メッセージが必ずしも常に表面に出てきているわけではない。だが、マリアの弁護士がウィーンのホロコースト慰霊碑を見たあとの場面で、感情の高まりが描かれる。ただ、そこはまだ比較的冷静な表現であるが、ラスト近くの回想シーンでマリアが両親と今生の別れをする場面では、断腸の思いが観客の心にストレートに入ってくる、強い表現力が発揮されている。その結果、劇場内では鼻水をすする音がそこここで聞かれるという次第だ。このイギリス人監督、なかなかの手腕である。

主役マリアを演じるのは英国の名優、ヘレン・ミレン。
e0345320_00081192.jpg
私がこれまでに見た彼女の映画は、「ヒッチコック」の妻役くらいで、その昔「コックと泥棒、その妻と愛人」に出ていたと言っても、ちょっと覚えていないし、エリザベス女王役でアカデミー賞を取った「クイーン」は見ていない。この映画では、どことなく気品がありながらも素朴な面もある可愛らしいおばあちゃんであり、一方で大変頑固で、かと思うとユーモアのセンスにあふれる人物像が求められている。この場合の「頑固」には、自らが家族とともに体験した幸福な幼時と、それゆえに一層悲惨な戦争への絶望的な思いが根底にあって、納得できないことにはおかしいと声高に言う勇気がありながらも、前向きになろうとするほどに過去の悲惨な思いを極力封じ込め、祖国のことなど忘れてしまおうとする、複雑な感情が渦巻いている。このような大変難しいキャラクターを自然体で演じるヘレン・ミレンはさすがである。

彼女の弁護士、ランドル (ランディ)・シェーンベルクを演じるのは、ライアン・レイノルズ。
e0345320_00210451.jpg
「ウルヴァリン X-Men Zero」でデッドプールという悪役を演じたマッチョ派のようであるが、ここでは若い真面目な弁護士役に大変好感が持てる。ところで実在のこのシェーンベルク弁護士が、この名画のオーストリアからの奪還に大きな力を発揮したようである。彼があたかもこの感動的な逸話の語り部のようで、この映画の前に製作されたドキュメンタリー映画には、本人が出演している模様。このシェーンベルクという名前。あの世紀末から両大戦間のウィーンを彩る超ビッグネームのひとつ、作曲家アーノルト・シェーンベルクの孫だそうだ。うーむなるほど。シェーンベルクはユダヤ人で、米国に亡命してカリフォルニアに住んでいた。この映画でも主要な舞台は陽光あふれるカリフォルニアだ。ランディはそのカリフォルニアで生まれ育った人間として過去のナチの悪行など興味の範囲外であったが、クリムトの絵画の金銭的価値に惹かれてマリアの弁護を引き受ける。だが、交渉に赴いたウィーンで自らのルーツに目覚め、むしろマリアを強引にリードして最後には勝利を勝ち取るのだ。劇中には、ランディがウィーンの主要なコンサートホールのひとつであるコンツェルトハウスで祖父の初期の代表作、「浄夜」の演奏 (オリジナル通り弦楽六重奏だ!) を聴くシーンもあり、音楽の分かる人なら、この映画の Emotion の大きな要素をそこに感じることができるだろう (結局シェーンベルクは、このように叙情溢れる音楽を生涯二度と書かなかった)。ほかの出演者では、「ラッシュ / プライドと友情」でニキ・ラウダ役を演じたダニエル・ブリュールがいい味を出している。ランディの妻役は、実生活での前の旦那のおかげで有名になった (?) ケイティ・ホームズだが、私はこの人はちょっとどうも・・・

音楽の話題が出たので、ついでにもうひとつ、どうでもよいことを書こう (興味のない方は読み飛ばして下さい)。映画の中でマリアが旦那とともにオーストリアを脱出するシーンは 1938年のことだが、空港の係員に、「ケルンで歌手のキャンセルが出たから急に行く。カラヤンの指揮だ」と告げるシーンがある。1938年と言えば、カラヤン 30歳。アーヘンの音楽監督には就任していたものの、未だそれほど知名度があるわけではなかったろう。それに、ケルンには当時オペラハウスがあったのだろうか。確か今あるものは戦後にできた劇場であるはず。また、カラヤンは当時ナチ党員であったかもしれないが、そのこと自体が広く知られてはいなかっただろう。という意味で、ここの発言は係員をケムに巻くという以上の意味はないようだ。・・・と言いながら、気になるとどうしても調べないではいられないたちの私の目の前には、カラヤンの生涯全演奏記録 (John Hunt 編纂) がある。1938年はと・・・。オペラ上演はもっぱらアーヘンだ。それ以外の活動で目立つのは以下の通り。
 1月23日 アムステルダムでコンセルトヘボウ管を指揮 (曲目不明)
 2月1日・7日 ストックホルム放送響を指揮。7日の曲目は、なんとシベリウスの 6番と、Ulfrstad というノルウェイの作曲家 (1890 - 1968) のピアノ協奏曲 
 2月20日 ブリュッセルでアーヘン歌劇場管とバッハのマタイ受難曲
 4月 8日 ベルリン・フィルにデビュー! 曲目はモーツァルト33番、ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲、ブラームス4番
 6月24日 アーヘンでR・シュトラウスの「エレクトラ」
 9月30日 ベルリン国立歌劇場にデビュー! 曲目は「フィデリオ」
 12月 初のレコーディング 曲目は「魔笛」序曲
それ以外にもいろいろ活動しているが、こうして見てみると、カラヤンのキャリアにとって飛躍の年であったことが分かる。一方、この近辺の年でカラヤンがケルンで演奏した記録はというと・・・お、1935年から36年にかけて、ケルン放送響を指揮して「カルメン」とか「リゴレット」を演奏している。してみると、この映画の台詞も、あながち見当はずれというわけではないかもしれない。

いつも以上に脱線しまくりになっていますが、ともあれこの映画、戦争の悲劇という大きなテーマを扱ってはいるものの、描かれている人間像にリアリティがあるので、大仰に作られたお涙ちょうだいものとは一線を画している。それゆえに、上で触れたような感情が爆発するシーンは数えるほどしかないものの、そのようなシーンが心に迫るようにできている。クリムトに興味のある人もない人も、見ればきっと感動すると思うし、1938年のカラヤンの活動に知識がなくても大丈夫!!

Commented by あき at 2016-01-05 18:47 x
後れ馳せながら、本日見てきました。
カラヤンの話は、興味深いものですね。
音楽の話ではもうひとつ。ウィーン側のドクターを演じたドホナーニは、名指揮者クリストフの息子です。と言うことは、曾祖父はアメリカに避難したエルンストで、祖父と大伯父は反ナチス活動で死刑されています。
演技とはいえ、最後にマリアに拒絶される場面は、どんな気持ちだったのか興味深いです。
Commented by yokohama7474 at 2016-01-05 23:39
コメントありがとうございます。そうですか、ユストゥス・フォン・ドホナーニだったのですね。私は昨年11月25日の「ミケランジェロ・プロジェクト」の記事で彼について書いていましたが、この映画では気づきませんでした。ご指摘ありがとうございます。高名な芸術家の周りでもそのようなことが起こっているとは、ヨーロッパに残された戦争の傷跡の深さに、今更のように思いを馳せてしまいます。
by yokohama7474 | 2015-12-19 01:14 | 映画 | Comments(2)