壽 初春大歌舞伎 2016年 1月 2日 歌舞伎座

e0345320_10300702.jpg
新年の過ごし方には、人によって家族によって、また年によっていろいろあろうが、時には歌舞伎など見に行くのも楽しいものである。様々な劇場で新年 2日か 3日から歌舞伎がかかっており、都内では歌舞伎座以外でも新橋演舞場や浅草公会堂で、新年ゆかりの演目が並んでおり、和服にキツネの襟巻 (?) などオシャレに巻いたご婦人などが縦横に闊歩している姿も艶やかで、新年ならではのワクワク感があるものだ。というわけで、今年は歌舞伎座の初春大歌舞伎の初日に出掛けてみることとした。この劇場が建て替わってから 3年近く経っているわけだが、実は未だ今の劇場で観劇したことがなかったので、これはいかんということもあって、2016年の最初の成果をここに求めたという意味合いもある (笑)。人間やはり、どんな小さなことでもよいから達成感を味わうことで進歩して行くものであります。劇場はこのような雰囲気。
e0345320_10530810.jpg
e0345320_10532168.jpg
e0345320_10533238.jpg
プログラムは昼の部と夜の部で異なっており、私が見たのは 16時30分からの夜の部。豪華役者陣による 4演目だ。歌舞伎の常だが、途中休憩を挟むものの上演時間は非常に長く、終演は 21時を回っていた。また、入場も開演の 20分前と、かなり慌ただしい。その代わり、通常の劇場と違って場内で飲食自由というのが歌舞伎のよいところである。途中、普段食べない人形焼など頬ばりながら見る歌舞伎は、新年の賑わいいっぱいだ。

夜の部の最初の演目は、「猩々 (しょうじょう)」。これは長唄をバックに主として踊りによって演じられるもので、上演時間 20分程度。猩々とは現代語ではヒヒであり、もちろん猿の一種だ。今年の干支に因んだ選択なのであろうが、猩々はもともと、中国の古典「山海経」(2500年ほど前から編纂され、徐々に加筆されていった世界最古の地理書だが、多くの妖怪や神の紹介を含んでいる) に出てくる怪物で、人の顔と足を持ち、言葉を解し、酒を好み、魔除けとして信仰の対象にもなる。もともと能の演目としてもよく知られている。そのイメージはこの人形のような感じ。
e0345320_11184923.jpg
今回の舞台では 2匹の猩々が出てきて、中村梅玉と中村橋之助が演じた。台詞なしに息の合った軽妙な舞を披露した。橋之助は私と同い年でなんとなく親近感があるが、今年八代目中村芝翫 (しかん) を襲名することになっている。ところでこの後の演目の幕間で場内を歩いていると、この橋之助が 3人の子供たちとともに、南野陽子のインタビューを受けているのを発見。どうやら NHK Eテレで生放送していたらしい。全然知らなかったが、あとで調べてみると、この歌舞伎座と大阪の松竹座 (市川中車ら出演) とを結んで放送していたのですな。

2つめの演目は「二条城の清正」から、「二条城大広間の場」と「淀川御座船の場」。これは、関ヶ原合戦と大坂の陣の間、慶長 16 (1611) 年に豊臣秀頼が加藤清正らに伴われて京都の二条城で徳川家康と面会したという史実をもとにしたもの。昭和 8 (1933) 年、吉田絃次郎という作家によって書かれた作品だ。この作家、現在では忘れられた名前だが、調べてみると、230冊以上の著作を残し、嵐寛寿郎主演の映画化作品もあり、また早稲田の教授としてあの井伏鱒二を教えているという。なるほど、江戸時代の古典に比べて、秀頼が清正に目で問いかけるシーンなど、演劇としての芸の細かさを要求される台本だ。ここで秀頼を演じているのは、市川染五郎の長男、松本金太郎 10歳。そして清正を演じているのが、その祖父にあたる松本幸四郎だ。
e0345320_12045550.jpg
e0345320_12051818.jpg
実はこの日の後の演目には染五郎も出ているので、三代に亘って同じ舞台に出ていることになる。もちろん世襲制の歌舞伎界であるから、そのようなこともままあるのかもしれないが、それにしてもすごいことではありませんか。以下の写真は、2013年の10月、国立劇場での三世代そろい踏み。金太郎の左にいるもう少し背の高い子は、市川中車 (香川照之) の息子、市川團子。
e0345320_12124617.jpg
それにしてもこの芝居の中での秀頼は、かなり多くの台詞を喋る必要がある。これを 10歳で務めるとは大変なことだと思ったら、プログラムでの幸四郎のインタビューによると、彼自身も染五郎も過去に演じてきた役柄であるとのこと。昭和の「新しい」作品ですら、既にしてこれだけの歴史があるのである。改めて歌舞伎の伝統を実感することができる。それにしてもこの金太郎、素顔も可愛らしい少年だが、舞台におけるその立ち姿や声の出し方も、子供らしさを感じさせながら堂々たるもので、私がヨボヨボになった頃に、「いやぁー、10歳の金太郎の秀頼を見たよ」と言って自慢する日が来るのかもしれない (笑)。舞台上では、年を取ってからも青年や若い遊女の役などは演じることはできるが、この役の場合には本当の少年しか演じることができないので、文字通り期間限定の役ということになろう。

ところでこの芝居、内容は、家康からの招待を受けて二条城を訪れた秀頼と、そのお供をした清正の行動を描いたもの。前半の「二条城大広間」は、幼いながらも礼節をわきまえ、しかも老獪な家康と堂々と渡り合う秀頼と、武骨ながら才気煥発、狙われている若君を機知と度胸で守ろうとする清正の姿が、その後の豊臣の運命を知っている観客に、ある種の感情移入を促すのである (日本人のメンタリティにある判官びいきという奴だ)。ただ正直なところ、あまりに動きが少なくて、見ていてハラハラドキドキとまでは行かないのが残念。後半の「淀川御座船の場」は、二条城から大阪に船で帰る主従の姿を描く。秀頼の成長を思って涙する清正に、ずっと達者でいて欲しいと声をかける秀頼。感動的な場面であるが、演じているのが実際の祖父と孫であることを知っている観客たちは、そこでもまた感情移入を避けることができず、かくして場内にはすすり泣きの声が聞かれるという次第。幸四郎はこの場面について、「温かい心の通い合う佳い場面だと思います。ここでの秀頼は芯の通った若者で、金太郎にはこれからの歌舞伎役者としての姿勢を学んでほしいと思っています」と語っている。残念がなら舞台の写真がないので、加藤清正の肖像画でお茶を濁します。あしからず。
e0345320_12404197.jpg
ところで史実を調べてみると、清正は、この京都での家康 - 秀頼会談のあと、熊本に帰る船の上で発病し、到着後数ヶ月で亡くなったとのこと。家康による毒殺説まであるらしい。ほぅ、そうするとこの芝居の船のシーンは、秀頼の願いも、それに号泣して応える清正の意気込みも虚しいということになり、見る者の心を一層揺さぶりますねぇ。また、この台本が書かれた昭和 8 (1933) 年はどんな年だったのだろうか。既に日中戦争は始まっていて、満州国はその前年に建国宣言がなされている。この 1933年、日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立から戦争の泥沼にはまって行くことになる、そういう時代だ。この芝居の中で秀吉の朝鮮出兵について家康が意見を求め、清正が、もう一度あれば自ら先陣を切って明まで攻め入ると答えるシーンがあるが、台本が書かれた時代背景を考えると、何やら深読みしてしまいたくなる。それから、これも大いに脱線になってしまうが、文芸評論家、小林秀雄の作品を年代順に掲載した新潮社の全集を少しずつ読み進んでいるので、試みに 1933年に書かれた文章を見てみると、例えばこんなものがある。「谷崎潤一郎氏の『春琴抄』(「中央公論」) --- を面白く読んだ。特に心を動かされたわけでもないし、深く考えさせられたというのでもない、面白く読んだというのは消極的な意味なのだが、ともかく読んでいる間ちっとも気が散らなかった。ほんといえば私にはそれだけでも充分である」(5月 3日、報知新聞)。激動の時代の文芸のあり方をあれこれ考えさせられる興味深い内容だ。

さて、3つめの演目は、「廓文章 (くるわぶんしょう)」、通称「吉田屋」である。1678年、22歳 (または 27歳) で世を去った大坂新町の名妓、夕霧太夫の死を悼み、早くも死の翌月に上演された「夕霧名残の正月」以降、「夕霧狂言」と呼ばれる系統の作品が多く作られた。西鶴も「好色一代男」で夕霧を絶賛しているという (1682年の刊行なので、夕霧の死後数年後の評判という生々しい記録だ)。1712年に近松門左衛門が浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡 (ゆうぎりあわのなると)」を書き、その上巻を脚色したのがこの「廓文章」だそうだ。上方で流行した、いわゆる歌舞伎の和事 (わごと) の代表作。主役の藤屋伊左衛門は、大坂でも指折りの豪商の若旦那でありながら、夕霧に入れあげて多額の借金を背負い、みすぼらしい身なり (紙衣 (かみこ) 姿と言われる) で登場する。演じるのは中村鴈治郎。この役の初演を演じたのは初代坂田藤十郎だが、今の鴈治郎は、人間国宝、4代目坂田藤十郎と扇千景の息子。昨年の鴈治郎襲名披露でも演じたらしいが、きっと思い入れのある役だろう。これが昨年の襲名時のポスター。今回も同じ衣装で登場した。
e0345320_14081797.jpg
私はこの芝居を初めて見たが、育ちのよいボンボンの雰囲気が必要な役なので難しいだろうと思う。その点鴈治郎は、仕草になんとも言えない憎めなさがあり、客席から笑いも取っていて、なかなかに面白かった。だが、この芝居の主役は、相手方の夕霧が舞台に登場すると一変してしまうのだ!! 玉三郎だ。
e0345320_14140569.jpg
私はこの人が普段しゃべっている映像などを見ると、少し品のいい男性というふうに思うのだが、ひとたび女形として舞台に立つと、本当にきれいでびっくりしてしまう。正直、この人を見てしまうと、ほかの女形がかわいそうなくらいだ (笑)。この夕霧は何度も演じているらしく、まあその所作の洗練されたこと。客席からは、はぁ~っとため息が漏れ続けた。いやいや、先月見た和太鼓集団、鼓童の芸術監督などの副業 (? にしてはハードな仕事ですな) も務めながら、本業ではいよいよ輝きを増しているとは驚くばかりだ。年を調べてびっくり。もう 65歳なのだ!! ええっと、ちゅうことはですよ、誰とは言わないが、私の会社のあの役員やこの役員よりも年上ということか!! びっくりびっくり。

ところで、上でご紹介した、夕霧没の翌月演じられた「夕霧名残の正月」では、同じ伊左衛門と夕霧の逢瀬が描かれるが、実はそこで伊左衛門と一緒に踊る夕霧は亡霊であったという設定だったらしい。つまり、実在の夕霧が亡くなってすぐに、その人の亡霊を舞台に登場させたということだ。世界の演劇史上にそのようなことはほかにもあるだろうか。江戸時代の日本の文化の成熟度を示す例ではないだろうと思う。

さて、この日最後の演目は、「雪暮夜入谷畦道 (ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」、通称「直侍 (なおざむらい)」。この直侍とは、主人公、片岡直次郎のことらしい。明治に入ってから数々の歌舞伎をものした河竹黙阿弥による大作「天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな)」の一部である。尚、河内山宗俊 (こうちやまそうしゅん) もこの作品の重要な登場人物のひとりで、部分上演の場合は、直次郎、宗俊、いずれかが主人公の幕を上演するのが通例らしく、今回は直次郎だ。その直次郎を演じるのは、市川染五郎。
e0345320_14455273.jpg
歌舞伎役者にもいろいろあるが、彼はスキッとした顔立ちで、本当に歌舞伎役者らしい雰囲気を持っていると思う。今回演じる直次郎は、宗俊と同じく、実在の人物を黙阿弥が脚色して、ゆすりたかりを生業とする小悪党に仕立て上げたもの。実在の直次郎もそのような人物で、最後は獄死しているらしいが、もともとは旗本の家の出身ということで、舞台でもただのヤクザ者ではなく、どことなく漂う生まれのよさが求められよう。染五郎は、少し線の細さはあるものの、過剰にならない演技でなかなかの迫力を出していたと思う。この芝居は、なじみの吉原の遊女、三千歳 (みちとせ) が病に臥せっている入谷を通りかかった直次郎が、そば屋で彼女の噂を聞き、人目を忍んで逢いに行くが、仲間の讒言で追っ手に踏み込まれてしまい、三千歳に、「もうこの世では逢えないぜ」と言い放って逃亡するという筋。正直、これだけではあまり面白いストーリーにはならないが、雪の夜道を歩く人たちの姿やそばを食う姿などに、なんとも言えないリアリティと詩情があって、なぜか懐かしいような感じを覚えるのが素晴らしい。黙阿弥が歌舞伎を書いたのは幕末の本当に最後の頃から、明治の半ばにかけての大きな歴史の転換期。だがその歌舞伎作品は (すべてであるか否かは知らないが、少なくともほとんどが) 同時代ではなく、過去である江戸時代の設定であろう。だが、今回の芝居などを見ると、ただ単に懐古的な内容なのではなく、近代演劇としてのリアリティと歌舞伎の様式美をみごとに両立させているのが分かる。400年に亘る歌舞伎のレパートリーとしては、黙阿弥作品はやはり欠かせないものであろう。

そんなわけで、非常に盛りだくさんな初春歌舞伎であり、初めての新生歌舞伎座での観劇を充分楽しんだのだが、あえて苦言を三つ呈したい。

ひとつは、歌舞伎では毎度のことながら、開演前の時間が短いこと。昼の部と夜の部が近すぎるから、慌ただしいことこの上ない。プログラムに掲載されている解説やあらすじを読むのがぎりぎりになってしまうし、せっかくショップにあれこれのグッズを売っているのに、あれでは売れ行きも伸びないのではないか。幕間にはトイレや食事の時間も必要だし、夜の会は終演後には売店は閉まってしまっている。従って、開場時刻を早めるべきだ。日本のオペラの上演では開演 1時間前に開場することも珍しくなく、その間に観客はくつろいで上演に備えることができる。歌舞伎もできればそのくらいの時間が欲しい。

ふたつめ。上記とも関連するが、通し狂言ならいざしらず、このような部分的な上演の場合には、上演時間 4時間半超はちょっと長すぎるのではないか。特に今回は、動きの少ない演目が多く、退屈する瞬間があったことも否めない。また、3演目目と 4演目目は、登場する男のキャラクターこそ違え、女に入れ込んでいて、その女が病に臥せっている (いた) という点は共通しているなど、あまり対照的なものにはなっていない。もう少し刈り込んで全体の上演時間を減らし、演目のバランスにも留意してはいかがか。

みっつめ。これがいちばん本質的だが、大変残念なことに、役者の声が客席まで充分届いて来ない。私は大枚はたいて 1階16列目の 1等席を購入、楽しみにでかけたのだが、舞台からそれほど遠くなかったにもかかわらず、これまでの歌舞伎鑑賞体験の中で初めて、役者の声を聴き取るのに苦労した。これはいかなる理由によるものか。音楽ファンとしての経験から勝手に想像すると、天井が高いか形がよくなくて、声の反響が充分ではないからではないか。従って、天井に反響板を設置することで改善するのではないだろうか。音楽ホールでも、東京芸術劇場や東京オペラシティコンサートホールは、できた頃よりも確実に音響がよくなっている。スタッフの地道な努力による改善補修がなされたものと理解する。歌舞伎座も同様の改善をして頂くよう、切にお願いする。

新旧の素晴らしい役者たちが舞台を盛り上げている (もちろん、三味線、鼓の方々や謡の方々、裏方の方々まで含めた関係者の努力の賜物である) 現在、鑑賞環境をよりよくすることで、さらにこの素晴らしい伝統文化を充実したものにできると思う。この空間が、今後も喝采で満たされ続けるよう、鑑賞者側からも率直な思いを書き連ねます。
e0345320_15211306.jpg

by yokohama7474 | 2016-01-03 15:22 | 演劇 | Comments(0)
<< アンジェリカの微笑み (マノエ... 初詣 (芝 増上寺 / 目黒五... >>