第九 上岡敏之指揮 読売日本響 2015年12月20日 横浜みなとみらいホール

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今年の読響の第九は、上岡 敏之 (かみおか としゆき) の指揮である。1960年生まれで、若い頃からドイツの歌劇場やオーケストラで研鑽を積んだというたたき上げの実績を持つ指揮者である。現在ではヴッパタール (ハンス・クナッパーツブッシュ、ギュンター・ヴァント、ホルスト・シュタインの出身地であり、現代ダンスの分野ではピナ・バウシュが同地の舞踊団を率いたことで知られる) の市立歌劇場の音楽監督である。しかも、いかなる経緯か分からぬが、一度 2004年から 2009年まで務めた後辞任して、2014年に同じポジションに復帰したらしい。日本でもこの読売日本響は何度も指揮していて、来年 9月からは新日本フィルの音楽監督に就任することが決まっている。大変素晴らしい指揮者で、見た目は柔和ながら、恐らくは自らの信念に関しては妥協のない人なのであろう。彼の指揮する音楽にはいつも強い個性が刻印されている。2006年に N 響で第九を指揮したことがあるらしいが、私は聴いていない。さて、どのような演奏になるのだろうか。

ホールには以下のような貼り紙が。東西冷戦時にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の音楽監督を務め、その後もこの読響の名誉指揮者のポジションを維持しながら、ニューヨーク・フィル、ロンドン・フィル、フランス国立管などの名門オケを率いたクルト・マズアの訃報である。88歳という高齢であったため、最近は活動を耳にしておらず、来るべきものが来たという感じがする。演奏開始前、オーケストラの楽員は舞台上で 1分間程度の黙祷を捧げた。
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さて、前回の第九の記事でも使用した「チェックシート」で今回の演奏の特徴をチェックしてみよう。

・第九以外の演奏曲
  なし
・コントラバス本数
  数え忘れ、恐らくは 6本か
・ヴァイオリン対抗配置
  なし
・譜面使用の有無
  指揮者 : なし
  独唱者 : なし
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり
・第 2楽章提示部の反復
  なし
・独唱者たちの入場
  第 3楽章と第 4楽章の間
・独唱者たちの位置
  合唱団の前 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  なし

この演奏会、第九 1曲だけで休憩もなし。しかもその第九は、前回聴いたバッティスティーニを上回る超快速で、1時間ちょっとで終わってしまった。特に第 1楽章は、いわゆるタメが皆無で、普通の演奏で間を取るところもすべて、切羽詰まったように走り去って行く。ところが不思議なことには、そこで描かれる音のドラマには見事な緊張感が保たれていて、人の心にストレートに迫る音楽が立ち昇っているのだ。これぞ上岡の真骨頂だ。ここまでの極端なテンポでは、オケの側の (無意識であったにせよ) 抵抗もあったのではないかと思われるが、指揮者たるもの、自分の信じる音楽を創造するには、そのような非難を恐れていてはいけない。楽員の表情を見ていると、かなりの集中力を感じることができたので、奏者たちも新鮮な思いであったのかもしれない。第 2楽章はこの快速テンポには最も適性があるかもしれず、とにかく駆け去ったが、終結の和音だけは、通常の叩きつける方法ではなく、ふんわりと宙に消えて行くようなやり方だ。第 3楽章は、指揮者いわくは緩徐楽章ではなくアンダンテ (歩く速さで) だということで、なるほどそこにはたおやかな情緒はあまりなく、曲の冒頭から一本でつながっている推進力というものが維持されている。上のチェック項目にあるが、普通の第九演奏では、この第 3楽章の緩やかな音楽の余韻を消さず、そのまま終楽章になだれ入るために、4人の独唱者たちは、その前の第 2楽章終了時に舞台に登場することが多いのであるが、ここでは第 3楽章のあとで音楽は完全に休止し、そこで独唱者たちが入って来るという段取り。この指揮者が第 3楽章に感傷を見ていない証拠であろう。第 4楽章は、指揮者自身の言によれば、以前ヴッパタール交響楽団を指揮した CD では冒頭から猛烈に速いテンポであったものを、その後この曲の自筆譜を読んで研究した結果、もう少しテンポを落とすだろうとのことであったが、実際聴いてみると、速い箇所と普通のテンポの箇所が混在していた。場合によるとその混在具合は、日によっても違うのかもしれず、その瞬間の指揮者の閃きに忠実ということなのかもしれない。のけぞりそうになったのは、昔からドイツ系の指揮者が必ず長く伸ばしてきた合唱の盛り上がり、"vor Gott" の部分だ。ここにはフェルマータがついていて、フルトヴェングラーのように永遠に続くのではないかと思うくらい長く伸ばす演奏もあるわけだが、今回の演奏は、さっと短く音を切り、史上最短ではないかと思えたほどだ (笑)。だが、相変わらず表現力は強烈で、陶酔はないが、狂気すれすれの爆発的な力がある。一方で、最初にバリトンが "O Freunde" と歌い出す箇所は、一瞬音楽の流れがバッサリ切られてからの歌になることで、一体何が起こるのかと思わせる効果を出していた。

独唱・合唱は以下の通り。
 ソプラノ : イリーデ・マルティネス
 メゾ・ソプラノ : 清水 華澄
 テノール : 吉田 浩之
 バリトン : オラファ・シグルザルソン
 合唱 : 新国立劇場合唱団

特筆すべきは、上記のような一種独特の導入部を歌ったバリトンのシグルザルソンである。アイスランド人で、決して若くはなく、世界一級のオペラハウスで歌っているようではないが、上岡が兼任で音楽監督を務めているザールラント州立劇場を拠点にしているそうだから、上岡の指名による来日であろう。なるほど、歌手と指揮者の策略で、一味違った第九の独唱になったわけだ。
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プログラムには上岡の第九に対する考え方を知ることができるインタビューが掲載されている。既に上に何ヵ所か引用したが、ほかにも、「第九がベートーヴェンの生涯最高の傑作とは思わない。作曲のテクニックはともかく、ベートーヴェンの音楽の本質は若い頃からほとんど変わっていない」「第九のラストは予定調和的なハッピーエンドではなく、『さあ、これから自由を闘って勝ち取るぞ!』という熱狂的な決意表明だ」「日本のオケは第九をはじめとしてベートーヴェンをよく演奏している。だが、惰性はダメだ。今回 7回の公演があるが、お客さんが聴くのは 1回だけだから、その 1回が心に残るものであってほしいという気持ちをメンバーと共有したい」という趣旨の発言があって面白い。大変個性的な演奏で、充分心に残りましたよ。来年からの新日本フィルとのコンビも、東京の音楽界に新たに加わる顔として、楽しみにしております!!
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by yokohama7474 | 2015-12-20 22:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)