ダニエル・ハーディング指揮 新日本フィル 2016年 1月15日 すみだトリフォニーホール

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英国の名指揮者、現在 40歳のダニエル・ハーディングが指揮する新日本フィルの演奏を、このブログでも過去に 2回採り上げており、特にマーラーの「復活」交響曲の素晴らしい演奏には大絶賛を惜しまなかった。このオケのシーズンは 9月からで、現在の 2015年 9月からのシーズンにおいてハーディングは 3演目を指揮する。最初が、ブルックナー 7番をメインにするもので、その演奏会は先に採り上げた。2つめが今回の、英国 20世紀最大の作曲家ベンジャミン・ブリテン (1913 - 1976) による戦争レクイエム作品66、そして次は 7月に超大作マーラー 8番が 3回演奏されるということになる。いずれもごまかしのきかない大作ばかりであり、このオケとの共同作業にかけるハーディングの意気込みが伝わってくるようではないか。

さて、今回演奏されたブリテンの戦争レクイエムであるが、それなりの有名曲ではありながら、頻繁に演奏されて誰もが知っている曲とは言えない。私の場合はたまたま、1985年に小澤征爾がこの曲を今回と同じ新日本フィルで採り上げたとき、当時は私もまだ若く真面目であったので、その頃国内盤で唯一出ていたサイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の CD を、歌詞と首っ引きで何度も繰り返し聴いて予習した。そのおかげで、今でもかなり親しい曲なのである。今手元に、そのときの演奏会のプログラム (当時小澤がパリでフランス国立管を指揮したいくつかの演奏会の大成功ぶりを伝える寄稿も掲載されている・・・ちょっとノスタルジックな気分になりますね) と、作曲家の林光が朝日新聞に書いた批評の切り抜きもあるが、まあ、20年も 30年も前のことばかり書いていては老人のようだと言われてしまいそうなので (笑)、今回は素通りしよう。ただ、興味をもって過去のこの曲の日本での演奏を調べると、「日本の交響楽団定期演奏会記録 1927 - 1981」という大部な資料には、この曲の演奏記録は見当たらない。そうすると上記の 1985年の小澤の演奏が日本初演かと思いきや、そうではなく、なんと世界初演からわずか 3年後の 1965年に、デイヴィッド・ウィルコックス指揮の読売日本交響楽団が日本初演していた (定期演奏会ではない場での演奏であったわけだ)。

この曲の特色はなんといっても、通常のレクイエム (死者のためのミサ曲) で使用されるラテン語の典礼文に加え、第一次大戦において 25歳で戦死した英国の詩人、ウィルフレッド・オーウェンのなんとも悲惨でブラックで深遠な詩を挿入していることだ。これがオーウェンの肖像。
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オーウェンの詩はもちろん英語で書かれていて、テノールとバリトンの 2人の男性歌手によって歌われ、またその部分だけ、メインのオーケストラとは異なる別働隊の小規模オケが伴奏する。一方、合唱団とソプラノ歌手はラテン語の典礼文を歌い、そこに、別の場所に陣取った児童合唱も加わる。神への敬虔な祈りと、人間の醜い殺し合いへの恐怖、怒り、諦念が終始交錯する、一種特殊な作品である。それだけに鮮烈な反戦意識を感じさせるが、この曲は反戦というきれいごとじみた言葉ではつくせない、本当にやるせなくなるような絶望感に満たされていると私は思う。オーウェンの詩を少し抜粋してみようか。

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* 「永遠の安息 (レクイエム・エテルナム)」に挿入される歌詞の一部
  畜生のように死す者たちに何の弔いの鐘があろう?
  ただ残忍な銃器の怒りだけ。
  ただ小銃のガダダダという速射音だけが
  急いた祈りをバタバタと唱えられるばかりだ。

* 「怒りの日 (デュイス・イレエ)」に挿入される歌詞の一部
  戦場で、僕らは死のほうへごく親しげに歩み寄っていった、
  いっしょに腰を下ろして食事をした。冷んやりして感じがよかった、
  やつが僕らの手に飯盒を落としたって大目にみてやった。
  僕らはやつの吐息に緑の濁った臭気を嗅いだ、

* 「われを解き放ちたまえ (リベラ・メ)」に挿入される歌詞の一部
  「ぼくはね、君が殺した敵兵なのだ、わが友よ。
   この暗闇でも君とわかった。だって君はそんな嫌そうな顔をしていた
   きのうぼくを激しく刺しぬいて殺したときも。
   ぼくはかわしたよ。でも、両手がひどく嫌って言うことをきかなかった。」

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これらが唐突に、ピーヒャラ鳴る別働隊オケの伴奏でミサ曲に割り込んでくるのだ。やはり何度聴いても衝撃的な曲だ。ただ、最後は男性歌手たちの歌も、「さあ、そろそろぼくたちも眠ろう・・・」という言葉に変わって行き、死の暗喩としての眠りに沈んで行く。そして聖と俗はひとつに溶け合い、生死の境は曖昧になり、人間の営みの愚かさと生命の尊さを聴衆の心に刻みつけて、静かに静かに終わるのだ。

ハーディングは今回も鮮やかにオーケストラと合唱を率いて、集中力の高い見事な演奏を聴かせた。
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彼の指揮のよいところは、もったいぶったところがなく、奇をてらうところもない、非常に素直な感性であると思う。既にブルックナーで見た通り、彼ほどの才能であっても、すべての作品を常に完璧に演奏するわけではない。だが、音楽の上っ面だけではなく、この曲のように仮借ない厳しさを持つ音楽の場合には、その深淵に迫ろうという意志が感じられて、好感を覚えるのだ。曲想の移り変わりの激しい曲なので、さらに緊張感が欲しい場面もあったようにも聴こえたが、大詰め、リベラ・メの盛り上がりには鬼気迫るものがあり、その後の静かに音楽が終息して行くところは実に感動的であった。最後の音が消えてから拍手が起こるまで、優に 30秒はあっただろう。物音ひとつしない、敬虔な時間が流れていた。彼には声楽付の大曲が向いているのであろうか。きっと合唱団 (栗友会合唱団) も歌いやすかったのではないか。尚、児童合唱 (東京少年少女合唱隊) は、客席 3階後方で歌っていて、副指揮者が振っていたように見えた。終演後にステージに現れた少年少女の格好は、修道士のような長くて白いローブをまとっていたたが、ステージに立たずに緊張感を維持するため、多少なりとも宗教性をもって臨んだものであろうか。

独唱者も大変充実していた。まず、テノールのイアン・ボストリッジは、英国を代表する名歌手であり、オペラよりもリートで活躍しているというイメージだ。
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彼の声は表現力が豊かで、このような曲においては、何かぞっとするような深淵を覗かせてくれるような歌唱ぶりだ。私の勝手なイメージだが、特定のタイプの英国人芸術家には、ある種のデーモン的要素を内に抱えている人がいて、時折その表現に、抜き差しならない激しいものがある。例えば最近亡くなったデイヴィッド・ボウイや、これも奇しくも同世代でつい最近なくなった俳優のアラン・リックマンなど。あるいは、今活躍している俳優で言うと、ベネディクト・カンバーバッチ。このボストリッジもそのようなタイプではなかろうか。

バリトンはノルウェイのアウドゥン・イヴェルセン。ボストリッジほど有名な歌手ではないが、なかなかの歌唱であった。
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素晴らしかったのは、ロシア人ソプラノ、アルビナ・シャギムラトヴァ。私も忘れていたが、昨年 9月、このブログでも採り上げた、英国ロイヤル・オペラ来日公演の「ドン・ジョヴァンニ」で、ドンナ・アンナを歌っていた人だ。ロシア人らしい迫力ある歌声で、この大作において男性歌手陣とは違う祈りの形を深々と歌い上げた。その歌の内容ゆえか、男性陣が指揮者の横に位置したのに対し、彼女だけはステージ後方、オルガンの前での歌唱となった。
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この曲が 1962年に英国コヴェントリーの大聖堂で初演されたとき、作曲者ブリテンは、3人の独唱者を、イギリス、ドイツ、ソ連という敵味方に分かれた 3国から集めようとした。イギリスからは私生活においてもパートナーであったピーター・ピアーズ、ドイツは 20世紀最高のバリトン、ディートリヒ・フィッシャーディースカウ、そしてソ連からはガリーナ・ヴィシネフスカヤ (チェリスト / 指揮者であったロストロポーヴィチの夫人) が予定されたが、冷戦さなかのことであったので国の許可が下りず、ヘザー・ハーパー (イギリス人、といっても北アイルランド出身だ) が歌った。今回の演奏ではバリトンこそドイツ人ではないが、やはり 3ヶ国から集まった歌手たちが、ここ東京で戦争の惨禍と向かい合ったわけである。なんでも、ハーディングの母親はこの世界初演を体験したらしい。人の運命は様々だが、その女性の息子が遠い極東の地で自国の名作を指揮しているという不思議。いつの時代、どこの場所でも戦争がなくならないことへの絶望感に対し、音楽の力が少しでもそれを和らげるとすれば、このような優れた演奏の体験こそが必要であると思う次第である。

by yokohama7474 | 2016-01-16 01:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)