大植英次指揮 日本フィル (ヴァイオリン : 木野雅之) 2016年 1月 9日 横浜みなとみらいホール

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本年最初のコンサートである。年初の記事にも書いた通り、今年は何やら幸先のよいスタートで、気分もそれなりに盛り上がっている。そのような状態で聴きに行くには最適の指揮者、私の敬愛する大植 英次が、なんと初めて日本フィルを振る。これを聴かずして何を聴くか。ただ、上のチラシは翌日のサントリーホールでのコンサートのもの。今回、この顔合わせでは同じ曲目の演奏会が 3日連続で開かれる。1/8 (金) は大宮のソニックホールで、私の聴いたこの 1/9 (土) は横浜みなとみらいホールで、そして翌 1/10 (日) はサントリーホールである。チラシにある通り、2016 New Year Concert ということだが、曲目は以下の通り。
 ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲集「四季」作品 8 (ヴァイオリン : 木野雅之)
 ドヴォルザーク : 交響曲第 9番ホ短調作品95「新世界より」

2曲とも、クラシックを聴く人なら誰でも知っている天下の名曲。しかも、明るく爽やかに始まり 1年を通した人間の生活を描く「四季」と、ヨーロッパから新天地アメリカに渡った作曲者が郷愁と新たな土地の音楽を絶妙に混淆した「新世界」。ともに新たな年の始まりにふさわしい。特に「新世界」は最近、年末の第九ほどではないにせよ、新年の曲目として演奏頻度が増えている。今年もこの日フィル以外に東響、読響、新日フィルが年初に採り上げる。その「新世界」に関して、プログラムには、「大植がこだわった独自の解釈でお贈りいたします。普段聴きなれた『新世界より』とどう違うのか?? 独自の感性が光る大植マジックをどうぞご堪能下さい」とある。一体どのような解釈なのか。まさか、第 2楽章と第 3楽章の順番がひっくり返っていたり、第 2楽章の有名な「家路」のメロディをイングリッシュホルンではなくただのホルンで吹くといったことではあるまいな (笑)?! ワクワクして後半を待つことにしよう。

さて前半の「四季」であるが、大植自身がチェンバロを弾いての演奏。ソロは、このオーケストラの顔とも言うべきコンサートマスター、木野雅之だ。実に素晴らしいヴァイオリニストで、私も彼がポーランドで録音したシベリウスとチャイコフスキーのコンチェルトの CD を所持している。今引っ張り出して確認すると、これは 1991年の録音。木野 28歳のデビュー盤である。
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さすがにこのジャケットと比べるとかなり貫録の出てきた木野であるが、今回久しぶりに彼のソロを聴いて思ったのは、ヴァイオリンの技巧性を表面に押し立てるのではなく、飽くまでもオケの代表としての役割に徹した弾き方となっていることであった。その中で、例えば「夏」の第 2楽章とか「冬」の第 1楽章とか、疾走する音の流れは見事な一体感を感じさせる一方で、緩徐楽章では、正直なところオケの中の弦の音の混じり合いに、わずかばかり不揃いな感じもところどころあったように思う。ただこの演奏は、このバロック音楽の超有名曲に相対して、虚弱な原典主義と違う方法で人間を取り巻くドラマを現出していたように思う。それは大植の指揮の目指すところでもあったのではないか。自らチェンバロを弾く指揮者が、しかしチェンバロの出番のないところではのんきに椅子に座っているわけには行かずに、大きく身を乗り出して指揮する情景を見ていると、音楽の様式とか書かれた時代に過度にとらわれる場合のある昨今の古楽偏重の傾向が、なんとも脆弱なものに見えてきてしまう。そう、大植はペダルを最大限利用して、音楽の振幅を描き出す。あ、すみません。チェンバロにペダルはありませんでしたね (笑)。でも彼が情熱のあまり床を思わず踏み鳴らす足音が、まさに想像力のペダルとして、音楽の表現力を強いものにしていたと思う。ここには、単なる音の面白さだけではなく、ヴィヴァルディが描き出そうとした人間の生活がヴィヴィッドに再現されていて、味わい深い演奏であった。

さて期待の「新世界」であるが、第 2楽章と第 3楽章の順番も普通だったし、「家路」のテーマはちゃんとイングリッシュ・ホルンで安心した (笑)。ただ、その演奏の個性は既に第 1楽章の冒頭で明らかであった。普通よりも遅めのテンポで始まり、静かな弦、ホルンの信号、繊細な木管と来て、弦楽合奏がズシンと鳴り、ティンパニがとどめを刺す。その凹凸、緩急、強弱が極端で、大きなドラマが動き出す様子が克明に描かれた。それ以上に個性的だったのが第 4楽章。多くの演奏ではここは第 3楽章があたかも徐々に停車する汽車のように終結すると、そのまま続く準備運動としての短い序奏 (つまり、ジョソウはジョソウでも、助走だ) を経て、快速に汽車は滑り出すのであるが、ここでの大植の演奏は、第 4楽章冒頭部は助走ではなく、しこを踏むような感じで大地を揺るがせ、それからは怒涛のつっぱりの嵐とでもたとえようか。なんともスケールの大きい表現であり、その彫りの深さに情念すら覗かせる演奏であった。
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私はいつもこのマエストロの指揮に接すると元気をもらうのであるが、今回もやはり、その全力投球ぶりがオケの中から熱を生み出す様子が見て取れて、素晴らしかった。そのからだの動きから、どのような音を引き出したいのかが明確に伝わって来る。今回は日フィルとの初顔合わせということで、もしかするとお互い様子を見合うような瞬間もあったのかもしれないが、前半のソロを終えて何食わぬ顔で (?) コンサートマスター席に戻っている木野雅之が、大きな身振りで指揮をサポートしていたと思う。もし私なりに考えつく課題があるとすると、(これは上のヴィヴァルディについても書いた通り) 時折ヴァイオリンの中でも少し音の質が不揃いに聴こえるときがあったことと、それから、これはホールの問題かもしれないが、管楽器、特に金管がなぜか大きく響かない場面があったことくらいだろうか。だがそうであったとしても、この何百回聴いたか分からない曲の演奏としては、大変に充実したものであったことは間違いない。

これは横浜での定期演奏会であるから、アンコールはないものと思ったら、なんと、「アメイジング・グレイス」が演奏された。最初は木野のヴァイオリン・ソロで、それから節が繰り返されるごとに、弦楽四重奏になり、弦の各声部の半分の奏者による合奏になり、そして全体の弦楽合奏へと、あたかも讃美歌が人々の間に歌い継がれて行くような感動的な広がりを聴くことができた。世界ではあれこれ物騒なことが起こっていて不安を煽るが、年のはじめにあたって、音楽を通した平和への祈りを耳にした聴衆は、とりあえず前向きな思いで生きて行くことができるだろう。

さて、この演奏会は横浜定期の今シーズンの最終回であったらしく、会場にはこのような貼り紙が。
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新年早々ファイナルパーティとは若干奇異な感じもするが (笑)、例年、シリーズの最終回は 1月で、新シーズンは 3月開始となる模様だ。まず日フィルの理事長から、現在のオケの状況 (ようやく債務超過を脱したとのこと・・・オーケストラの運営は本当に大変なことなのだ) や、創立 60周年を迎える今年の予定 (ラザレフ指揮の特別演奏会、山田和樹指揮の「カルメン」など) などが報告された。その後、今日大活躍のコンサートマスター木野雅之と、アシスタント・コンサート・マスターの千葉清加 (さやか) が登場、3曲の小品をデュオで演奏した。
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ピンボケですみません。この千葉さんは本当はこんな艶やかな方。千葉県出身の千葉さんなので、もしかして千葉氏の末裔なのでしょうか。
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さてこのパーティはまだまだ続き、なんとなんと、マエストロ大植までが次に登場したのだ。これもピンボケで恐縮だが、何やらマントを羽織っての登場。
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これは、彼の師匠であるあのレナード・バーンスタインが、そのまた師匠であるセルゲイ・クーセヴィツキーから譲られたマントであるとのこと。大変貴重なものだ。また、バーンスタインが最後の演奏会 (CD にもなっているボストン響とのベートーヴェン 7番) で使った指揮棒も、遺族から大植に送られたそうだ。ここでマエストロは軽妙なトークで会場の人々を大いに沸かせたが、特に面白かったのは、今回日フィルを初めて指揮したわけだが、自身、1972年から75年まで、このオケの定期会員であったと告白 (?) したことだ。1972年と言えば、ちょうど旧日フィルが、文化放送、フジテレビのサポート打ち切りによって争議となり、現在の日フィルと新日フィルに別れた年だ。当時大植は高校生だと思うが、世界的な指揮者となった今、多感な時期に聴いていたオケを初めて指揮した気分はいかばかりであったろう。さて、その後マエストロはマントを脱いでこのような恰好に。ご自分のデザイン (?) だそうだ。
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ここに開かれている楽譜は何であろうか。これは、彼がドヴォルザークの子孫 (チェコから亡命して英国マンチェスターに住んでいるという) から譲られた、世界で 20冊しかないというドヴォルザークの「新世界」の自筆楽譜の印刷版であるらしい。実は、先に書いた第 1楽章や第 4楽章の大きなテンポの揺れは、この自筆譜の指示によるものであるとのこと。もちろん有名曲であるがゆえに、すべて自筆譜に従って新たに演奏することは現実的な制約もあることから、自筆譜の指示を一部取り入れて演奏したということであるらしい。このようなお話しを面白おかしくするマエストロは、なんとも言えず場の雰囲気を作ってしまう人で、さすがに一流の指揮者である。実はこの後、少しマエストロと言葉を交わす幸運に恵まれたのだが、今後のヨーロッパでの予定のひとつとして、ワルシャワ・フィルを挙げておられた。3月 4日と 5日、曲目は、三浦文彰のソロでブリテンのヴァイオリン協奏曲と、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」、そしてもう 1曲、作曲者外山雄三の名前だけがクレジットされているが、あの定番「管弦楽のためのラプソディ」なのか、違う曲なのか。ま、このブロクを書いている者としては、ラプソディであればいいなと、勝手に思ってしまいますが (笑)。
http://filharmonia.pl/koncerty-i-bilety_en/repertuar_en/symphonic-concert12

さて今回、バーンスタインのマントを見ることができて、大変に興奮した。なぜならばレナード・バーンスタインこそ、私にとってはまさに最大の音楽家であるからだ。またまた自分についての大昔のことを思い出してしまうのだが、1986年にレコード会社ポリドールが募集した、バーンスタインについてのエッセイに応募したところ、佳作に選ばれて、直筆サインの入った本とポスターを獲得したからだ。実は直筆サインは、既にその前年のイスラエル・フィルとの来日時に終演後楽屋前におしかけ、目の前で本人に書いてもらっていたが、この佳作入選によって入手したサインは、もっときっちりしたもので、本当に嬉しかった。
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この本を久しぶりに引っ張り出してきてパラパラ見ていると、バーンスタイン作の詩というのが見つかった。1977年、アレクサンドラ・フォン・マライゼという画家の「静寂」という画集の序文として書かれたもの。少し長いが、年初にあたって思いを新たにするため、ここに全文記載しておこう。実は、手前味噌ながら、佳作入選した私のエッセイは (詳細は忘れているが、全体のコンセプトは明確に覚えている)、バーンスタインの内部にあるであろう静寂と孤独に焦点を当てたものであったので、私にとっては大変に共感できる、感動的な詩なのである。

QUOTE

 静寂は、我々の行動の
 最も内的な形である。
 深い安らぎの瞬間に
 あらゆる思いと
 感情と力が生まれ、ついには
 行動という名の栄光を得る。

 感情に満ちた現実生活は
 夢の中で生気を取り戻し、
 我々の細胞は
 眠りの中で活発に再生する。
 瞑想の中で最高のものに至り、
 祈りの中で最もはるかな所に至る。

 静寂の中で、誰もが
 大いなる力を手にする。
 経験から放たれ、
 敵意を忘れ、詩人は
 最も天使に似たものとなる。

 だが、静寂は深遠な規律を求め、
 人はそれを手に入れなければならない。
 だからこそその規律は、我々にとって
 貴重な宝よりも価値がある。

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最後は1985年の師弟の肖像で締めくくろう。
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Commented at 2016-01-11 14:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yokohama7474 at 2016-01-11 16:59
ご丁寧にありがとうございます。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
by yokohama7474 | 2016-01-10 03:21 | 音楽 (Live) | Comments(2)