第九 アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィル 2015年12月19日 サントリーホール

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毎年繰り返していることであるが、ふと気づくともう今年も残りわずか。冗談じゃない、まだまだやり残したことがいっぱいあるのに、と思いながら、12月中旬以降のクラシックの演奏会は、第九に占拠されてしまい、その演奏会に足を運ぶと、おのずと年末モードに追いやられてしまうのだ。あ、念のためであるが、ここで言う第九 (だいく) とは、ベートーヴェン作曲交響曲第 9番ニ短調「合唱付」作品125のことだ。この破天荒な「楽聖」が書いた最後の交響曲。大規模な声楽を導入した永遠のアヴァンギャルドだ。私は今年は 5種類の第九演奏を体験することになっていて、まあせっかく今年からブログも始めたことだし、つれづれなるままにその印象でも綴って行こう。

年末の第九として今年最初に私が楽しんだのは、イタリアの俊英、アンドレア・バッティストーニ指揮の東京フィルの演奏だ。今年の一連の第九演奏会の比較ができるように、いくつかのポイントを箇条書きにして、それぞれの演奏会ごとにチェックして行こう。早速今回の演奏会だ。

・第九以外の演奏曲
  ベートーヴェン : 序曲「レオノーレ」第3番作品72
・コントラバス本数
  6本
・ヴァイオリン対抗配置
  なし
・譜面使用の有無
  指揮者 : なし (但し「レオノーレ」3番はあり)
  独唱者 : あり
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり
・第 2楽章提示部の反復
  あり
・独唱者たちの入場
  第 2楽章と第 3楽章の間
・独唱者たちの位置
  合唱団の前 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  なし

クラシックの好きな人なら、このデータだけで、この日の演奏についてなんらかのイメージを持つことができよう。と言えば言い過ぎか (笑)。今回の演奏はこのイタリア人俊英指揮者にとって初の第九の指揮であったとのことであるが、そのことがこれから 20年、30年先に価値のあることになるだろうか。現時点ではなんとも言えないが、非常な熱演であったことは間違いない。現在弱冠 28歳のバッティストーニは、今年から東フィルの首席客演指揮者を務めている。ふと考えてみたのだが、日本のオケでイタリアで歌劇場のポストを持った人を主要なポジションにつけた例が、果たしてあっただろうか。いわゆるシンフォニーの指揮者なら、日本のオケの発展向上に寄与した世界的指揮者たち、特にドイツ系のマエストロが何人もいる。だが、オペラ指揮者が日本のオケを鍛えたのは、例えばこの東フィルが以前名誉指揮者に迎えていたアルジェオ・クワドリという渋い例があるくらいではないか。その意味で、まだ若いバッティストーニがオペラとシンフォニーの両面で東フィルと結びつきを深めつつあるということは、本当に画期的なことではないか。

演奏を思い出してみよう。まず最初の「レオノーレ」3番であるが、冒頭の和音は、ドイツ系の指揮者なら往々にしてズドーンと重く腹に来るところ、今回の演奏ではむしろ天に舞い上がるような音であった。この曲は周知のように、ベートーヴェンが唯一のオペラ「フィデリオ」の序曲として何度も書き直した末に到達した高度なオーケストラ曲で、今日では、このオペラの大詰めの場の前に演奏されることが多い・・・と言いながら、原典主義が進めば進むほど、オペラの中でこの曲が演奏される機会は減っていて、純粋な管弦楽曲として扱われる傾向が強くなってきている。だが、今回の演奏を聴いて私が改めて思ったことには、この曲には、政治犯としてはかりならずも獄中の人となったフローレスタンの苦悩と、明るい日の光のもとに彼を解放しようとする愛妻レオノーレの姿、もしくはそれらを多少抽象化したものが描写されているのではないか。つまり、冒頭の和音の後にヴァイオリンが長い音を奏でる際、ヴィブラートはほとんど使われず、でも一方でチェロにはヴィブラートが充分かかっていたことから、高音と低音の間に何かギャップがあるようであった。つまり、フロレスタンの置かれた過酷な状況と、そこからの解放というドラマが、この冒頭の静かな箇所から現れているように感じられた。それから音楽は劇的な様相を呈して、そして大臣の到着を告げる舞台裏のトランペットに至る。私の席からは下手のステージドアがよく見えたのであるが、このトランペットのファンファーレ、最初の 1回はステージドアを閉めたまま、2回目はドアを開けて演奏されていた。きっと、大臣の進軍が近づいてきていることを示したのであろうが、聴衆が聴き取れるか否かも定かではない細かい配慮である。

メインの第九は、一言でまとめれば、大変に早いテンポで駆け抜けながら、随所に細かい配慮を見せた名演であったと言えよう。但し、その快速テンポは、東フィルにとって技術的には対応可能であったにせよ、さらに迫真の演奏ができる可能性も残したと思う。第 1楽章の中間あたりの壮絶な盛り上がりと、駆け抜けるチェロは、この曲の大きな聴きどころであるが、さらに鬼気迫る表現が可能ではなかったか。第 2楽章スケルツォは破綻なく進んだが、第 3楽章アダージョは、この速いテンポでは充分歌いきるわけには行くまい。だが、ふと気づくのはトランペットの表現力だ。随所で弦の海の中から響いてくるトランペットの歌。これこそ、日本の主要オケが未だかつて充分に薫陶を受けていないイタリアのオペラ指揮者の紡ぎ出す歌ではないのか。実際に声楽が入ってくる第 4楽章で、この演奏は真の輝きを増したのはそれゆえだろう。これは紛れもなくオペラ指揮者の作り出す音のドラマ。きっと日本でこれまでに鳴り響いた無数の第九の中でも、際立ってオペラ的な演奏ではなかったろうか。オペラを書いても器楽的と言われるベートーヴェンのオペラ的演奏とは逆説的だが、大変刺激的な演奏であった。

独唱者と合唱団を記しておこう。
 ソプラノ : 安井 陽子
 アルト : 竹本 節子
 テノール : アンドレアス・シャーガー
 バリトン : 萩原 潤
 合唱 : 東京オペラシンガーズ

この中で圧巻だったのは、テノールのアンドレアス・シャーガーだ。ウィーンで学んでおり、バレンボイム指揮の「神々の黄昏」でジークフリートを歌った実績があるという。また 2013年のチョン・ミョンフン指揮の東京フィルでの演奏会形式の「トリスタンとイゾルデ」(私はどうしてもチケットが手に入らず、泣く泣くあきらめた公演) ではトリスタンを歌ったようだ。今回の演奏では、独唱のトルコ行進曲で音楽全体を牽引し、コーダ手前の四重唱でも存在感を存分に発揮して、演奏全体を大いに引き締めることとなった。
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面白かったのはカーテンコールで、普通なら最初に合唱指揮者が出てくるのに、全く出てこない。プログラムを確認すると、合唱を務めた東京オペラシンガーズの合唱指揮者については記載がないではないか! 指導者は当然いるものと思うが、私の目には、これもオペラ的と映ったものだ。実際、オペラの終演時に合唱指揮者が出てくることはまずないではないか。バッティスティーニは、初めての第九ということで、合唱の指導まである程度は自分で行ったのであろうか。並々ならぬ熱意から、そのようなこともあるのかもしれないと考えた。

さて会場には、今年 5月にバッティステーニが演奏会形式で採り上げたプッチーニの「トゥーランドット」の CD が売られていて、先着順で直筆サイン入りポストカードがついてくるという。私もこの演奏会に行って大興奮であったので、早速 CD を購入。
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東京フィルは、前の常任指揮者のダン・エッティンガーが現在は桂冠指揮者のひとりということになるのだが、来年度のプログラムを見てみると、このバッティスティーニと、特別客演指揮者のミハイル・プレトニョフ、そして桂冠名誉指揮者のチョン・ミョンフンの 3人に、ほとんどの演奏会の指揮が任される。正直なところ、私はエッティンガーはあまり高く買っていなかったので、今後はこのバッティスティーニにこのオケを強力に引っ張ってもらう必要がある。まだ若い今のうちなら、常任指揮者を引き受けてもらえないものだろうか。もしそうなれば、いとう呉服店以来 100年以上の歴史を持つこのオケに、新鮮この上ない風が吹くことであろうに。

by yokohama7474 | 2015-12-20 01:46 | 音楽 (Live) | Comments(0)